第2回
博覧会と地域開発
ヨーロッパで地域開発とともに 開催された三つの博覧会
谷田 真
(名城大学理工学部建築学科講師)
愛知万博構想が迷走していた頃に
 今回は、1992年にスペインで開催されたセビリア万国博覧会(以下、セビリア博)と、2000年にドイツで開催されたハノーバー国際博覧会(以下、ハノーバー博)を取り上げ、前回考察した1998年開催のリスボン国際博覧会(以下、リスボン博)も含め、ヨーロッパで開催された地域開発と関連する3つの博覧会を、会場地計画と閉幕後の姿という観点から比較する。
 日本では、1990年代に入り愛知万博開催に向けた動きが活発化するが、当初発表された地域開発と関連する万博構想は、市民団体や環境保護団体による反対運動、組織体制の変化等により、大幅な修正が繰り返され迷走する。
 今回取り上げる、ヨーロッパにおける3つの博覧会が開催された年代は、愛知万博構想が迷走していた年代と重なっており、そうした背景も踏まえ考察する。なお、愛知万博構想に関しては、第5回と最終回で詳しく取り上げる予定である。
ハイテク産業の集積を目指したセビリア博
 セビリア市は、スペイン南部、アンダルシア州の州都であり、その市街地西側を流れるグアダルキビール川の分流点(カルトゥハ島)約430haが開発地である。国内でも先端技術産業の発展が遅れた地域であったアンダルシア州政府は、当時未利用地(荒れ地、一部農地)であったカルトゥハ島にハイテク産業が集積するテクノロジーパーク(南北に伸びた敷地の南側に企業・研究所等の主要エリアを、北側に公園、スポーツ施設等のエリアをゾーニング)を計画し、博覧会会場地210haがその主要エリアと重ねられた。  また、博覧会開催に合わせてセビリア空港、マラガ空港の拡張や新幹線(セビリア〜マドリッド)、高速道路(セビリア〜レバンテ〜カタロニア)などの交通インフラが整備され、セビリア市に大きな恩恵をもたらした。

1992年に開催されたセビリア博の会場地計画
@条件付きで施設を残した会場地計画
 施設整備にあたって、地域開発を促進させる組織(Cartuja93)は、出資者に対し先端技術産業の誘致を条件に残置を許可した。結果的に、建設費、撤収費、売却費のバランスを鑑みて、会場地の6割近くの区画で恒久施設が採用されることになる。ただし、当初のもくろみである外国の企業を誘致した施設はわずかであり、ほとんどの施設でスペインの企業が入居している。
A施設が散在するテクノロジーパーク
 閉幕後9年を経たかつての会場地を見た。調整中も含め有効利用できていない区画が3割程度残っており、施設と更地がモザイク状に散在する景観がテクノロジーパークに沈滞感を漂わせていた。また、残された施設も、本来は博覧会のためにつくられた施設であり、用途転換されても変わらない外部デザインに違和感が見られた。

違和感のあるデザイン(セビリア博)

沈滞感が漂う景観(セビリア博)

転用される恒久施設(セビリア博)
開発にメッセ会場を活用したハノーバー博
 ハノーバー市は、北ドイツ、ニーダーザクセン州の中心都市であり、「見本市の都市」として年間300万人を集めている。この資源を活かし、さらなる発展を望んだ市や州は、メッセ会場に隣接した土地300ha程度を開発地(南北に伸びた敷地の南側に娯楽、教育施設が中心に集積するエリアと、先端技術産業が中心に集積するエリアを、北側に居住、公園等のエリアをゾーニング)とし、その南側150ha程度を博覧会会場地にあてた。
 交通インフラとしては、既設の鉄道(Uバーン、Sバーン)がメッセ会場への北側と西側からのアクセスとして整備されていたが、このうちSバーンを新幹線(ICE)が停車できる駅舎に改良している。また、東側からの新たなアクセスとして、開発地を縦断する鉄道(ライトレールウェイ)が整備されており、メッセ会場と周辺地域の利便性を向上させるとともに、駐車場の削減による緑地の増加にも貢献している。
@効率的な会場地計画  地域開発を促進させる組織(EXPO GRUND GmbH)は、会場地の7割近くの区画を占めるメッセ会場を活用しながら、残りの区画で博覧会のために整備される施設を、すべて恒久施設として計画した。さらに、リスボン博で用いられた出資方法(開幕前から閉幕後の出資者を募ることで、開発地の景観と施設用途を計画時点で示す方法)が採用されるなど、既存の資源を背景に、地域開発の姿を手戻りなく打ち出す会場地計画となっている。
A環境に配慮する視点  閉幕後1年に満たない会場地は、メッセ会場を中心にビジネスパークとしてまとまった景観を見せていた。会場地計画で取り入れられた既存の資源や恒久施設の活用、また交通インフラ導入による駐車場の削減と緑化は、地域開発を促進させるだけでなく、環境配慮の観点からも評価されており、地域開発と関連する博覧会が果たす、新たな役割の一つとも言える。

2000年に開催されたハノーバー博の会場計画
開催を追うごとに効率化が進む会場地計画
 セビリア博の会場地計画では、先端技術産業の誘致とセットにした恒久施設を6割近くの区画で残し、地域開発の促進に貢献したが、出資者任せの方法は、施設が無秩序に並ぶ景観をつくり出し、用途と施設デザインの不一致など課題も残した。
 前回取り上げたリスボン博の会場地計画では、将来の副都心を見据えたまとまりのある施設配置計画、短期間で用途転換可能な施設のつくり方、閉幕後の所有者の要望が施設に反映できる出資方法など、セビリア博で残した課題が一掃されている。
 さらにハノーバー博の会場地計画では、リスボン博で用いられた出資方法を全面的に採用するとともに、既存の資源を活用することで新旧の相乗効果を狙っている。
 このように、開催時に整備した施設を恒久施設として活用するという方向性は同じでも、開催を追うごとに課題が克服され、地域開発を見据えた効率的な会場地計画へと変化している。加えて、環境への配慮の姿勢を示すなど、地域開発における博覧会の新たな有用性も垣間見える。
開発地の立地にみる愛知万博構想との違い
 博覧会が展開された開発地の立地を整理すると、セビリア博では荒れ地で利用されていなかった土地が、リスボン博では環境の悪化が著しかった土地が、ハノーバー博では高い集客力を持つメッセ会場に隣接した土地が選定されており、程度の差はあるが、いずれも地域開発が受け入れられていた土地であった。この立地条件を前提として、地域開発を効率的に進める会場地計画の工夫や、地域に恩恵をもたらす交通インフラの整備が成立している。
 愛知万博構想の場合、当初、ほとんど手付かずの自然が残る「海上の森」を中心に開発地(会場地)が選定されていたため、市民団体や環境保護団体による反対運動等が激化し迷走する。この時期、開催されていた今回の3つの博覧会とは対極的な立地条件であり、その意味では、万博構想を押し進める新しい方法の模索が必要とされていたと言える。
 ところで、これまで国内で数多く開催されてきた地域開発と関連する博覧会は、どのような立地のもとで展開されてきたのであろうか。次回から2回にわたり、1970年に開催された大阪万博以降の博覧会を取り上げ、国際博覧会と地方博覧会に分けて概観する
たにだ・まこと/1971年生まれ。名古屋大学大学院修了。工学博士
※1)Parque Expo 98 S.A.『Parque Magazine Number 9』2000