保存情報第35回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 八事山興正寺 鈴木達也/拠C巳設計

八事山興正寺 九品台より西方を見る散策路。左右の石塔が面白い
『尾張名所図絵』より興正寺をみる
所在地 名古屋市昭和区八事本町78
八事といえば五重塔、県下唯一の塔を有する興正寺は、尾張ニ代藩主光友に建立を許可され、天保十二年(1841)の尾張名所図絵に『八事山興正津寺遍照院(中略)、当山は東西二山ありて尾張高野とも称す。女人結界なればなり。然れども西山はこれをゆるせる故、常に女人の参詣たゆる事なし。西山より東山へ至るには、能満堂の側よりつま上がりにして、左右に有縁・無縁の石塔婆数百建列ね、高野山奥の院に擬す。此内に骨堂あり。夫より左へ山を登りて女人堂あり。即東山の入口なり。是より女人の参詣を禁ず。女人堂より半町程東に、九品台と称して九品佛の石造あり。此北に隣りて開山塔あり。此山を善衆界という。総本尊大日如来居ませる後ろの山を呑海峯となづく。眺望いうばかりなし。又東へ下りて開山堂あり、其東に鎮守八幡宮の社あり、此所を吐月峯と号す。月の詠尤もよし。夫れより東山の本堂前へ出づる。委しくは図を見て知るべし』とあります。
 三百三十年近くより、昔日の面影を変えることなく、平坦な名古屋市内では珍しく、深山を思わせる山や丘を有し、自然の樹海を残し、都会とは思われない静かな環境で、衆人の散策ができる境内は貴重な存在と思います。いつまでも保存したい都市景観であり、心のふるさととなるでしょう。旧暦8月15日の千灯供養会もなかなか優雅で幽玄な趣があります。ぜひご参加ください。参考文献『尾張名所図絵』上巻(名古屋市史 大正8年)
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) いな葉 藤田淑子/名古屋女子文化短期大学

松の枝から垣間見る木造3階建ての宿は伊東市まちなみ50選の一つ

季節感漂うデザインの「菖蒲の間」の書院と猫間障子
■発掘者コメント

 いつか文化財の宿に泊まってみたいと思っていた私は、伊東市の木造3階建て旅館『いな葉』に宿をとった。現在の旅館は1948年(昭和23)の創業であるが、建物は大正末期まで遡る。昔の「油差し」を思わせるお椀型の屋根の望楼と隣の文化施設「東海館」の方形屋根の望楼がシンボル。窓辺に続く木の欄干は当時の原形を留め、松川沿いを散歩し、大川橋から眺める景色は、ふと時代を忘れさせる。
 大正年間から昭和初期にかけて、これらの木造の旅館は伊東の温泉街の中心として存在し、『いな葉』の前身「大東館」は当時炭屋で財を成した伊東市八幡野出身の稲葉惣次朗によって建てられた。八幡野には材木商が多かったとのことで、館内いたるところに、曲がり、変木、節、シャレ木、皮付きなどの銘木の粋を集めているインテリアからもうかがえる。
 1996年(平成8)頃から、館の老朽化と経営の世代交代に、どう維持していくかが問題となった。思い切って建て直そうか、それとも手直しでいくか、友人で建築士の日比野正夫さんと京都の老舗旅館を見学したり、泊まったりしての結論は、木の持つ特性と熟練された伝統技術の客室は残し、人件費を考えて食事は一階に集めるというコンセプトであった。
 随所に見られる彫刻師・森田東光の透かし彫りの欄間や書院、新しくなった浴室の、創業時以来、師の作といわれる「文福茶釜」からの湯が、ゆったりと旅の疲れを癒してくれる。
参考文献 『ひいきの宿』(旅行作家の会企画・編集褐サ代旅行研究所発行) 『私たちの郷土・伊東』(伊東市教育委員会監修) 『「旅館いな葉」名建築に泊まる』(稲葉なおと/週刊新潮02/10/3号) *関東大震災(1923年)後建築。棟札・普請録有形文化財に指定された。