食べもの文化考第2回
箸と日本人
江上いすず
(名古屋文理大学 健康生活学部 助教授)
箸の歴史
 箸と日本人との歴史はかなり古く、8世紀のはじめに編さんされた我が国最古の文献『古事記』の中で、高天が原を追出されたスサノオノミコトが樋河で川上から流れてきた箸や椀を見て、川上に人の住んでいることを知ったという話が出ています。平安時代には、宮廷の箸台に銀の箸と匙、ならびに柳箸と匙の二種類をのせて、ご飯は柳箸で食べ、そのほかのものは銀の箸で食べたと記録に残っています。江戸時代になると、箸は生活の多用さに合わせて、白箸(杉箸)、赤箸(銅の箸)、割り箸、塗り箸、塗り竹箸、高蒔絵の箸、象牙の箸、太箸、先細の箸、角箸、などといったように材質や形態など多彩を極めるようになっていきました。
 箸は用途によって使い分け、調理箸としては、主にお刺身の盛り付け用の「真魚箸」や、炒め物や揚げ物などの際に用いる「菜箸」があり、食事の時には「御膳箸、取り箸」というように区別されます。「御膳箸」は食べ物を直接口に運ぶ箸で、白箸、塗り箸、割り箸などを総称し、「取り箸」はお座敷でお客様の食べる料理を取り分けるのに用いられ、竹箸がよく使われます。
 箸の語源は、@人間と食物を結ぶ「橋渡し」の意味からの説、A間に挟むという「挟むもの」からの説、B神様や人の生命が宿る「柱」からの説、C鳥の嘴(くちばし)のように、食物をついばむ姿に似ているところから「嘴のハシ」からの説、D箸の元の形は、一本の竹を半分に折り曲げたピンセット型の折箸で、折箸は今でも神事に使われていることや、箸という字が竹かんむりを用いるのも古来の箸が竹製であったことから、端と端を向き合わせる「端」からの説など、いろいろな説があります。現在も神饌(神にお供えする飲食物)にはまず御箸を供え、神様とヒトを結びつける大切な道具として使われています。神様に感謝を捧げる箸は、人と神を結ぶ「橋渡し」の道具として、常に特別な存在となっています。
箸の文化
 食事で使用する道具で世界を区分すると、カトラリー(cutlery: ナイフ・フォーク・スプーン類)文化圏である欧米・ロシア、手食文化圏である東南アジア・中近東・アフリカ、箸食文化圏である日本・中国・台湾・韓国・北朝鮮・モンゴル・ベトナムなどの3つに大別できます。しかし、中国や朝鮮半島の箸と日本の箸とは形、材質が違います。日本の箸は、挟むことを中心に、のせる、すくう、押さえる、ほぐす、裂く、はがす、包む、運ぶ、さらにかき混ぜることなど、多種多様な機能を一膳の箸だけでこなすために、箸先が細くなっています。
 中国や朝鮮半島での箸の使い方はレンゲや匙との共用であり、日本でいう取り箸のような役割を果たすために、一般的に長く、先が太い、平べったい、金属性というものが主流となっています。また、日本の「マイ箸」という習慣は、ナイフやフォークを使う欧米では存在しません。箸を使う中国や韓国でも、いくつかの箸を皆で共用して使います。それだけ、日本人には自分の箸への愛着と思い入れがあり、中国から伝わってきた箸ですが、日本独特の食文化を築いたと言えます。
 箸は神事に使われるたびに新調して、何度も繰り返して使うということはなく、使いきりが常識でした。平安時代に宮廷儀式用に銀製の箸が登場し、その後漆塗りや柳の箸がつくられるようになり、反復して使う日常の道具として定着していきました。
 江戸時代になり、そば屋やうなぎ屋などの外食産業が盛んとなり、使い捨ての箸として割り箸がつくられるようになりました。神事で使われる神聖な意味合いからの使い捨てから、マイ箸、そして割り箸へと使用方法が広がっていきました。この割り箸の考え方は、まさに、外出時でも自分専用の箸を使いたいという最たるものではないでしょうか。だれも使用していない箸(一目瞭然)を自らがその場で割って使う。食事が終わったら、半分に折って捨てれば二度と使うことはできません。清潔好きの日本人には割り箸は非常に受け入れやすかったと思われます。ただ、現在は環境問題で、割り箸が過度の森林伐採を助長しているという観点から、割り箸論争が一時盛んになり、携帯用の箸を持ち歩いている方もいるようです。しかし、割り箸をティッシュペーパーにリサイクルしている仕出屋もあり、日本の食文化として、上手に生き抜いていってほしいものです。
