音 楽 と 空 間 E (最終回)

戦後日本音楽における三つの空間


水野みか子
(作曲家・名古屋市立大学芸術工学研究科助教授)
 これまでの連載5回では、建築と音楽が本質的関わりを持った20世紀の事例をとりあげたが、最終回にあたり、西欧音楽が建築と元来分かち持っている「構造」について、プレ・ルネサンス時代の事例を考えてみたい。この時代、音楽と建築は、数比や幾何学に基づいて類似構造を持っていた。比例の集積である作品構造は、伝統的表現語法と先鋭的思考のダイナミックな融合によって巨星のごとく歴史上にそびえている。
マクロ構造での数比
 1436年3月25日、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレでは、とりあえずの完成を祝う献堂式が盛大に行われた。このとき、ブルゴーニュ出身のルネサンスを代表する音楽家ギョーム・デュファイのモテット『先ごろ薔薇が Nuper rosarum flores』が演奏された。この大聖堂とデュファイのモテットとは、6:4:2:3という同じ比率(プロポルチオ、proportio)に基づいている、というシャルル・W・ウォレンの発見は1970年代以来広く世の注目を集めることになる。さらに1994年に音楽学者クレイグ・ライトが、この比率は旧約聖書のソロモンの神殿構造のものだと唱え、数値比率による建築・音楽類似構造の神秘への世の関心は熱気を帯びた。
 6:4:2:3の比率と建築・音楽双方との関わりに関して、現在では異説も唱えられているものの、デュファイの前衛気質と、建築のみならず庭園や屋外迷路のデザインにも数比を潜ませることが珍しくなかった15世紀という時代背景を考慮すれば、きれいに逆行と倍数を含む6,4,2,3という数の並びと、建築物や音楽作品という、感覚に直接作用する「形」との関わりを振り返ってみることは、相当にスリルのある歴史探索であり現代的創作への示唆も多いと思われる。
 身廊、交差部の幅、後陣、クーポラの高さ、という四つの要因が6:4:2:3の比率を包含するサンタ・マリア・デル・フィオーレは、結果的には、その純粋比例関係と幾何形態の美しさによって、ブルネレスキをしてルネサンス・ヒューマニズムの生みの親たらしめ、後代への模範とした。大聖堂建築続行についてブルネレスキが市から技術的助言を求められた時点で、大聖堂クーポラは、以前の様々な時代に統一感なく建設されてきた複数部分との調和をはかるという、とてつもない難題をつきつけていた。クーポラの断面図に関しては、ドラム丸窓を中心とする円とそこに内接される三角形、さらに三角形の各辺の並行線によって形成される複数の四角形などが、岡崎乾二郎氏らによって推測されているが、宙空の一点に力が集約されるように作られた大聖堂クーポラは、精緻な計算と構造技術によって実現可能となった。すなわち、重量や材質等実際上の問題に緻密かつ現実的解答を出しつつ、比例関係と幾何形態が実現されたのである。
 では、建築構造のごとく重力や材質の物理的・物質的限定の無い、音楽という形において、純粋比例や幾何学はどのような形態をとっていったのだったか。

