NPOとまちづくり@
自分の手で 自分の力で まちづくり
大西光夫
(特定非営利活動法人 ボランタリーネイバーズ 理事長)
創意豊かに活動するNPO
◇地域の足を守るNPO法人 生活バス四日市(三重県四日市市)
 赤字によるバス路線の廃止に対して、「買い物や病院通いが困る」という地域の要望を受けて、住民がNPO法人を作り、地元企業・商店(協賛金など)、四日市市(補助金)、バス会社(業務委託)などと協働して、2003年(平成15)4月からコミュニティバスを運行しています。年間1千万円程度で経営しています。
◇空き店舗活用NPO法人 介護サービスさくら(名古屋市名東区)
 1988年(昭和63)から暮らし助け合い活動を開始、2000年(平成12)に商店街(15店舗ほど)の空き店舗を借りたのを手始めに、現在は3つの空き店舗を活用し、デイサービス、訪問介護、福祉用具販売、相談活動などを行っています。4つ目の空き店舗活用も検討中です。
◇学校も使うスポーツ施設を管理NPO法人 ソシオ成岩スポーツクラブ(愛知県半田市)
 1996年(平成8)、多世代・多種目にわたるスポーツ活動を通したコミュニティづくりをめざして発足、2002年(平成14)NPO法人になりました。成岩地区の600世帯を会員に持ち、半田市の地域総合型スポーツ施設を管理運営、中学校の体育授業にも使われています。高齢者の集まる場所や地域へのサービス活動の拠点にもしたいといいます。
◇歴史的な街並や建物を保存活用 NPO法人 伊勢河崎まちづくり衆(三重県伊勢市)
 1974年(昭和49)の水害を契機に起きた勢田川改修問題に直面し、住民から街並保存運動が生まれ、「伊勢河崎の歴史と文化を育てる会」が誕生、1999年(平成11)にNPO法人を設立し、街並や建物の保存・再生・活用などにより町の活性化を推進しています。
◇道の駅を拠点に山村のまちづくりNPO法人 夢未来くんま(静岡県天竜市)
 人口1000人程度の山村です。農村の生活改善運動に端を発しおよそ20年の活動を経て2000年(平成12)にNPO法人として誕生。住民約600名が会員となり、「道の駅」の運営(食堂や物産店など)、商品開発、高齢者支援、子どもの教育、自然環境保全などに取組んでいます。年間事業費約1億円、約40人の女性が働いています。
◇自治会がNPOを設立 森の里荘自治会(名古屋市緑区)
 1974年(昭和49)に建設された公営団地で、約1200世帯の自治会です。だれもが安心して住み続けられるまちづくりをめざして団地集会室を喫茶やおしゃべりが楽しめる「ふれあいサロン」として運営したり、また、周辺地域を含めた、高齢者向けの食事配達サービスを行うNPO法人を設立中です。
◇NPOのコラボレーション 知多半島の福祉系NPO(愛知県知多半島)
 知多半島で福祉系NPO約20団体が1999年(平成11)に「NPO法人地域福祉サポートちた」を設立し、NPO間のネットワークを活かしてまちづくり活動を展開しています。活動を集計すると、財政規模約8億円、従事する人約700人、サービス提供時間約22万時間にのぼります。使われなくなった公共施設、工場、民家を改修し、介護保険事業、障害者生活支援、ヘルパー養成(日本福祉大学と連携し学生対象の企画も)、子育て支援のほか、パソコン、陶芸、織物、子どもアート教室など活動は多彩です。
NPO(法人)の現況
 現場はなにものにもかえがたい教訓の宝庫で、ここにご紹介したNPO法人はほんの一部です。大変な苦労を乗り越えてきた話や創造的な事例に出会うとそれだけで勇気づけられます。現場のやむにやまれぬニーズや地域課題、人びとの切実な思いが、こうした取り組みを生み出しています。
 NPO法人とは1998年に施行された特定非営利活動促進法に基づく法人で特定非営利活動法人が正式名称で、法施行後5年を経て現在、全国で約15,000団体、東海地区では、愛知約520団体、岐阜約200団体、三重約220団体、静岡約350団体です。愛知県では昨年1年間で約220団体が誕生しています。
 福祉、環境、まちづくり、国際協力、子どもの健全育成など17の活動分野に区分されていますが、福祉系分野がほぼ半数を占めます。活動の進展にあわせて活動分野を増やし事業規模も拡大させており、着実に日本社会に浸透しています。NPOとは、英語のNon profit organization の頭文字をとったもので、民間非営利組織と訳され、広義には社団や財団、学校法人などが含まれますが、昨今日本で使われているのは、NPO法人やボランティア団体、市民活動団体のことです。阪神淡路大震災を契機に市民活動が着目され、その活動に社会的期待が高まり、NPO法を成立させ今日にいたりました。
