博覧会と地域開発 第4回
会場地計画から読み解く 開発型博覧会の戦略
谷田 真
(名城大学理工学部建築学科講師)
施設配置と土地所有に注目して
前回は、会場地の立地による分類から地域開発と関連する博覧会を抽出した。今回は、これら開発型博覧会の会場地計画に関して、施設配置と土地所有に注目し、博覧会に込められた戦略を読み解いてみる。
 この施設配置と土地所有という観点からは、博覧会閉幕後の恒久施設や分譲地などの状況を把握するとともに、会場地周辺地区や広域周辺地域との関係を考察していく。なお、地域開発における整備目標等の違いから、博覧会を4つのタイプに分けて整理、比較した。
企業誘致と交通インフラ整備の促進
 最初に、地域開発の整備目標が工業団地である博覧会を概観する。このタイプの博覧会は、通常、閉幕後の土地がすべて分譲地(企業向け)に設定されているため、博覧会で整備された施設が恒久施設として残されることはない。ここでは、1984年に高知県高知市で開催された「高知・黒潮博覧会」を事例にその戦略を読んでみる。
 開催前後の地形図から立地やインフラ整備の状況を見ると、会場地(22ha)は市街化調整区域内(会場地のみ工業専用地域)にあり、周囲を川(国分川)と田畑で囲まれた未開発の土地に設定されている。しかし、高知駅から東へ4km弱、高知空港や高知港にも近い位置にあり、そのポテンシャルの高さが十分に認識されていない土地であるとも読める。また、博覧会開催に合わせて、会場地へのアクセス道路が整備されているが、この道は、会場地を区画するだけでなく、後に完成することになる高知自動車道・高松ICと高地新港をダイレクトに繋げるバイパスの一部になっている。
 こうした背景から1.開発地としては認知度が低いと思われる土地に会場地を設定することで社会の注目を集め、閉幕後の企業誘致を促進させること。2.会場地周辺の地域計画を見据え、関連する交通インフラ整備を促進させること、が戦略として見えてくる。
高知・黒潮博覧会(1984) 山陰・夢みなと博覧会(1997) 山陰・夢みなと博覧会「夢みなとタワー」
整備目標変更による地域開発の活性化
 次に、当初の整備目標であった工業団地が一部変更された博覧会として、1997年に鳥取県境港市で開催された「山陰・夢みなと博覧会」を取り上げ、出自を同じとする前項の博覧会タイプを比較する。
 会場地(37ha)は、美保湾に面した埋立地の突端部に位置し、長年にわたり鳥取県が工業用地として造成を進めてきた土地であった。しかし、当時の工業団地を取り巻く環境は、長引く景気低迷の中、供給過剰との指摘がなされており、閉幕後の企業誘致にも苦戦が強いられる状況だったと考えられる。会場地計画では、南端の湾に面した土地の一部(1ha)に3つの恒久施設が配置され、閉幕後はレクリエーション施設(夢みなとタワー、みなと温泉館)、商業施設(FAZ倉庫)に転用されている。これらの施設は規模こそ小さいが、工業団地の中にあって、用途的にも景観的にも特異な環境を形成している。
 このタイプの博覧会には、単に閉幕後の企業誘致を促進させるだけでなく、開催当時の祝祭性を継続させるような用途を施設とともに残すことで、整備の方向性を修正し、地域開発を活性化させようとする戦略が垣間見える。
地域計画とリンクした開発モデルの提案
 開発型博覧会の中で最も多いタイプとして、ひとつの会場地に複数の用途を持った開発を整備目標とした博覧会を概観する。開発には、リゾート開発、ウォーターフロント開発、駅前開発(土地区画整理事業を伴う)など見られるが、ここでは、リサーチパーク開発を整備目標に、2001年福島県須賀川市で開催された「うつくしま未来博」を取り上げる。
 会場となった土地(128ha)は、阿武隈川の東、台地と谷が繰り返す起伏に富んだ地形をもつ、標高400m程度の山間地にある。会場地計画では、恒久施設(ふくしま森の科学体験センター、森の学校、エコファミリーハウス、からくり民話茶屋、いずれも開催前後で用途に変化なし)を傾斜地や谷筋に配置することで、土地の改変、残土の流出を極力抑え、周囲に広がる森を展示空間として活用するとともに、閉幕後に分譲地(研究施設用地、住宅用地)となる平場を残そうとする工夫が見られる。都市計画区域からは外れた地域に属するが、国が策定する北東地域首都機能移転基本構想の中で示されているクラスター状の4つの整備候補地のうち、石川郡北東地域に隣接する土地でもあり、この山間地での開発が、国の政策を推し進めるためのケーススタディになっているとも読める。なお、開催に合わせて既存交通インフラとの結節点をつくるような整備(あぶくま高原道路、福島空港滑走路延長)もなされている。
 このタイプの博覧会は、国や自治体によって描かれた地域計画との関係が強い傾向にあり、その中で交通インフラ整備の促進や、立地を反映した開発モデルを示そうとする戦略が伺える。
うつくしま未来博(2001) 山口きらら博(2001)
閉幕後の姿を想起させる会場地計画
 最後に、複数の用途を持った開発を整備目標としながら、分譲地を一切設定しない(すべて公有地)博覧会として、2001年山口県阿知須町で開催された「山口きらら博」を取り上げ、整備目標を同じとする前項の博覧会タイプと比較する。
 会場地(30ha)は、河口(井関川)に接する干拓地(250ha)のうち南東角の突端部に位置し、閉幕後、隣接する自然観察公園とともに、スポーツ交流拠点の開発が目指されている。交通インフラに関しては、先の事例で触れてきた博覧会と同様、開催に合わせて整備が進められている(山口宇部有料道路、山口空港滑走路延長・新ターミナル増築)。会場地計画では、当初から干拓地を区画していた道路が会場地境界に利用され、建築面積で見ると博覧会施設の6割近くが恒久施設として整備されている。加えて、閉幕後、サッカー場やラグビー場、親水公園になる予定の土地に、地盤改良や舗装等の工事が前倒しで進められており、開催時には、閉幕後のスポーツ交流拠点の輪郭がはっきりと浮かび上がっている。
 国際博覧会のような規模の大きなものにも見られるこのタイプは、分譲地を設定しないという点を活かして、閉幕後を見据えた整備を会場地全体で積極的に進めており、前項のタイプのように開発モデルを示すだけでなく、閉幕後のまとまった景観と用途を、開催時点で明確に打ち出そうとする戦略が読み取れる。 ・・・
 次回から最終回に向けては、記憶に新しい愛知万博にスポットを当て、開催に至るまで十数年に及ぶ紆余曲折のプロセスを、自然環境保全と地域開発との関係から概観する。加えて、これまで見てきた国内外の博覧会とも比較することで、博覧会が果たす役割を考えてみる。
たにだ・まこと/1971年生まれ。名古屋大学大学院修了。工学博士
※1)Parque Expo 98 S.A.『Parque Magazine Number 9』2000