泥遊び精神E
土の未来
山本 寿仁
(且R共建設専務取締役・土蔵保存研究室主宰)
 私の住む岡崎市では、2002年(平成14)よりゴミの分別回収を行っている。ゴミを片手に「はて、これは不燃? プラスチック?」などと当初は戸惑いもあったが、成果は上がっているようである。ここで土はどう分別されるのだろう。果たしてアパートやマンションの住民は、ベランダでの家庭菜園やらガーデニングで出る土をどう処分するのだろう。岡崎市では不燃ゴミとなる。ちなみに灰や猫砂は可燃ゴミである。
 何か不思議な話である。土はホームセンターで買い、ゴミ袋に詰め捨てるモノとなっている。最近の住宅事情から、いかに人が土と縁遠い存在になっているかを彷彿とする。
真実のリサイクルとは
 環境問題がクローズアップされ、大手企業も公的機関も一般市民も尽力しているように見える。その象徴の一つがゴミの分別回収でありリサイクル運動だが、実はそこに重大な落とし穴がある。ゴミは再生時の熱処理や運搬に、化石燃料を使う。つまり環境負荷が生じるということだ。リサイクル運動の本来の目的は、地球環境を守る、改善することではなかったか? 「再生する」ことのみ注視するのは本末転倒なのである。
 建築の世界でも環境負荷は大きな問題になっている。いや、主軸をなすのではないだろうか、残念ながら。とくにプラスターボードや断熱材の廃棄処分は困窮している。再利用が困難で、そのままでは自然に返ることもない。こんな建材をわれわれの業界は長いこと作り続けてしまった。
 知人の一人が昔ながらの土壁の家に住む。井戸があり、クドがあり、トイレは汲み取り式である。氏は自宅で生活を貫徹できる。大震災がおきてもライフラインを寸断されることはない。またこうも言う。
 「新建材ばかり使って安いもの建てたって、結局捨てるときにゃぁ、えらい金がかかるに決まっとらー」
 確かに建築費がいくら安くても、処分の際に莫大な費用がかかり、廃材は環境を脅かす。これに施主が気付かないのは、われわれ建築関係者の認識不足で、無責任さの表れとも言えるだろう。私たち建築業を生業とする者は、いつまでも無責任を通してはいられないのではないだろうか。
土に未来はあるのか
 土は現代の環境問題をクリアする、またとない建材である。心地よい住環境をもたらし、際限なく再生が可能。そして廃棄は、そのまま大地に返せばいい。こんな素晴らしい素材を、私たちは地球から無料で享受している。
 しかし今どう扱われているかというと、わずかながら見直され、土壁も一見してブームになっているかに見えるが、ごくごく一部のことである。大地はコンクリートやアスファルトで覆われ、土の産地は消滅の運命をたどるだろう。逆に、聚楽土など名立たる土は高価で庶民には届かないものとなり、ごく稀に名人の手で、金持ちの家などを塗ることになるのかも知れない。
  「このままいけば、土の未来はない」
 私はそう思う。だが
 「これからは土の時代である」
 とも思う。土が人類を救おうとさえ感じているのはやや大袈裟だろうか。土と身近にいる立場がそう思わせるのだろうか。
省エネ住宅の本末転倒
 現在、環境問題の解決策として奨励されているのは、気密性と断熱性に優れた高性能な省エネ住宅である。
 ここでは主に新建材が使われている。
確かにCo2の削減は叶い、一見よいことのようにみえる。しかし新建材の製造や運搬の際には、大量の化石燃料を使う。後になって人体に有害であると判明する場合もある。ゴミの分別回収と同じで本末転倒な話である。いつまでも新建材だけに頼る家づくりはもう終わりにしたい。そこで今、私は新しい土の家づくりに取り組んでいる。
土を中心にした新しい家づくり
 時代は環境負荷のない建材を必要としている。私が取り組んでいるのは、新建材を使わず高性能を有する土の家である。
 ここで必然的に土づくりがキーとなり、専門家である左官が中心となる。左官が采配を振るい、設計や大工とコンビネーションを合わせて建てる家。もちろん左官は土を知り、深く広い視野を持たなければならない。現状ではほとんどが下請けとしてコストの削減ばかりを追従しているが、こんな家も職人も育たないような連鎖は断たなければならない。