ポルタティブ・オルガンの脇にいるギョーム・デュファイ(左) 15世紀マルチン・ル・フランによるミニチュア
ミクロ構造での音程と<ハルモニア>
 デュファイの登場やルネサンスの到来を待つまでもなく、音楽上の音程関係は比率を内包している。ピタゴラスが発見したと伝えられる、弦長比による音程理論は、古代ギリシャ・ローマ時代や長い中世を経て、幾ばくかの理論修正を経ながらも、ヨーロッパひいては現代のグローバルな楽典を支配してきた。ピタゴラスですでに認められている、「よく響きあう」オクターブ、五度という協和音程は、現代も皆が使う音階の元を作ったのである。五度を幾度も積み重ねることによって、言い換えれば、2:3の比率で弦分割を繰り返していくことによって、微小な調整音程(ピタゴラス・コンマ)が必要になるが、その調整を実施すれば、天空の星の配置に合致するところの音階の原形ができあがる。
 数世紀にわたるヨーロッパ中世において音楽教育を支えていたのは、修道院や大学での教養課程としての七自由学科のうち、算術、幾何、天文学と並んで四科の中に組み込まれた音楽理論であり、そこでの音楽理論は主に音程理論だった(中世後半では歌唱や演奏といった実践に傾いたが)。すなわち、宇宙の調和原理ハルモニアを数の諸科学の中で学ぶための<合理的思索>が、高度な音楽学習だとされたのである。
 四科の中に音楽を組み込んだとされる理論家ボエティウス(Anicius Manlius Servinus Boethius 480頃-524)は、中世を通じて音楽の教科書となった『音楽教程』において、二つの音を比べた場合に、<双方の動きの数値>が平等ならば同じ高さとみなし、また、高い音と低い音の<距離>を<音程>と呼んだ。これが今日、幅あるいは隔たりを意味する認識概念として非常によく知られた音程概念である。
 しかしながら音程は、もちろん、数比関係だけで抽象的に認識されるわけではなく、聴覚に訴えるところの<響き>という形をとって人間に認識される。実際、ボエティウスは、先の『音楽教程』において、秩序と数的関係として認められる音楽を、「第一の音楽」または「ムーシカ・ムンダーナ(musica mundana 宇宙の音楽)」と名付け、第二の「ムーシカ・フーマーナ(musica humana 人間の音楽)」や第三の「ムーシカ・インストラメンターリス(musica instrumentalis 道具の音楽)」と区別していた。音程や響きの数比関係といった普遍的理論は宇宙原理と認められるものの、人間が調和(ハルモニア)を感じ、聴覚を通じて知覚的喜びとともに享受できる響きは、第二、第三の音楽だった。
 こうして中世ヨーロッパの長い伝統の中で、数比は原理として音程/響きの中に内包され、第二、第三の、より直裁で感覚器官を通過する快の次元で人間と関わることになる。
時間迷路/空間迷路-聞くことのできる構造
 デュファイの作曲背景にあった音楽理論は、もちろん音程だけではない。とりわけデュファイに直接的影響を与えたものは、14世紀フランスのアルス・ノヴァ様式である。作曲が必ずしも創作を意味しなかった時代にあって、直前の時代に広く浸透した製作技法を使うことは、作曲家、否、音楽をもって神に仕えるのを日課としていた者にとって、作曲家は、職人が伝統を損なわないように日々精進するのと同様のことだった。
 デュファイが受け継いだアルス・ノヴァ(=新様式)は、14世紀フランスの作曲家・詩人にしてモの司教であったフィリップ・ド・ヴィトリの理論書に端を発し、多声音楽の定旋律声部の中に、旋律とリズムという二つの要素を判別し、リズムのユニットやパターンを認めていった作法である。2拍子、3拍子、という今日的拍子概念の基礎を築いた様式ということもできる。 アイソリズム(イソリズム)と命名された、同一リズムパターンの連続による統一感は、同一反復という認知援助ユニットによって拍子の感覚をめざめさせ、異種パターンどうしの区別やさらに複雑な組み合わせを可能にした。
 モテット中のテーノル声部で繰り返される一連の音高は「コーロル(色)」と呼ばれ、繰り返されるリズム単位は「タレア(切断ないし切片)」と呼ばれた。コーロルとタレアの組み合わせは逐次変更ができたが、同時に始まり同時に終わるように組み合わせることができた。
 そして、デュファイがサンタ・マリア・デル・フィオーレのために使ったコーロルとタレアの組み合わせにこそ、ブルネレスキが潜ませた6:4、2:3の比率があったのである。
 モテット『先ごろ薔薇が』は、曲中にタレアが4回反復されるが、それらは出てくるたびに異なる拍子に乗っているため、音楽的には拍節カノンと呼ぶことができる。デュファイが前衛音楽家であったことは、このモテットが複リズムであり、定旋律声部とモテット声部が異なる拍子を持って垂直に組み合わせられていることに象徴される。4回繰り返される2種類のタレアはいずれも、テーノル(定旋律声部)の28拍間にあてられている。すなわち、タレア1、2、3、4がそれぞれ、2*3/2(拍子)=2*6=12、2*4/4(拍子)=2*4=8、1*4/4 (拍子)=4、1*6/4(拍子)=6、であり、12+8+4+6=28 であり、そして12:8:4:6がブルネレスキと共通の6:4:2:3である。
 楽曲進行を時間軸上で導くタレアの継時的組み合わせが、楽曲構成の比率を決めるという事象は、言い換えれば、タレアの基本ユニットによって時間のリニアな進行を司ることである。しかも、こうしたテーノル上のリニアな時間進行は、同時に、テーノル自体が複数存在すること、そして、モテット声部がテーノルとは異なるアイソリズムに乗っていること、という二つの、互いに別次元の事象によって、複層的に作品を構築していく。
 そして、リニア進行と軋み合う第三の時間次元として、逆行も使われる。逆行は、文字どおり、リニアに進んだ時間がある時点を境に逆戻りすることである。人間の聴覚パターンの基本的認知にあって、一般に、逆行は聞こえない(音程上の反転(反行)と違って察知しにくい)と言われているが、デュファイのポリフォニーにあっては、覚えやすい(類似音型が慣例として貯えられてきたような)動きから、迷路に潜り込んだようななじみ無い動きへの突然の変化や、終止の唐突さによって、逆行と確定できなくても某かの恣意的操作が盛り込まれていることが教唆される。その唐突さゆえに、歌う者も聞く者も、過ぎ去った時間を振り返って、過去に起こった事柄を再確認する。迷路に入り込んだ人が遡ってもう一度考え直すように。行きつ戻りつ、過去と未来をともに現在の中にとりこむことによってようやくその仕組みを納得するという時間様態が実現されている。したがって、6:4:2:3は、左から右に時間が進むにつれて、より短い場所を、いわば足早に行く比率であるとともに、ある地点を境に逆のバランスで(3:2ではなく2:3)自分が通ってきたことが、振り返って初めて認識できるような比率でもある。