保存情報第55回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 三の丸庭園・下茶屋公園 林廣伸/蒲ム廣伸建築事務所


三の丸庭園


下茶屋公園


所在地 名古屋市中区三の丸3


所在地 名古屋市中区橘2
■発掘者コメント
 名古屋の中心市街地も時代の流れのなかで時々刻々その姿を変貌させているが、慶長15年(1610)の名古屋城築城に始まる、いわゆる「清洲越し」によって形成された祖形を随所に確認することができる。正徳4年(1714)作成と推定される「尾府名古屋図」と見比べてみても、城郭の縄張りや堀川はもとより、碁盤目状の街区はよくその原形を保ち、桜天神・若宮八幡宮・政秀寺・高岳院・建中寺・相応寺等々の社寺も境内地の形状・規模は変わっているが、現在地と同一位置に認められる。 今回はそのような名古屋の原景と歴史を伝える二つの庭園を訪れてみた。  その一つは、久屋大通北端の久屋橋を渡ると、すぐ右手、外堀と名古屋市公館との間にある「三の丸庭園」である。ゴロタ石を敷き詰めた涸池の廻りに巨石の石組みで護岸を造り、中央部には石橋を架け、最深部ではやはり巨石で、枯滝の石組みを造っている。  ところで、この地は正保4年(1647)の「名古屋城図」では侍町とあり、重臣たちの武家屋敷が建っていたと考えられ、藩主の庭園との関係が疑問視されるが、『名勝史跡 名古屋城の庭園』によれば、明治期に二の丸庭園の一部を移築したとのことである。そうしてみると、外堀側の土塁頂部に建つ『于時文政二年「西行堂」己卯五月築之』と刻まれた石碑もどこからか移設されたものであろうか。
 もう一つは名古屋テレビ社屋北側にある「下茶屋公園」である。池を穿ち、築山を設けて起伏を演出し、池の畔には大振りの石灯籠や細身の十三重の塔を配している。こちらは地史が明確で、「尾府名古屋図」では「東本願寺掛所」とある。もとは東別院新御殿の後庭で、「尾張名所図会」に相当部分を見ることができる。また、古渡城の跡でもある。なお、北側の石積みは別院北側のそれと同種で、かつて同一敷地であったことを物語っている。
 いずれも都市公園的整備が混在しているのは少々残念であるが、喧噪の都心にあって、静寂感の漂う貴重な歴史環境だと思う。蛇足ながら、どちらも入園料はいりません。
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 起雲閣 石井信吉/石井建築事務所


緑豊かな庭園と美しくたたずむ建築


玉姫・玉渓


玉姫
■発掘者コメント
 起雲閣は大正8年(1919)海運会社などを経営し、その後政治家として活躍した「内田信也」が母親のため立てた別荘で「湘雲閣」と名づけた。創建当時の建物としては正面入り口の門、母屋(麒麟)、居間(孔雀)が現存している。大正14年(1925)には東武鉄道など多くの会社の経営をしていた「根津嘉一郎」が買取り、別荘として、洋館二棟を増築、併せて庭を現在の姿に整備した。
 旅館になったのは、戦後の昭和22年(1947)で、金沢の湯涌温泉「白雲楼ホテル」の経営者であり、大正、昭和の政・財界で活躍した「桜井兵五郎」が買取り「起雲閣」と名づけ、熱海を代表する料亭旅館となった。旅館になって、内田氏の建てた母屋と居間は前記の( )内の室名で、根津氏の建てた洋館はローマ風浴室を備えた洋館を「金剛」、母屋に接続した洋館は「玉姫、玉渓」の名で客室に供された。
 営業中は、政財界人、有名作家等の利用や、囲碁、将棋の対局などに利用された。
 平成12年(2000)熱海市が買収、市の有形文化財に指定し、維持管理を行い、一般公開している。
 特に「玉姫、玉渓」の部屋を持つ洋館が興味深い、この建物は昭和6年(1931)着工、翌昭和7年(1932)に完成したもので、居間、食堂、サンルームの三室から成り立っている。各室の詳細は紙幅の関係で紹介できないが、写真をご覧いただきたい。
休館日 水曜日(祝祭日の場合は開館)
     12月26〜30日
所在地 熱海市昭和町4-2
アクセス 徒歩:JR熱海駅より約20分 
      タクシー: JR熱海駅より約7分 
      バス:JR「熱海」駅より「ひばりヶ丘」「紅葉ヶ丘方面(2番乗場)約15分「天神町」下車徒歩2分 JR「熱海」駅より「相の原団地」方面(3番乗場)約15分「下天神町」下車すぐ 湯〜遊〜バス「起雲閣」下車
問合せ先 TEL 0557-86-3101 
       FAX 0557-86-3102