 最近、コンビニ弁当などでは、プラスチック容器の幅に合わせた割り箸が付いていますが、箸の長さが短くて非常に使いづらく、見た目にも上品な食べ方とはいえません。やはり、洋服や靴に自分のサイズがあるように、お箸にも人それぞれの手に合ったサイズのものを使用したいものです。お箸の長さは手の大きさに応じて決まってきます。親指と人差し指の間を直角に広げ、親指の先と人指し指の先を結んだ長さを一咫といい、本人の身長の1/10に相当します。この一咫の1.5倍の長さがちょうどよい箸の長さで、身長から割り出すと、身長の約15%が、その人の適切な箸の長さになります。「夫婦箸」をはじめ、日本の食器には「夫婦茶碗」や「夫婦湯呑」のように性別があります。男性と女性では手の大きさが違うので、手で持つ食器の大きさが違うのは当然のことだと思いますが、「性別のある食器」は世界でも稀な存在のようです。これも日本の細やかな心遣いが感じられる食文化といえましょう。
お箸のマナー
 俗に「箸の上げ下ろしにまで小言をいう」といいますが、欧米人にテーブルマナーがあるように、日本人としても日本料理での会食では、最低限のお箸のマナーは身に付けておきたいものです。箸の取り上げ方は、図のようにすると非常に優雅で落ち着きがあります。お箸の正しい使い方ですが、二本の両方を動かすのではなく、下の箸を固定し、上の箸だけを動かします。箸先1.5〜3cmのところを使い、あまり汚さずに食べることが基本とされています。昔から「箸先五分、長くて一寸」などとも言われています(五分は一寸:約3cmの半分で約1.5cm)。むかし、宮中で御膳が出た折、小笠原流の方が食べ終わったあとの箸を見ると、箸の先が二分(6ミリ)とは汚れておらず、箸使いの見事な巧みさを箸の先の汚れ具合で判断したという話があります。また、その二分しか汚れていない箸に気がついた公卿たちも、箸使いには相当神経を使っていたことのようでした。
 公家や僧侶の間で発達した料理の美学が武家や一般の人々の間に普及し、料理の食べ方の作法が生まれるようになったのは、足利時代の末期、天文年間ごろ(1532-55年)のことといわれています。この時代の食事作法が後々にまで伝承され、江戸時代の後期に出版された『貞丈雑記』では不作法な箸使いの例があげられています。現代にも通用する箸使いのマナーとして、嫌い箸の一部を紹介しましょう。
●移り箸:「菜の菜」ともいい、おかずを一口食べたら、その次はご飯を食べ、おかずからおかずに箸をつけるのは不作法(おかずはご飯につけて出されたものであるから、ご飯を味わうのが第一であるという考え)。
●菜越し(膳越し):おかずを持ち出された順に食べずに、前にある皿を越して、向こうにあるおかずに箸をつけること。
●まどい箸(まよい箸):どのおかずを食べようかと、あれこれと箸をつけ、まよいうろたえること。
●箸なまり:一つのおかずをいつまでも食べ続け、埒のあかないこと。
●よこ箸(もぎり箸):箸についたご飯粒やおかずを、箸を横にして、口でなめ取ること。
●探り箸:器の中に、なにか自分の好物はないかと箸でさぐること。
●うら箸:食べようと箸をつけておきながら止めること。
●込み箸:口いっぱいに料理を箸で詰め込むこと。
●寄せ箸:箸で遠くにある食器を手元に引き寄せること。
●膳なし箸:膳の向こうにあるおかずを、器を手で持たないで腕を伸ばして食べること。
●「箸先は一寸しめすもの也」:箸は長くぬらさぬこと。
食育としてのお箸の文化
 正しくお箸を使う人は、家でのしつけをきちんと受けてきたという印象を持ちます。箸使いだけでなく、しつけがしっかりとゆきとどいている学生を見ると、どんな育て方をしたのだろうかと想像したくなります。反対の場合もまた、しかりです。現在、食育がクローズアップされていますが、一昔前の日本の家庭では、箸使いや食卓の礼儀については非常に厳しかったと思います。現在は家族で一緒に食事をするという回数が減ってしまい、自分の好きな料理を好きなように食べることで、栄養の偏りが生じることもあり、また食事マナーが身に付かないなどという弊害もあります。食卓は家族の良好なコミュニケーションを高める場であり、親が手を取り、箸の使い方を教えれば、マンツーマンの家庭教師となり、食卓が家庭内での教育の場として機能し、親子の絆も深まっていくでしょう。日本古来の独特の文化が親から子へ、その子が親となって、また子に伝えていく。マイ箸を大事に上手に、正しく使うことで、日本人の礼儀作法や美意識、器用さ、そして食文化を、「心のみなもと・命のみなもと」として伝承していきたいものです。
参考文献 平野雅章:『日本料理探求全書』(東京書房社、1979)
えがみ・いすず|専門はライフステージ栄養学。最近のレポートに、壮年期男性におけるライフスタイルと血清総コレステロールとの関連、医学と生物学(2005)、Associations of lifestyle factors with bone mineral density among male university students in Japan, Journal of Epidemiology (2003)