博覧会と地域開発 第3回
会場地の立地からみる博覧会の「型」
谷田 真
(名城大学理工学部建築学科講師)
繰り返される博覧会
 今回から2回にわたり、1970年から2001年までに、日本で開催された博覧会のいくつかを取り上げる。1970年の大阪万博以降30年近くの間に、筆者が把握しただけでも、89件の博覧会(博覧会国際事務局(BIE)が認定し、政府が関与する国際博覧会、地域振興を目的に地方自治体が関与する地方博覧会、関係省庁や経済団体が推進する各地持ち回りの博覧会などを含む)が、日本列島のさまざまな都市や地域で開催されている。特に1989年前後は、市制施行100周年を迎える自治体が多く、その記念事業として博覧会が企画されており、開催数のピークが形成されている。
 こうした博覧会(特に地方博覧会)は、入場者数や興業としての収支で評価されることが多いが、博覧会と地域開発の観点からみれば、会場地計画や地域計画の分析が不可欠である。そこで今回は、地域開発と関連する博覧会を抽出するために、会場地の立地と展開から博覧会を分類する。
多様な立地と展開をみせる会場地
 会場地の立地から従前の用途に注目すると、既存施設(博物館、展示場、空港、下水処理場、公園、城、スポーツ施設、工場、港など)を利用するケースが8割近くを占めた。既存施設の中には、開催にあわせて新築、増築などの整備が加えられるケースも含まれているが、特に多かったのは公園や緑地を利用する博覧会(以下、公園型博覧会)であった。既存施設を利用しない残り2割のケースは、従前の用途が埋立地や丘陵地、河岸段丘などで、造成され更地となっている会場地であり、閉幕後に地域開発が進められる博覧会(以下、開発型博覧会)であった。開発型博覧会の開催数は決して多くないが、コンスタントに開催されており、地域開発のきっかけ事業としての役割を果たし続けている。
 会場地の展開からその設定数に注目すると、1カ所の会場地のみで開催される博覧会(以下、拠点型博覧会)と、複数の会場地で開催される博覧会(以下、連携型博覧会)があった。連携型博覧会は、メイン会場とサテライト会場で構成されるケースが多く、1990年代に入ってこの型の開催数が増える傾向にあった。そこには、パビリオンを詰め込む拠点型博覧会ではなく、広域につなげていく連携型博覧会により、地域の活性化を達成しようとする手段の変化が垣間見える。
環境修復へとシフトする公園型博覧会
 会場地として利用されるケースの多い公園や緑地も、その成り立ちはさまざまである。開催前に恒久施設の整備が全く加えられない公園がある一方で、管理棟や温室、遊具などが恒久施設として整備される公園も見受けられた。中でも、都市公園を会場に各自治体持ち回りで開催される全国都市緑化フェアー関連では、整備規模が大きなケースも目立った。例えば、1990年に大阪市の鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会(大国際園芸博覧会)」では、約10haの庭園、7000u程度の展示場3棟や迎賓館、タワーなどが、恒久施設として残された。閉幕後は「国際都市大阪にふさわしい花と緑の国際都市公園」として地域計画の中に位置付けられている。また、2000年に兵庫県淡路町の明石海峡公園と淡路島公園で開催された「ジャパンフローラ2000(国際園芸・造園博覧会)」は、大阪湾岸や関西国際空港といった埋立地への土砂採掘地を、公園へと環境修復するプロジェクトの一環として開催されている。
 いずれも公園や緑地が利用されているが、博覧会との関係は、時代に合わせた戦略の中で変化している。「ジャパンフローラ2000」のように積極的な環境修復を見せるケースは、公園型博覧会が果たす、新たな役割のひとつと言える。
公園型博覧会「国際花と緑の博覧会」(1990) 公園型博覧会「ジャパンフローラ2000」(淡路島公園)
公園型博覧会「ジャパンフローラ2000」(明石海峡公園)
新たな地域資源を創出する連携型博覧会
 1993年に開催された「アーバンリゾートフェア神戸’93」や「TAMAライフ21」、1994年から1995年にかけて開催された「平安建都1200年記念事業」や「但馬・理想の都の祭典」では、会場地を地域全体に分散させ、問題提起型のテーマ(環境、過疎、歴史など)を掲げて地域の活性化を促している。  「アーバンリゾートフェア神戸’93」では、神戸市全体で500以上のイベントが企画され、それらを実施する実行組織も100以上つくられるなど、博覧会を機に新たな人的ネットワークが形成されている。「TAMAライフ21」でも、市民・大学・企業などが多摩地域の市町村・東京都と連携し、これからの100年を展望したまちづくりの運動を展開している。また、整備途中の施設を効果的に活用することで、閉幕後の整備促進に貢献している。  「平安建都1200年記念事業」や「但馬・理想の都の祭典」では、都市(京都府全域)と田園(但馬地域全域)という立地の違いはあるが、それぞれの地域事情を考慮した施設(展示場、スポーツ施設、レクリエーション施設、宿泊施設、公園など)が恒久施設として多数整備されるとともに、それら施設の連携によって博覧会閉幕後まで継続するソフト事業が計画されている。  いずれのケースも、従来の会場を1カ所に限定した博覧会とは性格を大きく異にしており、「博覧会」という名を借りた地域づくり、まちづくりであると言える。
開発型博覧会「国際科学技術博覧会」(1985) 開発型博覧会「瀬戸大橋博’88四国」(1988)
地域計画と密接にリンクする 開発型博覧会
 これまでコンスタントに開催されてきた開発型博覧会は、都市や地域のグランドデザインと密接な関係にある。地域開発の方向性としては、企業の集積を目指す博覧会と、地域の中の拠点として複数の機能をもった施設整備を目指す博覧会に分けられる。
 企業の集積を目指す博覧会に関しては、工業団地のような計画を、広く世間に知らしめる役割が期待されていると思われるが、その中には博覧会が影響したと考えられる特徴的な会場地計画も見受けられた。1985年に茨城県の筑波研究学園都市内で開催された「国際科学技術博覧会」では、会場地の2割程度を占めるエキスポパークが、科学万博記念公園として残されており、閉幕後の研究所や工場が並ぶ単調な風景に変化を与えている。1988年に瀬戸大橋架橋記念として、香川県坂出市で開催された「瀬戸大橋博’88四国」や、1997年に鳥取県境港市で開催された「山陰・夢みなと博覧会」では、開催時に整備されたレクリエーション施設や公園が残され、閉幕後の工業団地に組み込まれている。
 地域の中の拠点を目指す博覧会に関しては、国際博覧会、地方博覧会といった開催規模にかかわらず、地域計画との関係の中で会場地計画がたてられている。  
 次回は、この開発型博覧会にスポットを当て詳しく分析する。
たにだ・まこと/1971年生まれ。名古屋大学大学院修了。工学博士
※1)Parque Expo 98 S.A.『Parque Magazine Number 9』2000