新連載 食べ物文化考
心のみなもと・命のみなもと
牧野登志子
(金城学院大学 生活環境学部)
はじめに、食文化とは
 食べ物文化と聞くと、私たち日本人は、何時の頃からか、4本足で歩く牛や豚の類を食べなくなって(主には仏教の伝来、普及に起因していると思われるが)、そうしてその後、久しく口にしていなかった獣肉食をどのような経緯で再び食べるようになったのか。あるいは、西洋料理の普及やパン食の普及の歴史など、主に食生活の変遷に思いを巡らせます。
 最近の名古屋のメジャー化によって、櫃まぶしという、うなぎ料理が全国区の話題に上ることになったのですが、はて、その料理名の謂われは何であったのだろうかとか、きし麺の名前の由来は元を辿れば、雉麺であるなどなど、と各人各様が思い思いに、食べ物についての種々な事柄に考えを膨らませます。
 しかし本来、「食文化」の学問的な領域は、およそ、ヒトと食物との関わり全般に及び、食物の生産、流通、調理、歴史的背景など、食に関するあらゆる文化面の研究を対象としているのです。もともとは、文化人類学(民俗学)の分野で研究され、世界各地の食生活の歴史、実態を比較、検証することによって、その地に根付いた文化の根源を探ろうとしたものです。
 このシリーズでは、食文化の中でも、特に、日本人の主食である「コメ文化」にスポットをあて、世界の穀物生産分布などとも関連付けて話を進めていきたいと思っています。
 食文化はひとの住んでいる土地、すなわちその地形、そこから派生する地理的条件や歴史などの風土に根ざしたものであり、なかでも、最大の要素は気候(気象条件)です。
コメ文化と小麦文化
 世界中で主につくられている穀物(日本の食文化を中心に論ずるために、「主食」と呼びます)を大雑把にあげると、米・小麦・とうもろこしの3つに分類されます。それら穀物の生産地の分類は主にその土地の気候によって決まります。とうもろこしの生産はアメリカ合衆国が突出していますが、残念ながら、アメリカではとうもろこしがあまり消費されていません。米と小麦については、生産地と消費地は、おおむね一致しています。
 私たち日本人は「あなたの国の主食は何?」と聞かれたら、大部分の者が躊躇なく「ご飯」と答えるでしょう。ところが、日本以外の世界中の多くの人々はこの質問の答えに困るといわれています。それどころか、主食という概念を持たない国民が大部分なのです。
 日本型の食事といえば、一汁何菜といわれるように、主食のご飯に汁物、それにいくつかのおかず(副食)という形で出されます。
 ところが、ヨーロッパでは厳しい気候・風土のため、日本の「米」のように、大量に安定供給できる食糧の生産は困難で、小麦を原料としたパンだけでなく、ジャガイモなども含めて主食・副食の区別なく、なんでも食べてきているのです。国の歴史が浅く、人種のるつぼとわれる多民族国家のアメリカでも、多くの食文化が入り乱れて、明確な主食の概念はなく、日本のような決まった食のスタイルは確定されてはいないようです。
コメと日本人
 私たちの祖先は米をつくる以前は狩猟や採集、それに畑作によって雑穀や芋などをつくっていたと思われます。米は縄文時代に大陸から伝来し、日本の気候、風土に溶け込んで、縄文時代末期から、弥生時代にかけて、水稲を中心に日本各地に広まったと考えられています。
 ところで、米づくりの方法には水稲と陸稲があり、陸稲は他の作物と同じく焼畑で栽培されますが、水稲は手間をかければ収穫も上がり、連作も可能であります。こうして、水稲はアジアモンスーン地域にある日本の気候、風土ともぴったり合って、人々は一カ所に定住して米づくりに勤しむようになったと思われます。
 ところで、これは案外知られていませんが、米は単にデンプン(糖質)だけを供給する食品ではなく、なかなか良質なたんぱく質や、ビタミン類なども多く含んでいます。しかも、そのたんぱく質は魚に匹敵するくらいのもので、小麦やとうもろこしのように、肉や魚などのたんぱく質に頼らなくても、我々人間にとって必要なたんぱく質の供給が、容易であるといわれています。
 では、稲をつくる人は自給自足によって、米を主食としていつも食べていたのでしょうか? それは、否であります。稲は手間をかければ、多くの収穫が望め、その上、保存性も良いことから、やがて、支配者の搾取の対象となっていったのでした。
 とりわけ、武家支配の社会では、米一石が人ひとりを養うための扶持米などといわれ、米は貨幣と同等の役割を果たしたものと思われます。多くの農民は米をつくっても、毎日思う存分に米食を享受できた訳ではなく、当時の農民たちはさぞかし、たまのハレの日にありつく白いご飯の旨さに憧れたことでありましょう。
 それにしても、米は「ご飯」に炊いた後はまことに保存性が悪く、ほぼ毎日炊かなくてはなりません。かまどで飯を炊くための土間等はお米文化の産物といえます。毎日、白いご飯を享受できた近代の日本人も、飯にありつくための重労働に毎日毎日、翻弄され(?)、米づくりの労力の大変さとともに、勤勉な日本人気質を生む要因のひとつとなったかもしれません。しかし、今は電気炊飯器のスイッチを押すだけで手間いらずに、ご飯が炊けます。

かまど(昔の炊飯器)         中世のパン焼き           ナンを焼く工場   
小麦と日本人
 次に、米と対比して小麦について考えてみましょう。小麦は紀元前7000年頃メソポタミア(今のイラクあたり)で栽培されたのが始まりであるといわれています。米は籾殻からするっと中の実だけをはずすことができますが、小麦は籾が実に入り込んでいるため粉に引いてから、パンに焼かなくてはなりませんでした。ちなみに、インドなどでカレーとともに、食べられているナンも、パンの一種であると、いわれています。
 パンは飯よりずっと保存性が良いので、小麦文化圏の人々は毎日パン焼きをする必要はありませんでした。日本でのパンの歴史も始めは外国が攻めて来た時に備えるための、兵糧用のパンでした。米は、戦地に携行することはできても、炊かなければそのままでは食べられません。しかも、飯を炊くときの煙は敵にとっては格好の標的にもなります。その点、固いパンは携行可能で、保存性にも優れていました。
 次に、小麦には米よりもたくさんのたんぱく質が含まれていますが、その、たんぱく質はあまり良質のものではありませんでした。したがって、動物性食品と組み合わせて食べることが必須条件でありました。小麦文化と畜産はこうして密接なつながりを持ちながら発達して行ったのです。  長い間、私たちの主食であった米に取って代わる程の小麦の普及は、明治維新以降の経済の発展による食生活の多様化によって、米以外の動物性食品から、良質のたんぱく質を供給できるようになったこととおおいに関係しているといえます。
 そうして、米づくりに根ざした、日本人の生活習慣も一大転換期を迎えることとなったのです。
 営々と何代にもわたって米をつくり守って来た日本人は、米から離れるとともに、こころ模様の面でも様々な変貌を遂げてきたのです。
まきの・としこ/専門はライフステージ栄養学。
最近のレポートに「Generation of Reactive Oxygen Species and Induction of Apoptosis of HL60 Cells by Ingredients of Traditional Herbal Medicine,Sho-saiko-to.Basic &ClinicalPharmacology & Toxicology 2006,98 Protective effect of NADP-isocitrate dehydrogenase on the paraquat-mediated oxidative inactivation of aconitase in heart mitochondoria. Enviromental toxicology and Pharmacology.」