 また土の家の作りようは、基本的には在来工法で十分である。
 この頃の住宅には外国の工法が見られるが、これらはその土地で育まれたからこそ意義がある。日本の風土に適するや否やのデータもなく、目新しさだけで飛びつくのは如何なものかと思う。逆に古臭いと思われる在来の家づくりには、地域によりよく暮すための智恵が溢れている。試みの過程で、現在、私は改めて土づくりに取り組んでいる。先に紹介した「さんじゅ荘」の敷地内に、土のねかせ場所を設けた。正直なところ、最近の宅地で場所の確保が難しいのも理由の一つだが・・・・・・。
 さんじゅ荘では正しく土をねかせ、本格的な研究のベースとするつもりである。もちろん素材は地元の土を使う。
 また敷地内には2棟目の実験ハウスを建築中である。まさに私の考える、在来工法での土の家。ここで年間を通じデータを取り、土の家の性能を実証するのである。
わっかの会のメンバーズ。素足に素肌で土の感触を確かめる RC造の外壁に土壁を塗る
外壁に塗った土壁の表面 室内も木舞、荒壁で大壁納め、土壁を塗る。調湿効果は抜群
土の家の可能性を広げる
 取り組みの一環には、建材としての新しい使い方を探ることも含まれる。
 その例として、とあるお宅のRC造の外壁を土壁で覆った。施主の驚くまいことか。というのも土が断熱効果を発揮し、その差は見事に体感できた。夏の暑さと冬の寒さが十分に遮られたのだ。施主は愛知芸術大学のスペースデザインの教授であるが、施工前のデータを持たず、比較できないことを随分悔しがってみえた。
 室内も、RC造の下地に塗るたけで土の調湿効果が得られるのは、私の父が知らず用いて叶ったことで実証済みである。
 デザイン面も重要である。荒土壁はこれまで下地としての価値しかなかったが、剥き出しにすることでかえって面白い表情・風合いとなる。これは「古臭い土壁」を「カッコ良いモノ」と見る若者の未来的感性と通じるものでもある。
 土の実験ハウスは、これからさまざまな形でテーマを与えてくれるであろう。私としては義務感もあるが、実はなかなか面白い。おそらく土の可塑性の高さが、私の創造力を掻き立てるのだ。
まずさわり、そして作ってみてほしい
 ついでなのでもう一つ、ここでさんじゅ荘について付け加えておこう。実験ハウス第1号であり私の遊び場でもある「さんじゅ荘」の敷地内に、摩訶不思議な建造物が登場した。三角形の泥の家、内部は穴が掘られている。おかざき自然体験の森プログラムの一環として分科会「わっかの会」の主宰で、ただ今建設中の竪穴式住居である。
 これに参加した老若男女約30名ほどは、まずは倣いとして「えー、泥を触るのー!?」と怪訝がりながら、そのうちお決まりのようにコテを放し、靴を脱ぎ、素足に素肌で土に触れ始め、その様子はあたかも子どもの泥遊びであった。
 彼らは自分たちの手で、泥で、家を建てたのである。
 しかし私がいくら「そこにある土が建材となる」とか「土には無限の可能性がある」と述べたところで、所詮は絵に描いた餅、体験してもらえなければわからない。
 そこで提案だが、もしよろしければ、まずお宅の庭土を掘り返してみてほしい。それで何ができるか? たとえば型にはめて日干し煉瓦を作り、自作のクドを作るというのはいかがだろう。市販のバーベキューセットよりよほど洒落ている。しかもタダである。
 私はランプシェード、テーブル、額縁などを作ったが、身の周りの廃材に泥を塗り、何かユニークな逸品が完成するかもしれない。塗るだけでは能がないと思えば、違う色土を組み合わせたり、混ぜ物をするなど、オリジナリティーあふれる工夫をしてもらいたい。失敗してもまた作り直せばいいのだから、気分も楽である。
 そして用いる道具は、もちろん「手」である。
 最終回となった今回、もし誰かお一人でも泥で遊び、IT社会もデジタルも便利だけど、やっぱり手作業っていいな、などと感じていただければ幸いである。これこそが今回の私の駄文のテーマであった。
 では、これまで随分勝手なことを書かせていただきましたが、これで筆を置かせていただきます。永らくのお付き合い、ありがとうございました。
まずは土練り 竪穴式住居の骨組みづくり 骨組みに土を塗る。ここまでの工程一日で完成