保存情報第46回 | ||
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 川名の森(昭和区川原神社) | 神谷勇雄/ユウアンドアベトウ |
樹齢100年を超すケヤキ |
夏祭りには「輪くぐり」 |
所在地 名古屋市昭和区川名本町4丁目4番地 敷地面積 10,425u |
発掘者コメント 飯田街道沿いにある、平安時代より続く鎮守の森。江戸時代から神社を見つめてきた、樹齢100年を超すケヤキを見上げる幼稚園児が、飛び交い歩く鳩や池で甲羅干しをしている亀に餌を与え、境内を走り回っている。 1992年、本殿および社務所を焼失するも、「地元のシンボルでもある川原神社を早く復活させよう」ということで、住民(氏子)自らが寄付を出し合い、1998年に再建された。 初詣に体を清め、「どんどやき」で体を温め、春になれば満開の桜が花見客の目を楽しませ、夏祭りには「輪くぐり」と夜店の屋台で癒され、秋祭りの「餅投げ(100人以上が投げる)」で空腹を満たす。 また、毎月の3日と8日には、昔懐かしい朝市が開かれ、賑わいの中に笑い声が響く。地元の住民は「サンパチ」と呼んで親しみ、昔と変わらぬ姿が続いている。 このように現在も、住民にとってのコミュニティ広場となっている。しかし、神社の周りの商店街は以前の賑わいほどではなくなってきている。この町の文化を次の世代に伝えることを、今後も務めていきたい。 | ||
登録有形文化財 | 半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場) | 高橋敏郎/愛知淑徳大学 |
創建時の主棟、ハーフティンバー棟、貯蔵庫棟が残る |
東南海地震、南海地震、そして太平洋戦争をくぐり抜けてきた |
設 計 妻木頼黄 建設年 1898(明治31)年 構造規模 主棟:煉瓦造2階建一部5階建 ハーフティンバー棟:木骨煉瓦造平屋及び2階建 貯蔵庫棟:煉瓦造2階建 所在地 半田市榎下町8 登録番号:第23回 0134番 第23回 0135番 第23回 0136番 |
紹介者コメント 近代建築の工場の活用保存として近年かなり話題となっている半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)が、2004(平成16)年7月、国指定の登録有形文化財に登録された。 この建物は、1898(明治31)年に丸三麦酒鰍フ醸造所として竣工。「カブトビール」の銘柄で知られ、数度の吸収合併(三度目の社名が加富登麦酒梶jを経た。この間、工場は次々と増築・拡充を行ったが、1941(昭和16)年に工場は閉鎖。1944(昭和19)年からは中島飛行機製作所の倉庫となり、米軍艦載機による空襲に遭遇した。現在も主棟北壁面には弾痕が残る。 戦後の1948(昭和23)年に食品会社の製造工場となり、1994(平成6)年には業務移転のため閉鎖。煉瓦造遺構を残し施設は撤去された。この際、主棟東半分が取壊されたが、保存運動が起こり解体作業は中止。1996(平成8)年に半田市が買い取り、現在に至っている。 登録されたのは、創建時の主棟、ハーフティンバー棟、貯蔵庫棟の煉瓦造三棟である。設計は、明治建築界の3巨匠の一人、妻木頼黄。現存する横浜正金銀行本店、山口県庁舎などの代表作がある。この工場に先立って、大阪ビール吹田工場、日本麦酒目黒工場を手がけているが、現存はしていない。 東南海地震、南海地震にも耐え、現存する貴重な煉瓦造建築である。壁は、中空層を持つ2重〜5重の復壁で断熱性を確保。天井は、I型鉄梁の間を煉瓦アーチで繋ぎ、2重3重にアーチを重ねた耐火床で、部屋ごとに梁行き方向をたがえている。食品工場時代に各所の壁を取り除くなどの改変がされているが、建設当初の形式や技法をかなりよく伝えている。ハーフティンバー棟は木骨煉瓦造で、親しみやすい素朴な外観をしている。 財政の問題もはらみ、活用の妙案はまだないようだが、貴重な文化遺産として積極的な活用を望みたい。 |