JIAと私A

JIAにまつわるさまざまな邂逅
佐貫 慶之
1929年生まれ。1970年沼津市優良建築物表彰(設計者)
1999年住いの文化賞(功労賞)

1992年度〜1993年度 JIA静岡財政顧問
1996年度〜1997年度 JIA静岡法制顧問委員会 委員
2002年度〜2003年度 JIA静岡高齢者住宅相談 相談員
2000年度〜2004年度 JIA静岡顧問
2000年度〜現在 住宅紛争審査会(県弁護士会)紛争処理委員
 現役をリタイアして70歳半ばを過ぎた「過去の人」。しかも、JIA活動にそれほど寄与したとも思えない私であるが、静岡地域会の大石郁子会長の電話に安請け合いしたのが縁で、この小文を書くことになった。恐らく、会報委員会の諸兄の意図したものにはならない予感がする。また、これを読まれた会員で失望される方が出てくるかもしれないが、何分ご容赦願いたい。
JIAとの接点ともなった建築家たち
 1970(昭和45)年頃、静岡県内には10数人の旧建築家協会の会員がいたと思うが、私にとって当時の家協会は高嶺の花のようなものだったから、まだ入会はしていなかった。しかし、諸先輩の交誼を得て話を聞くにしたがい、次第に建築家、職能、プロフェッションというものを理解し、考え、家協会が抱える問題などを知るようになった。
 そのうち、設計監理協会の問題などで東京・神宮前の会館に出向くようになり、あるいは名古屋から税田公道氏にたびたび来静していただき、彼の話を聞くうちに新しい家協会の胎動の渦に引き込まれていった。その辺りが、私とJIAとの接点であったと思う。しかし、当時を振り返ってみると、私には建築家というものを考える素地がいささかあったのかもしれない。
 というのも、ゼネコンの設計部にいた頃、ある女学校の講堂と体育館(重層になっていた)の現場に配転され、そこで堀口捨巳の馨咳に接することができたし、東京五輪の時期(1964年)には、山梨文化会館の設計を手伝うため丹下健三・都市・建築設計研究所(確かウルテックと称していた)に出向し、丹下先生や所員の方々と毎日を過ごすことができた。こうした建築家の日常というものを垣間見ることが、やがて建築家として自立する契機となり、その後の私の経歴となっていったからである。
 JIAの現況をJIA機関誌『建築家』や『ARCHITECT』、地域会の会報などで拝見すると、われわれが往時、課題とした問題が未だ解決されずに論議されており、挫折感を味わうこともある。自省も含めて何とかならないものかと思ってしまう。
山本浩三氏との奇しき縁
 一昨年だったか、『建築家』2003年11月号に、CPDシリーズとして山本浩三氏の「美しい日本のまちづくりにむけて建築家のできること」という記事があった。
 海外でも活躍した氏の業績はさておいて、後半の『価値の創造者としての建築家の自覚』『市民に一番近くにある建築家でありたい』『美しく創造的な社会へむけての制度改革』の内容に今さらながら氏と思いを同じくする。
 引用させていただくと、「自覚と高い倫理観をもって日々の実践と研鑽を積む自助努力が求められる一方、建築家の職能について社会によく知ってもらう努力も大変重要なことと思います」。また、『市民に一番近くにある建築家』では、「国内的には中央集権から地方分権、官から民への地域づくりの大きなうねりの中で建築家が市民と共同して果たす役割がますます重要になっています。(中略)僕も故郷山陰の小都市鳥取市で市民と一体になったまちづくりに汗を流しています。(中略)JIAの会員として、特に地域の建築家や地域を故郷に持つ建築家はコミュニティアーキテクトとして市民と一体になって地域の歴史、文化を掘り起こし、新旧文化の共生を図りながら美しいまちづくりに積極的に参画しようではありませんか」と呼びかけている。その他にも、建築士制度問題や、入札問題、資格制度について警鐘を鳴らしている。
 確かに、氏が実践されているような具体的な地域社会での活動が重要だし、それが建築家の職能を認知させる方法となり得るだろう。JIAの新体制が「主役はあなた」のスローガンで地域会の活動を重視するという。原点は地域会だと私は考える。ぜひ、努力したいと思う。
 最後に。記事を引用させていただいた山本浩三氏とは、ちょっとした縁がある。丹下先生の事務所に出向した折、一番身近でお世話になったのが氏であった。今でも氏の親切さを忘れることはできないし、氏の非凡な才能には驚かされた。例を挙げれば、ある日、設備関係者の空調負荷計算に疑問があると言って、一晩で山梨文化会館の負荷計算を仕上げられたり、フランス人の来客あるときは、「山本君ちょっと」とお声がかかり通訳をされていた。外国語にも精通していた記憶がある。
 奇しき縁というべきものかもしれない。JIA会員であったからこその、これまでの出来事であったに違いない。 (’05・1・25)