新連載
心と建築
心がモノをつくり、つくられたモノによって心がつくられる、という前提の下、超情報化社会に突入しようとしている現代社会における「心と建築のあり方」を全6回にわたって考察する。
「心」の捉え方
武田 雄二
(愛知産業大学造形学部建築学科助教授)
 「超情報化社会の到来」という言葉を耳にしてもう久しい。家庭でいながらにして地球の裏側の出来事を知ったり、空の上から日本列島にかかる雲の様子を眺めることもできる。さらに、最近ではテレビに向かって買い物をすることも、銀行にお金を振り込むこともできるようになった。
 これらのいわゆる情報化社会の進展の中で、今まで得られなかった情報が得られるとともに、人々が受け取る情報の形態は大きく変化しつつある。すなわち、得られる情報のほとんどはブラウン管を通しての視覚情報であり、人間の眼に対する光刺激でしかない。
 建築の設計においても、コンピュータグラフィックスが設計内容の確認のための手段として広く用いられてきている。具体的にはコンピュータの中にモデルを構築し、それを写真のようにリアルに表現することによって、完成時の姿を想像しながら設計を進めていく手法が普及してきている。
 このような傾向は、設計行為における視覚偏重という事態を招きやすい。また、視覚によって得られる、そこでの情報も本物を視るということではなく、それを表現するブラウン管上の光の点の集合を視ることによるものである。
 これらの光の集合は、ある物を表わす一種の記号と考えられる。そして、この記号から本物を想像し、自分自身の頭の中にそれを実体として認識するためには、かなりの経験を要する。すなわち、その物を見ながら実際に触ったり、それらが空間の仕上げに用いられた際の、音の響きや熱に対する特性などを体感した者でないと、記号としての画像は意味を持たない。
 本来、建築空間は人間を包み込むものであり、人間の生理・心理に大きく影響を及ぼす。そして人間は五感をはじめとする、「心」のすべての働きによってその特性を捉えてきた。さまざまな分野で視覚情報が偏重されがちな現在、人間の「心のしくみ」を考え、あらためて建築空間を心の働きとのかかわりにおいて捉え直すことは意義があると思う。
 そこで、人間の「心」の入り口として「感覚」を捉え、その役割と特性を整理する。そしてそれらが建築空間を始めとし、自分を取り巻く環境をいかに把握しているかについて考える。さらに、心がモノをつくり、またつくられたモノによって心がつくられるのではないかと考える。このような考えに立ち「心」と「建築」の在りようを探る中で「心がつくる建築」、「心をつくる建築」について論を進めたい。


