保存情報第51回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 両界山横蔵寺 福田一豊/福田建築事務所

本堂

三重塔

山門
■発掘者コメント
 谷汲山華厳寺は桜と紅葉の名所として知られ、多くの人が訪れる場所ですが、そこから少し足を伸ばすと、紅葉の時期以外あまり訪れる人が少ない、両界山横蔵寺という寺があります。華厳寺前から車で道なりに約7〜8分ほどでたどり着きます。道の終点にある寺の奥は自然の森(いこいの森)が展開し、境内は大木の中にいくつかの建物が点在し、深遠な雰囲気をかもし出しています。華厳寺の華やかさと対照的に静かな渋めのたたずまいを見せています。
 この寺は桓武天皇の勅命で伝教大師最澄が延暦20(801)年に創建した天台宗の寺で、伝教大師自作の薬師如来を祠っています。この地は中山道の赤坂の宿から約7里(30km)北に位置し横蔵街道という巡礼道があり、一里毎に薬師が祠られており修行には良い環境であったようです。
 飛鳥川という小さな川の朱塗りの太鼓橋を渡り左に折れると、瑠璃橋、山門、三重塔、香堂、本堂が山の傾斜に合わせて狭い敷地に建てられています。周りは大木が茂り建物を覆い隠していて、美しい景観をつくり、荘厳な雰囲気と静寂さを感じることができます。
 ここには人工の手を加えない妙心上人の舎利仏(ミイラ)が自然のまま舎利堂に安置され、また木造薬師如来坐像など22点の国の重要文化財も興味を誘います。本堂、三重塔、仁王門は県の重要文化財に指定されていますが、自然の木の肌がこの風景によく合っています。
 土産物屋もなく近所でつくられた農産物が無人の小屋に置かれている素朴さが気分をほっとさせてくれます。ここで買った菊芋の漬物のおいしかった記憶が甦ってきます。
所在地/岐阜県揖斐郡谷汲村横蔵地区 
建設年/本堂:寛文11(1671)年、和様、一重、方五間、檜皮葺、向拝付 
      三重塔:寛文3(1663)年、和様、三重、方三間、檜皮葺、軒の組物は三手先 
      仁王門:延宝3(1675)年、和様二重、三間二間、檜皮葺、楼門、2階は鐘楼を兼ねる 
公開状況・問合せ先/両界寺 TEL 0585(55)2811 
アクセス/JR大垣駅下車 近鉄揖斐線で「揖斐駅」下車、バスにて「横蔵」下車徒歩約5分。
       車は名神高速道路大垣インターから国道258号、21号・157号経由県道40号線を直進約15分
参考資料 横蔵寺パンフレット
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 平和を願う散歩道(清涼山栄国寺参道) 水野 威/ミズノ設計室

散歩道全景

西門より散歩道へ

本殿高欄
■発掘者コメント  
 名古屋市中区のほぼ中心、西大須、上前津、東別院、そして古渡の大きな交差点に囲まれたこの街区は、社寺の門前に形成された門前町(現在は橘町)として栄え、南に東本願寺名古屋別院、北西に西本願寺西別院があり、その他10数件の社寺が現在も残っている。南北に通る本町通りの筋には、昔から仏壇街といわれるほど、大小の仏壇店が軒を並べているが、昔ほど、その数は多くはないものの、他のまちの通りとは違った趣がある。また、寺や仏壇で使われる彫物、箔屋、具店、法衣などを取り扱い、またつくっている店も多く点在していたが、これも現在は半数ほどとなり、一抹の寂しさを感じる。
 その中に東本願寺西門を北へ200mほど行ったところに、この散歩道はある。太平洋戦争末期の昭和20年3月と5月の空襲にも焼失せず、仏徳の加護によるものといわれている。南門から西門へ通り抜けができる参道が、この平和を願う散歩道と名づけられ、短い距離ではあるが、西側に本殿、弁財天、地蔵堂などがあり、ぶらっと歩くと何か気持ちの落ち着くようで、私の好きな場所である。幹線道路に近いが、1、2本中へ入っているだけでこんなに静かなのだと驚く。
 画一的な整備された公園が多い中、まちのポケットパーク的な存在感があり、こんな空間がもっと多くあると良いではないかと思う。やはり地域に密着しているからなのであろう。
 最後に、ここは、尾張二代藩主、徳川光友公の頃、切支丹教徒の処刑場でもあったそうで、少し奥まったところに切支丹塚(別名、千人塚)がひっそりとたたずんでいる。その当時を思わせる踏み絵やマリア観音像などが境内の中にある博物館に収められ展示されている。散歩がてら足を運んでみてはどうでしょう。