保存情報第57回
遺したい故郷の文化遺産 旧磯部家住宅 原眞佐実/原建築設計事務所
所在地 愛知県犬山市大字犬山字東古券72
建築年代 慶応(住宅主屋)〜明治中期(物置)
構造形式 木造2階建桟瓦葺き(住宅主屋、土蔵、奥土蔵、物置)      
       木造平屋建桟瓦葺き(裏座敷)
登録番号 第23-0168号(住宅主屋)
       第23-0169号(裏座敷)
       第23-0170号(土蔵)
       第23-0171号(奥土蔵)
       第23-0172号(物置)
■発掘者コメント  
 旧磯部家住宅は、国宝犬山城の南側に広がるかつての城下町で、旧岩倉街道と呼ばれた街道(現在の来栖犬山線)に面して、犬山城の大手門跡から5分ほど南下したところにあります。この街道には、車山蔵、山田家住宅、井上家住宅、伊藤家住宅、瀧野家住宅、遠藤家住宅、高木家住宅、眞野家住宅といった登録有形文化財が数多く点在して残っており、旧磯部家住宅もその一つです。
 磯部家は江戸時代から手広く呉服商を営んでいた「柏屋孫兵衛」という商家でしたが、第二次世界大戦後、呉服商から製茶・販売業に転じ、住まいを他へ移した後はつい最近まで倉庫として利用されていました。
 2004年(平成16)に犬山市が町づくりの拠点とするために譲り受け、2006年(平成18)の初めまで国土交通省の補助事業として保存修理工事が行われ、現在は一般にも公開されており、TVのCM等でも利用されています。  ちなみに、先に紹介した登録有形文化財の建物は、現在もそのほとんどが使用されており、残念ながら内部を見ることができません。しかしそれはそれで何とも嬉しい限りです。
 2005年(平成17)のJIA東海大会では、サテライトフォーラム犬山コースにおいて、この屋敷の工事途中での見学会も催しましたが、その折、1892年(明治24)の濃尾大震災での被害の状況も昔の改修工事跡に見ることができました。 2006年(平成18)2月に登録有形文化財に認定された建物は、住宅主屋、裏座敷、土蔵、奥土蔵、物置の5棟ですが、かつては茶室も建っていた模様です。住宅主屋は、中規模の京都の町家建築では見られるが、犬山では非常に珍しい起(ムク)り屋根で、軒は出桁造です。正面外観デザインは犬山の町家の伝統的な姿を残していて、間口約6m、奥行約50mと敷地も細長く、道路側から木造2階建ての典型的な町家の構えで、藩の御大工の手によるものと見られる各建物とも上質で犬山を代表する町家と言えるでしょう。
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 大湫宿 後藤晃範/圓空間設計工房

脇本陣


観音堂から見た大湫宿


町並み
■発掘者コメント
 本陣跡前の駐車場に車を停め、2年ぶりにみた町並みは、初めて見たときと同じ感動を与えてくれました。
 JR中央線の釜戸駅近くの国道19号線から北へ車で10分余り山へ入り、標高510mの小さな盆地の中に宿はひっそりと小さな集落をつくり、何か時計の針が止まったような錯覚にさせられます。
 現在も格子窓やなまこ壁の土蔵が、当時の宿場町のいぶきを感じさせてくれます。宿場町の西入り口には、復元された高札場が迎えてくれます。近くの高台には、江戸時代後期に建てられた観音堂があり、宿場内を一望できます。裏手の道を下っていくと、1200年余りたった古木の大杉(県市の天然記念物)があります。近くの神明神社が大湫宿の鎮守として慶長年間に創建されました。もう少し北へ上ると、文政期の面影を残した立派な門を構えた脇本陣があり、しばらく北へ上ると左手に小学校が見え、ここが本陣の跡地です。その右手には、荷物の輸送や人足、伝馬の調達、宿舎割りなどを取り扱った問屋場跡があります。右へ折れて東北の高台には天正年間にこの村を開いた保々宗昌が1600年(慶長5)に開基した宗昌寺があり、当時は控え本陣としても利用され、当時の宿の賑わいぶりが想像されます。大湫宿は、1604年(慶長9)中山道の開設のときにつくられたもので、現在の民家の半数ほど(50戸位)が当時からの屋号を持ち、昔はどの家も旅籠でした。現在、集落には民家風に建てられた金融機関と雑貨屋の2件と、地元の主婦たちで運営している五平餅屋の店があるだけで、草花が咲く田園風景が広がり、ゆったりとした四季を感じさせてくれます。素敵な空間であり、なつかしさを感じる場所でもあります。 () 所在地 岐阜県瑞浪市大湫町