保存情報第54回
登録有形文化財 志田邸(志田家住宅主屋) 森口雅文/伊藤建築設計事務所

志田邸外観。

志田邸内観。箱階段と蔀戸

志田家の屋号の
染め抜かれた暖簾
■発掘者コメント
 当主の志田威氏とJIAや本誌の保存情報について話すうちに、蒲原町にある志田邸を案内していただくことになった。蒲原町は、駿河湾で最も奥深い海岸沿いに広がる東西約6.4kmの細長い町で、東海道五十三次の時代から交通の要所として栄えた歴史のある宿場町です。蒲原が江戸から数えて15番目の宿場町に指定されたのは1601年とされています。雪などめったに降らない温暖な土地柄ですが、安藤広重の東海道五十三次では何故か「蒲原夜之雪」と題し静かな雪景色で描かれています。
 志田邸はJR東海道線新蒲原駅から西へ徒歩7〜8分の所にあり、旧東海道に面しています。蒲原宿の東木戸から西木戸626間(約1.140km)の中央からやや西木戸寄りにあり、地元では蔀戸のある家として紹介されています。住宅主屋(建築面積194u)は、2001年(平成13)8月28日に国登録有形文化財の指定(登録番号第22-0074号)を受けています。
 志田家は、屋号を「やま六」と言い、醤油醸造元の商家でした。1946年(昭和21)の農地改革までは小作人を抱える地主でした。住宅主屋は安政元年の大地震の翌年1855年(安政2)に建て直しされた蒲原町最古に属する町屋で、木造2階建切妻造平入り瓦葺で、2階は厨子で箱階段が設けられています。間口3間半、奥行き7間半で、店の間、中の間、奥座敷と、通り土間1列型の典型的な町屋形式です。西側の平屋部分は間口3間、奥行き5間で、昭和初期に建て増しされたもので、板の間と奥座敷になっています。奥には石造の農機具庫や土蔵、木造の醤油の醸造所が残されています。
 保存はまず残すことに始まるといわれていますが、すでにその使命を終えた建物を生かしながら残すことの難しさはここでも例外ではありません。現在は、「東海道蒲原宿の会」に管理を委託して展示場や文化講演会の会場として利用されています。訪ねた時は「志田家の衣類関連展」が開催されていました。

所在地 静岡県庵原郡蒲原町蒲原柵(しがらみ)
*2006年4月1日より静岡県静岡市清水区蒲原3丁目19-28
問合先 志田邸(TEL 0543-85-7557)
休  業 毎週火、水曜日と年末年始
登録番号 第22-0074号
登録有形文化財 名古屋テレビ塔 三輪邦夫/RE建築設計事務所

鉄筋コンクリート製交差アーチ

2006年現在

建設当時
提供・名古屋テレビ塔(株)
■発掘者コメント
 名古屋テレビ塔は名古屋市中心部、栄の久屋大通公園の中に建っている。戦災復興事業の一つとして愛知県、名古屋市、中部財界、NHK、民間放送など官民あげての支援協力で、まだ戦災の焼け跡が残る1954(昭和29)年6月に完成した。日本で最初のテレビ放送用集約電波鉄塔であり、展望台、その他の観光施設を設けた近代的な文化施設でもある。高さ180m、脚間35m、展望台まで90m。構造設計は内藤多仲(早稲田大学教授)。将来、地下鉄南北線の建設が計画されており、久屋大通公園は名古屋城から熱田神宮につながる名古屋市内で最も地質がよいことから、基礎は深掘りせず鉄塔4本の柱脚を巨大な鉄筋コンクリート製交差アーチで結合させ塔の安定を図る、いわゆる「だるま」式基礎構造が採用された。その後、内藤は大阪通天閣(1956)、札幌テレビ塔(1957)、東京タワー(1958)などを設計している。 
 時代はアナログ放送からデジタル放送へ。開業44年(1998)で入場者数3000万人を達成するなど名古屋市中心部のシンボルとして親しまれている名古屋テレビ塔は、2003年瀬戸市に新たに建設した瀬戸デジタルタワーが電波塔として利用されているため、2011年をもって電波塔としての役目を終える予定である。今後どのような文化施設にリモデルしていくか楽しみである。

設  計 内藤多仲(構造)、日建設計(意匠)
施  工 竹中工務店他(専門分野別に7社)
構  造 S造およびRC造
建設年 1954(昭和29)年6月
所在地 名古屋市中区錦三丁目6-15
アクセス 地下鉄「栄」又は「久屋大通」から徒歩5分 登録番号 第23-0188号