和紙の楽しみ 5
からかみ文様
尾関 和成
( 渠頗\紙店 代表取締役)
からかみ文様の時代変遷
 からかみは、平安中期(10世紀ごろ)に中国から輸入された紋唐紙を模造し、詩歌を書き記す詠草料紙としてつくられていました。のちにはそれを流用してふすま障子にも張るようになりました。
 初期のからかみ文様は中国の唐文化の唐風のものでした。圧倒的に多いものは「唐草文」でした。唐草は西アジア原産の地に這う「つる草」を文様化したもので、中東地域からシルクロードを通じて中国に伝わり古代には最も多く用いられた文様です。また亀甲、七宝などの幾何学模様も中国伝来のデザインと言われています。

桐唐草

獅子丸唐草

七宝

花亀甲
 唐草に組み合わされた題材は、獅子、鳳凰、孔雀などの動物、鉄線花、牡丹、蓮などの中国的なものや、蔓桜、朝顔、野菊、たんぽぽなどの和風化したデザイン、また秋草に兎、秋草に楓、秋草に蝶、水に鴛鴦といった大和絵風のものもありました。
嵯峨本と琳派文様
 鎌倉から室町時代(12〜16世紀)のからかみは、本の表紙としても用いられていました。江戸時代初期には本阿弥光悦が京都の鷹峰で営んだ芸術村で花開き、そこでは嵯峨本の表紙や本文用紙として斬新なデザインのからかみが盛んに創作されました。
 嵯峨本は光悦が出版したもので、その用紙として使われたからかみは、俵屋宗達らがデザインをしました。それらは宗達の特異な着想に基づく構図と技法によって装飾的なきわめて和風化した意匠が考案されています。
 植物文様には、梅、桜、桐、紫陽花、芥子、野菊、山帰来、槙、竹、笹、つつじなど、いかにも日本的と言えるのは、藤、桔梗、蔦、薄、露草などがあり、つる性の「つた」を選んでいるのは古代に多かった唐草文様にかわるものと思われます。
 動物文様では、鶴、鷺、鹿、兎、蝶、とんぼなどが和風の意匠で描かれていました。
 海辺の山、波に松原などの景観の文様には、日本の風土との調和を意図してデザインされたようです。
 これらの嵯峨本のからかみ文様のデザインは写実性よりも装飾性を重んじ、デフォルメされているのが特徴です。俵屋宗達のデザインと考えられる文様は、京からかみの中に光悦蝶、光悦桐などの名で残っております。また宗達の後継者、尾形光琳などによって、宗達の造形美をさらに発展させて琳派文様が構成されました。

光琳梅花

光琳桐

光琳大波

光琳菊
 からかみ文様は、織物文様が多く流用されていました。染織用の琳派文様である、光琳大波、光琳梅花、光琳菊、光琳桐などが、からかみにとり入れられました。琳派文様は題材の部分を省略し、おだやかな描線で、きわめて簡略化した形態を描いています。
 からかみ文様は、このように中国的なものから、日本風土と調和した柔らかく装飾性の豊かなものになっていきました。これは公家、寺社や武家に限られていたからかみの需要が、町家にも広まった社会情勢を反映していました。
江戸での展開
 江戸時代になると、徳川幕府による江戸のまちづくりが急速に進み、人口が膨らむのにともなって、からかみの需要も増大していきます。このため、より早く、より多くつくる技法が考えられるようになりました。薄墨一色で刷る月影刷り、刷毛引き、型紙捺染などです。
 また主に使われた需要層は、江戸在留の武家と新興の町家であり、格調を重んじるよりは「粋で親しめる文様」が求められたと言われています。
さまざまな好み
 からかみの文様は、使う人々の生活感覚や、社会的地位によって好まれるものが異なっています。大別すると、公家好み、寺社好み、茶方好み、武家好み、町家好みに分けられます。
@公家好み
 初めてからかみを襖に用いるようになったのは公家でした。彼らが好んで用いたのは有職文様(家格、伝統、位階に応じて公家の装束、調度につけた文様)です。
 菊、桐、藤、竹、楓、松、唇花などの草花文を、菱、角、亀甲、蜀江、円、襷、立涌、七宝などの幾何文と組み合わせたものが多く、鶴、雲文、青海波なども好んで用いられました。とくに高貴な瑞鳥とされる鶴の文様も多く、雲と組み合わせた雲鶴は代表的なものです。また、千変万化する雲は古代中国から多く文様化されていますが、雲立涌は親王と摂関家が使うものだったと言われています。

雲立涌

天平雲鶴

松菱

青海波
A寺院好み
 一般の住宅に比べて、広い空間の多い寺社では、瑞雲、霊芝雲、大頭雲などに代表される雲文など、大柄の文様が好まれました。
 また各お寺の寺紋も使われていました。例えば、東西本願寺の抱き牡丹、下がり藤、知恩院の三葉葵、抱き若荷など。紋の大きさは平均すると六寸径から七寸径。仕上げはほとんど千鳥型に配列し、雲母押しが多く、時には金箔、銀箔押しもあります。

霊芝雲

大頭雲

朽木雲

瑞雲と鶴

抱き牡丹立涌

抱き茗荷と三葉葵丸立涌
B茶方好み
 茶道は、室町時代に交際礼式として形づくられ、その中で「わび」という日本独自の芸術美の感覚が深められていきました。からかみの文様も、茶人たちの洗練された感覚で選ばれ、茶道の家元は独自の柄を彫らせて用いています。
 茶方好みのからかみには幾何文様はあまりなく、植物文様、特に桐文が多くあります。桐文は平安時代には皇室専用となっていましたが、のちに公家や武将にも下賜されました。豊臣秀吉もその一人で、わび茶を完成した千利休と深い関係にあったことが、茶方に桐文が多くなった始まりと言われています。
 特に有名な文様は、表千家の残月亭に使われている千家大桐および鱗鶴、裏千家好みでは四季七宝、細渦、武者小路千家好みでは吉祥草、太渦などがあります。
いずれも、繊細で、洗練されたデザインが多く、茶人の生活感が植物文を中心にして、からかみ文様の和風化を大きく展開させています。

千家小桐(置上げ)

兎桐

敷松葉

丁子形

遠州破れ七宝

つぼつぼ
C武家好み、および町家好み
 武家好みは、幾何文様など硬さのある文様が多くあります。代表的なものは雲立涌、蜀江錦、菊亀甲、紗綾型など公家に愛用されたものです。また、鳳凰の丸、若松の丸なども武家好みと言われています。武家の権威を誇る意味も込められ、刷り色を鮮やかにし、箔を押したり砂子を振るものが増えました。
 町家にからかみが広まったのは近世になってからでした。下級な武家にも共通するものがあり、豆桐、花小桐、若松、竜田川、信夫の丸など、つつましく生きる姿勢を反映して小柄のものが多いようです。柔らかさを好んだことから、町家では琳派文様に関心を持ったことはいうまでもありません。光悦桐、光琳菊、影日向菊、光琳大波、枝垂桜、荒磯、観世水などがこの系列のデザインです。

菊亀甲

若松の丸

大紗綾形

花小桐

竜田川

信夫の丸

胡麻殻

変わり観世水