保存情報第47回
登録有形文化財 歴史民俗資料館別館(旧林家住宅)と美濃路 才本清継/才本設計アトリエ

美濃路起宿に残る江戸時代の街並

歴史民俗資料館別館(林家住宅)

所在地 愛知県尾西市起字下町211
竣  工 大正初期(登録文化財)
構  造 木造地上2階
■紹介者コメント
 この地区は江戸時代、東海道の宮宿と中山道垂井宿を結ぶ脇街道美濃路の宿駅の一つである起(おこし)宿であった。当時は、街道をはさみ短冊形の屋敷が並んだ典型的な宿場町であった。当住宅は、もともと脇本陣であったが、1870(明治3)年に制度が廃止され、その後、1891(明治24)年の濃尾地震で倒壊した。現在の建物は、大正初期に再建され昭和初期に一部増築されたとされているので、100年足らずの比較的新しい建築である。かっての間取りも残されているが、それによると街道に面して表門があり、敷石の長いアプローチを奥へ進み、唐門をくぐり式台、玄関を経て「御上段」の間に至る、という空間構成である。「御上段」の東には広々とした庭園が広がっている。しかし、現在の建築は住宅として再建されているため、脇本陣としての間取りは残っていない。それでも、広い敷地はそのまま保存され、庭園は後世手が加えられているが、往時の様子をしのぶことはできる。
 この他にも、この街道沿いには、かって宿場町として栄えた頃のまち並みが少々ではあるが残っている。また、繊維業が盛んな時代を象徴する木造の鋸屋根工場も残り、歴史の蓄積が感じられる。その他、この地区には交通の要所として木曽川を渡る船着場跡もある。今は濃尾大橋で岐阜県と結ばれている。木曽川堤から岐阜県側を見ると、白く雪化粧した伊吹山が手に取るように望むことができるが、かって中仙道垂井宿を目指した旅人にとっては、どんな道案内よりもわかりやすいランドマークであったことであろう。
登録有形文化財 豊橋市公会堂 渡邉 勇/ユウコウ建築設計事務所

豊橋市公会堂正面外観。
モザイクタイルで幾何学的に波形を描く両端の半球ドームは中近東の建物を思わせる

半円形ドームの脇にある4羽の鷲などが、当時の時代背景を考慮した権威的な意匠となっている

所在地 愛知県豊橋市八町通2-22
竣  工 1931(昭和6)年
構造規模 RC造地上3階、屋根部鉄骨トラス造
延床面積 2948.27u
設  計 中村工務所(中村與資平)
施  工 松村組
■紹介者コメント
 豊橋市公会堂は、JR豊橋駅の北東にあり、市役所および旧吉田城三の丸外堀跡に隣接して建っている。国道1号線を走っていると、その堂々としたファサードが目に入ってくる。正面の大階段と2階部分の列柱と、両サイドにあるドームの塔が目に付き、その風格から城郭を感じさせる建物になっている。半円のアーチの付いた列柱や、玄関ホールの交差ボールトなどはロマネスク様式といえるが、モザイクタイルで幾何学的に波形を描く両端の半球ドームは中近東の建物を思わせる。また、随所に用いられているステンドグラスやタイルにも当時流行したゼセッションの影響が感じられ、いろいろな様式を交えた折衷様式といえる。ドームの頂上までの高さは16mもあり、市内の鉄筋コンクリートの近代的建築物の発祥とも言われている。
 半円形ドームの脇にある4羽の鷲や正面の大階段などが、「大典奉祝記念」や当時の時代背景を考慮した権威的な意匠となっている。
 現在は、建設当時と同じ公会堂として使用されているが、戦後の一時期「豊橋中央公民館」として使用され、また市民窓口センターとしても使用されたことがある。
 1998(平成10)年、国の登録文化財に指定され、それを機に大規模な改修が施され、外観はほぼ建設当時の姿を伝えている。私の保存したい建物の一つである。