図1 仏教(唯識学派)と心理学各派の心の捉え方1)
心のしくみ
図2 ペンフィールドによる大脳皮質の機能分担4)
 古来、人間の「心」がどのようにできているのか、そのしくみを知ろうとする努力は多くの視点から営々と続けられている。そのような努力の一つは、「宗教」からの視点であり、「科学」の視点からは、「心理学」が主にその努力を行っている。
 もちろん、「哲学」においても、心のしくみを探ることは大きなテーマであり続けている。さらに、近年は人間の脳のしくみが明らかになるにつれ、「脳科学」の視点からも心の在りかやしくみについて研究・考察が進められている。
 このような努力の成果として、図1に仏教の中でも「心のしくみ」を精緻に見ようとする唯識学派による見方と、心理学のいくつかの学派による見方を示した。また、図2は脳の各部に電極をあて、それぞれが身体のどの感覚と対応するかを実験で求めた、ペンフィールドの成果を示している。
心の入り口としての感覚
 「心のしくみ」について、その深層にまで迫ろうとするのが、図1に示した各派の努力のように思える。ただ、それらのいずれもが感覚の存在を認め、それに対する刺激によって心が働く、という見方は各派に共通している。
 たとえば、一般に「五感」(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)と呼ばれる分類に対応するように、唯識学派には「前五識」(眼識・耳識・舌識・鼻識・身識)という分類がある。
 そこで、「感覚」を心の入り口として捉え、まず心理学や生理学の分野において明らかにされた、感覚についての事柄を整理する。次に、それらを基にして感覚の全体像をつかみ、「心のしくみ」を明らかにする足がかりとしたい。
(1)感覚の役割
 人間の「感覚」の役割は「置かれた状況下で自身の安全を確保するための情報を獲得すること」だと考える。そのためには、「感覚」によって「さまざまな状況下で必要な情報をすばやく正確に得ること」が必要になる。
 ここで「自身の安全」とは、自分を襲う敵から身を守ることだけではなく、自分が生きていく上で必要な食料や水を確保することも含む。
(2)感覚による認知の特性
 上記した役割を果たすために、人間の「感覚」による「認知」にはさまざまな特性がある。ここでは、そのうち刺激と反応の関係について述べる。
 一般に「感覚」による「認知」を起こさせる(喚起する)ためには、「刺激」が必要である。また、各種の感覚には、それに対する「適当刺激」と言う概念がある。たとえば、視覚に対する「適当刺激」は光であり、聴覚に対しては音である。
 また、この「適当刺激」によって喚起される「感覚」の「反応」の大きさは、一般に図3のようになる。この図は、刺激強度がある値以上で感覚による反応が生じ、また刺激強度がある値を超えると、「反応」の大きさはそれ以上増加しないことを示している。ここで、これらの境を表わす刺激強度の値を「閾値」と呼び、前者の値を「絶対閾」、後者の値を「刺激頂」と区別することがある。
 このことに関して聴覚を例にとると、音の強さがあまりに小さいうちは、音が聞こえない。しかし、ある強さ以上になると、強さの増加にともなって音が大きく聞こえる。ただ、強さがどんどん増大し、ある一定の値を超えると、非常に大きな音として捉えられ、音の強さの増大にともなう「反応」の大きさの増大は見られない。  なお、生物は自分が生きる上で必要な情報を正確に捉えると考えられる。図4は、人間の視覚と蜜蜂の視覚を喚起する光(電磁波)の波長域の違いを示している。この図から、人間の視覚に対して、蜜蜂の視覚が認知する電磁波の波長域は、短い方にずれていることが分かる。このことは、人間の眼では見えない、波長の短い電磁波である「紫外線」が蜜蜂には見えることを示している。  ここで、それらの違いを見るために、同じ花を撮影した、普通の白黒写真と「紫外線」の反射のみを撮った写真を図5に示した。これら2つの写真のうち図5(a)は人間の視覚が捉える情報であり、図5(b)は蜜蜂の捉える情報に近いと考えることができる。ここで、図5(a)を見ると、緑色の草や葉がはっきりと写っている。これは、緑が多い環境は水や食料が豊富で人間が生活する上で好ましい環境であることに関係していると考えられる。
 また、図5(b)では蜜蜂にとっては食料の在りかである、花の位置が闇夜に灯された明かりのように見え、その位置が容易に分かるのではないかと考えられる。以上のような感覚が捉える刺激域の違いは、生物の棲み分けを容易にしているとも考えられる。

図3 「刺激」と「反応」の一般的関係

図4 人間と蜜蜂の可視波長域


図5 花/(a)普通写真 (b)紫外線写真
【参考文献】 1) 岡野守也:NHKシリーズ『唯識仏教的深層心理の世界 上』、NHK出版、1997
2) 岡野守也:NHKシリーズ『唯識仏教的深層心理の世界 下』、NHK出版、1998
3) 太田久紀:有斐閣選書『仏教の深層心理 迷いより悟りへ・唯識への招待』、1983
4) 宮城音弥:岩波新書『新・心理学』、岩波書店、1981
5) 大木幸介:『ヒトの心は脳のここにある』、河出書房新社、1996
6) 下條信輔:講談社現代新書『「意識」とは何だろうか』、講談社、1999
7) 前野隆司:『脳はなぜ「心」を作ったのか』、筑摩書房、2004
たけだ・ゆうじ/1952年愛媛県今治市生まれ。1978年名古屋工業大学大学院修士課程修了。工学博士、一級建築士、インテリアプランナー。著書に『建築施工』(共著、実教出版)、『建築人間工学事典』(共著、彰国社)、『建築学テキスト 建築製図』(共著、学芸出版)など多数