戦後60年目の「自由」のあり方
理事 相坂 幸彦
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 さて、2004年は諸々大変な年でありました。記憶の新しいものを拾い上げてみても未曾有の新記録ずくめであります。地震加速度、高騰野菜価格、上陸台風数、風速、降雨量、邦人人質処刑、酷暑、欠陥車問題、社会保険庁問題……。
 JIAにあっても新風のスタート年でありました。登録建築家制度発足と士法改正への道筋、会費改正と財務問題、倫理規定・職能原則改訂とその適用…。
 小泉総理、小倉会長のご苦労は察するに余りあります。本年は昨年の事象を糧に、不幸な部分をすべて払拭して明快なスタートを切りたいものです。
 1945年(昭和20)、第二次世界大戦終了後、新憲法が公布され、自由主義国家、新資本主義社会へと再スタートし、これこそ未曾有の復興力をみせ、今や押しも押されもせぬ世界経済大国となりました。
 戦後60年を迎えた今日、急成長の再生国家に一般生活の中でじわじわと育まれてきた歪があまりにも目に付くのは私だけでしょうか。
◎ 街なかでの風景
・自転車が歩道に直角に駐輪し、余幅が60pぐらいしか残っていない。
・4〜5人の仲間が歩道の真ん中で立ち話、あるいは3人が横一列で会話しなが  らトロトロ歩行。
・前を歩く人が後方未確認のままいきなり進路変更。 ・対向自転車が携帯電話を 入力しながら前進してくる。
・舗装車道にあった10cm位の石にバイクの前輪をとられ転倒負傷→道路管理者 を提訴。
・街角広場の人工せせらぎ(縁石なし・水深10cm)に転落→行政管理者に損害賠 償請求。
◎ 博覧会での風景 ・大混雑の屋外展示場で日傘を差し歩き。
などなど数え上げれば際限ありませんが、いずれも当人にとってはその行動には必然性があり、法的に違法でない限り自由裁量であるには違いありません。
 「自由」のあり方について公でさんざん議論されてきましたが、近時はその方向性を見失ってきているように思います。利己主義の横行、公共責任と自己責任とのバランス、攻撃型社会、自己防衛観念の希薄化など。私たちは、自己の利益に直接的に影響のない日常のこうした身辺事象に対し、ただ井戸端会議的に愚痴っているだけではないでしょうか。
 どうしてこうなるの? どうしたらいいの? 誰が行動を起こせばいいの? 今や、こうした一歩踏み込んだ概念を積極的に井戸端に持ち込み、世間一般の改革意識を少しずつ育んでゆき、「人の子も叱ろう」的機運を高め、集団社会での協調性を高揚してゆきたいものです。
 今ひとつ、近年若者たちの体力・気力の低下が気になります。朝礼でバタバタと倒れる。駅の構内や路上で男の子やミニスカートの女の子たちがベタベタと座りこむ。周りの者はみっともないと呟きながら黙って通り過ぎる。もう少し何とかならないものでしょうか!
 今日、猫も杓子も大学へ行こうとします。そのほうが社会での接遇が良いのも一つの要因でしょう。
 それと同時に18歳になったら本人希望により1年間男女を問わず団体生活を体験できる機構を作ったらどうでしょうか。そこでは、自然環境保全事業を核とした教育及び実務が体験でき、たとえば治山治水、災害復旧、原野保護などの国費事業あるいは地方自治体の要請による各種派遣などが考えられます。
 人生80年のうち青春の一コマとして1年間位、地域づくりのための研修奉仕に従事し、その間に知育、徳育、体育を充足し、その終了実績は、社会にて学歴以上の評価が与えられるような仕組みを構築させてはいかがなものでしょうか。
 年頭にあたり、こんな独り言を呟いている私こそが単なる井戸端族なのでしょうね。