 5年で15,000という団体数は、公益法人(社団・財団法人)が法施行100年で約26,000団体、施行後50年の社会福祉法人が約16,000団体なのと比べるといかに注目すべき現象かということがわかります。これからの日本の大きな力になると思います。
今、まちは少子高齢化の真っ只中
 森の里荘のような古い団地では、高齢化率が大変高くなっています。初期につくられた団地では50%になるのではないかとさえいわれるところがあります。山村では高齢化率は40%をこえ、人口も盛時の数分の1と減少し林業振興どころか手入れをする人がいません。
 空き店舗が起きている背景・理由の一つは地域一帯の少子高齢化です。四日市の事例も知多もくんまも、みな同じ少子高齢化問題に直面しています。福祉系NPO法人が全体の5割を占めるのも同じ背景・理由です。街なかは、少子高齢化問題にあふれているといって過言ではありません。今世紀末には、日本の人口は6,000万人に半減すると言われていますが、それは始まっています。
 こうした現実の一方で、相変わらず「人口(住民)増や活性化、経済成長」がスローガンや目標となった取り組みに出会います。「夢(高度成長)をもう一度」ではないにせよ「成長・活性化」という前向きなスローガンから逃れられず、効果の無い取り組みを繰り返し、結果としてますます落ち込んでいるような事例があります。
 現実とのギャップを感じざるを得ません。硬直したシステムや分業が原因となって新たな発想を取り入れることが出来なくなっているように見えます。
 現実を直視し、その地域に今住む人たちが住みやすいように自然にまちづくりすることでいいのではないのか、無理に成長をつくる必要がないのではないのかと感ずることがあります。静かで安全で住民が納得して安心して暮らせる町、これからの町のイメージとしてはそんなイメージを持ちます。
 NPOの活動は、無理なイデオロギー的なまちづくりではなく、地域のニーズや課題を素直に自然体で形にしています。たすけいあいをキーワードにして、みんなが参加し持てる力を出し合っています。
協働のまちづくり
 誰がまちづくりをするのかについて、そのまちに暮らす人たちが主体になるというのは自然で当たり前なことです。まちづくりを国土計画や都市計画などと表現していたとき、その仕事は行政の仕事でした。でも、まちづくりという言葉が使われだすとともに、主体は市民・住民に移行し始めました。この図は、そうしたまちづくりの構図をどのように転換させるのかを表したものですが、主体となった市民が、行政や企業に対し、ある時は納税者や受益者住民として、ある時は従業員として関わりつつ、中心的にはNPOという組織ツールを使って自らの思いを開花させる、形にする、それを通して行政や企業と対等な力を養ってまちづくりにアプローチするというイメージを表しています。
 具体的にこうした協働体制が力を発揮するには、古い時代に作られたタテ割やヨコ割のシステムを見直す、場合によっては作り直すことが必要で、国、県、市町村、また部局間の行政間協働、自治会・町内会とNPO・ボランティアなどの市民間協働、そうして行政と市民・企業の協働、いわゆる地域ぐるみの協働体制への再編が必要です。
 NPOは、そうした協働体制をつくるために古い仕組みを変える動力として、仕掛ける、開発するという役目やつなぐ、コーディネートするという役割で力を発揮しています。
 人びとの自発的なまちづくり活動は、古い時代では当たり前のことだったと思います。近代になり国家の発展のなかで、人びとはそうしたアプローチの手段や役割を国家に委ねてきました。
 NPOは人びとが自分の力で、自分の手でまちづくりをする、社会をつくるツールとして活用されるとともに、協働のまちづくりの旗手として期待され、そしてその活躍が始まっています。
大西光夫(おおにし・みつを)/1946年奈良県生まれ。1992年「ネットワークピープルズプラン」、95年「市民活動の発展を考える討論会(後に「市民フォーラム21」と改称)、97年「NPO連絡会(よろず相談センター)」、98年「まちづくり交流フォーラム」を立ち上げ、これらの活動の総集約として2001年に「特定非営利活動法人ボランタリーネイバーズ」を創設し理事長に就任。
 史跡大安寺旧境内対策協議会調査研究員のほか、公職では、「あいち新世紀自動車環境戦略会議委員」「中部地方交通審議会専門委員」「中部地域下水道ビジョンアドバイザー会議アドバイザー」をつとめている。