保存情報第41回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 南山寿荘 本田伸太郎/本田建築設計事務所


木立に囲まれた南山寿荘

捻駕籠の席・平面図
所 在 地 名古屋市昭和区汐見町4-1
愛知県指定有形文化財
休 館 日 月曜・祝祭日の翌日  
■発掘者コメント
 この建物は昭和美術館の中にあります。江戸時代末期、尾張藩家老渡辺規綱によって名古屋市の尾頭の堀川端に建てられた別邸の一部を、1935年(昭和10)後藤幸三により、後藤家の別邸としてここに移築されたものです。茶室と書院からなっており、茶室は捻駕籠の席と呼ばれ、建物の平面に対し少し角度を振って配置され、三方に縁が回り、ちょうど駕籠を少し捻った格好で、それが席名の由来となっています。
 渡辺規綱(1792〜1871)は風雅を好み、茶や陶芸に親しんだ人で、夕日庵(ゆうじつあん)と号し、裏千家十一世玄玄斎の実兄です。
捻駕籠の席内部は、四畳中板入り出炉の席で、三畳の客座と中板を入れた点前座を遣り違いにし、床前の貴人座に重心を置く間取りとなっています。中板が席中にゆとりをもたせると同時に、貴人座への結界ともなっています。また正客から亭主を真正面に向かい合うように配置され、床は点前座の方へ寄せられ、床脇が開放されている(上部だけ柱を見せた筆柱となっている)ので、客座からも点前座からも床がよく見えるようになっています。風雅を楽しむように別邸に造られ、地形に応じた寛ぎのある構えを見せており、捻駕籠の席というその名からも詩的な叙情の漂う茶席であり、いわゆる求道のための厳しい修行の席とは異なった、寛ぎと遊びを与える雰囲気をもった玄玄斎好みの確実な遺構として重要です。
登録有形文化財 愛知学院法人本部棟(楠元キャンパス1号館) 尾関利勝/地域計画建築研究所


1階ホール前にアーチ状の車寄せを持つ


スパニッシュ瓦と飾り模様の美しい柱頭
 所在地 名古屋市千種区楠元町
 建築年 創建(昭和3年)、増築(戦後)
       修復(推定昭和51年頃)
 関係者 当初設計 佐藤三郎 
       当初施行 西村工務店
 登録番号 8−263
■紹介者コメント
 昭和塾堂の尖塔がランドマークとなる城山は、戦国織田氏の末盛城跡である。ここに建つ城山神社は近郷の古社を合祠し、1936年(昭和11)現在地に遷座した。その東側からの登り口に面して、愛知学院楠元キャンパスがある。
 本部棟はキャンパス南正面、広小路向きに建つ。1928年(昭和3)竣工のRC造2階建て、旧制愛知中学佼の校舎だった。戦後は3階建てに増築されたが、今は主要部を創建時の2階建てに戻した希少な修復例だ。
 1876年(明治9)曹洞宗専門学支佼として大須で建学以来128年、1925年(大正14)愛知中学校と改称、1928年(昭和3)大久手から現在地(当時東区)に移転。1947年(昭和22)新制中学、翌年愛知高校を設置し、全体を愛知学院と総称、1953年(昭和28)大学設立、1967年(昭和42)光が丘に中学、高校を移転、1974年(昭和49)現在の日進市に大学メインキャンパスを移し、1976年(昭和51)、楠元キャンパスに創立百周年大講堂が竣工、この際、本部棟を2階建てに修復したようだ。
 建物は仏教系ミッションスクールの校風を表し、シンプルな構成と風格のある趣を持つ。北廊下の平面は中央ホールと棟左右に階段を配置したシンメトリーな構成が特徴である。
 外観は中央に切り妻風飾り壁を立ち上げて教学の威厳を示し、棟南面はエンタシス風に膨らみを持たせた面取り角柱で構成される柱型を強調、壁のスクラッチタイルが時代を感じさせる。西欧古典様式をなぞらえるこの建物は2階建ての親しみやすい尺度を持ち、軽快でモダンな表情が心地よい。