保存情報第34回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 尾張東照宮と那古野神社 才本清継/才本設計アトリエ
■発掘者コメント

 尾張東照宮と那古野神社は名古屋城外堀に面し、丸の内オフィス街の北端に並んで建っている。そしてこの地域ではまれな緑地帯となっている。境内は落葉樹が多く今は冬季のため緑が少なくさびしい風景だが、春の花見のシーズンには桜で満たされ一気に華やかさを増す。所狭しと露店が並び、オフィス街の中とは思えないほど花見客でにぎわう。
 最近ではこの地域はオフィスとマンション、そして虫食い状態で増えつづける飲食店で覆われてしまっているように見えるが、わずかに残った地元住民(昔から住んでいる)のため地域のお祭りも行なわれているようである。
 東照宮社殿は1619年(元和5)尾張藩祖徳川義直が名古屋城三の丸に創建、1876年(明治9)に、名古屋城が名古屋鎮台になるのに伴い現在地に遷座された。創建以来の権現造の本殿、渡殿、拝殿、楼門、唐門など極彩色の国宝の建造物が美を誇っていたが、1945年(昭和20)戦災により焼失した。現在の社殿は、義直の正室高原院の霊廟で、万松寺境内あったものを大正3年(1914)建中寺に移し、さらに1953年(昭和28)に東照宮社殿としてここに移築されたものである。棟札によれば1651年(慶安4)の建物で、県文化財に指定されている。
 現在敷地の西端には東照宮会館、東端には那古野神社の斎館、この二つのコンクリート建物に囲まれ閉鎖的で、この緑地と文化遺産を市民が享受できにくいのは残念である。
東照宮社殿
 敷地後方には名古屋高速道路の高架が見える
那古野神社境内
 桜のシーズンには露店が並び見物客があふれ、夜桜は昔にタイムスリップした感じ
所在地:名古屋市中区丸の内2-3

尾張東照宮は県指定文化財となっている

参考 『総覧日本の建築5東海』日本建築学会編 新建築社刊
登録有形文化財 東海学園 高橋敏郎/愛知淑徳大学
■紹介者コメント

 未紹介の登録有形文化財も残り少なくなってきた中、ぜひ一見したかった東海学園講堂を取材した。すでに「建築ジャーナル」や「朝日新聞」などでも紹介され、知る人も多い近代建築の名品である。
 仏教系の学校として創立され、進学校として名高い東海学園は名古屋市東区筒井町にある。学校創立は1888年(明治21)。生徒数が1,000名を超え、設備の充実に併せて昭和天皇即位記念事業として講堂は1930年(昭和5)着工、翌年竣工している。設計は愛知県営繕課長の酒井勝、旧制東海中学卒業生の同営繕課の大脇勲、宮川只一が担当し、設計にあたり各地の学校建築を視察し参考にしたようである。施工は志水組であった。
 鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上3階の建物の外観の意匠は近世式、茶色のスクラッチタイル貼り外壁に入口の白の半円アーチ、2、3階の白の窓額縁部分(アルコーブがゆるく弧を描いて張り出している)、庇部分の白の装飾などが印象的で重厚な中に華やかさを持っている。
 1階は食堂や購買に使用されている。2、3階は1,200名が収容できる講堂で、現在も入学式、卒業式などの式典に使用されている。内部はハンチを持つ梁がアーチ状にかかり、塗り仕上げの天井を木製廻り縁が引き締めている。梁のハンチ部分と中央部には鏝仕上げのレリーフがはめ込まれ、2、3階客席部のプレギリシャ様式の列柱と共に空間を印象付けている。舞台後部の壁面の額縁は卵鏃模様に縁取られ中央上部には半割のコンポジット式柱頭が取り付けられているがどことなくアール・ヌーボー的であり極めて珍しい意匠を施している。聞き漏らしたが、緞帳の向こうは御影か創立者の遺影がかけられていたのだろうか。厳かな中に華やかさを併せ持っている講堂である。
スクラッチタイル貼りの重厚な外観 200名が収用できる講堂は3階建て