音 楽 と 空 間 D

戦後日本音楽における三つの空間


水野みか子
(作曲家・名古屋市立大学芸術工学研究科助教授)
 第二次世界大戦後から今日まで五十年余の日本の音楽史において、もちろん特定の作曲家に限られての創作傾向だが、「空間を作ること」や「空間を意識すること」が音楽の新しい展開を約束するように考えられた時期があった。そしてこうした空間性の強い音楽制作の現場では、種々の技術者、建築家、美術家、舞踏家らと音楽家との議論や共同作業が活発に行なわれていた。今回は空間性を強く打ち出した1950-70年代の三つの日本の音楽傾向をとりあげ、1.音の位置変化、2.音色の多層性、3.関係可能態、と命名して三種類の空間性を考えてみたい。
位置変化
電子音楽構成要素としての定位と動き
 戦後日本音楽が空間性を打ち出した第一の時期は1950年代半ば、アジアで初めての電子音楽スタジオがNHKにできた頃である。ドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンが、音楽の要素を、旋律、リズム、和声、楽器音色ではなく、音高、持続、強度、音色といった「音」の要素にまで還元して再構築する「セリー音楽」の理念から(狭義の)「電子音楽」の制作を提示したのにいち早く影響を受け、また一方では、フランスのピエール・シェフェールが、周波数の整理された楽音ではなく「噪音」もしくは「騒音」によって「具体音楽」という新たな音楽形式を生んだのに影響されて、黛敏郎や諸井誠ら先端的作曲家たちは、日本でも電子的手段を使った音楽制作の環境を整え、技術者とのコラボレーション体制を築いて創作に励んだ。
 電子音楽における構成要素としての空間性は、音質や音色の内部構造として実現される場合と、音楽再生の場において再生装置の性能によって実現される場合とがある。後者が、特定音楽作品に特化された再生場所としてのホールや建物を生み出したことは、これまでの連載でも触れた。すなわち大阪万博での鉄鋼館や山口県に建設された秋吉台芸術村ホールなどである。より一般的に言えば、電子機器を使って音響や音楽的構造を創作する場合の再生環境は、作曲家が指定すべき作品構成要素となったのである。
一方、音質や音色構造としての空間性は、非楽音の素材化や器楽声楽音楽における微分音の使用などに伴い、音響現象への作曲家の耳の洞察として現れた。『ボクシング』(TBS)や『炎』(新日本放送)といったラジオ・ドラマのための具体音楽には、作曲家達の鋭い音色感性が聞こえる。具体音楽やテープ音楽の手法は、次章で述べるような器楽のエクリチュールにも影響を与えた。
音色の多層性  
湯浅譲二の音色空間、
複層的時間、インテンシティ
 現代日本を代表する作曲家のひとりである湯浅譲二は、慶応大学医学部を中退して1951年、美術/音楽の実験的創作を行うべく「実験工房」を結成した。「実験工房」での湯浅は、瀧口修造のリーダーシップのもと、武満徹、鈴木博義ら作曲家や北代省三、山口勝弘ら美術家、評論家であり詩人である秋山邦晴らとともに、バレエ、テープ音楽、オートスライドなど様々な形態の作品に関与し、武智鉄二演出の現代能『綾の鼓』のための弦楽四重奏作品や松本俊夫監督映画『白い長い線の記録』のための管弦楽と具体音楽といった、ドラマに関わりの深い分野で独自の音感覚を磨く一方で、管弦楽曲や器楽作品でも独自の音色表現を生み出していった。「オーボエは近く、フルートは距離感がある(*1)」といった楽器音色感覚は、主観的感性ではあるものの、管弦楽のテクスチュアとして整合的に組み上げられた場合には、特別な説得力を持ちえたのである。
 湯浅は、1972年の『トランソニック』誌第4号に寄稿した「テープ音楽の器楽への影」(*2)の中で、様々な器楽手法による空間表現について言及している。たとえば、弦楽四重奏において弓を強く弦に押しつけたときに出てくるディストーションとしてのひずみは「音色空間の質」を変え、「弓で奏されるタムタムが、ノン・ヴィブラートのフルートとコントラバスにエコーとしての影を落とす」といった具合に、「ある音色がエコーを伴うことによって変化し、それによって距離的空間感、つまり音のパースペクティヴ」を持つのであり、「音色の粗、密によるインテンシティの差」も空間性の要因となる。
併置としての空間性も、湯浅音楽にとって重要である。これはたとえば、戦後日本の代表的管弦楽作品のひとつとなった湯浅の『クロノプラスティック』に見られるような、「それ自体自律的な音楽、あるいは音の動態を、そのまま部分的に切断し、張り合わせる」ものである。
 さらに湯浅は、ドラマの音楽に代表されるように、「人間関係の生み出す空間関係と、そのテンションは、そのまま音楽の空間的テンション」(*3)である、と言っている。テンポ、音色、音程といった個別の音楽パラメータは、テンションないしはインテンシティというコンテクストに置かれて新たな空間表象力を持つのである。
即興演奏と音響オブジェクトのためのコンサート
<グループ音楽>
第1回公演
水野修孝≪金管群のための三つの次元≫
≪テープ音楽≫
塩見千枝子≪モビールTUV≫
刀根康尚≪磁性テープによるピアノ的音響≫
戸島美喜夫≪M-C.No1≫
柘植元一≪テープのための音楽≫
小杉武久≪O-S-3,1961≫
グループによるインプロヴィゼイション
≪メタプラズム・9-15≫
出演
水野修孝、塩見千枝子
刀根康尚、戸島美喜夫
柘植元一、小杉武久
北村昭、八村義夫
日本フィルメンバー
安倍圭子、武田明倫
1961/9/15
一柳慧作品発表会
1961/11/30
≪ピアノ音楽第2≫
≪弦楽器のためのスタンザス≫
≪ピアノ音楽第7≫
≪回帰≫
≪IBM出来事(ハプニング)とミュージック・コンクレート≫
出演 
一柳慧、水野修孝
小杉武久、刀根康尚
塩見千枝子、多忠麿
高橋悠治、武満徹
黒川欣映、黛敏郎
関係可能態 
偶然性と即興が提示する
可能態としての空間
 1960年代の異分野コラボレーションの砦と言えば、草月アートセンター(ディレクターは勅使河原宏)であり、ここから発信された音楽の空間理念は特異な光を放っている。草月で紹介された陸続たる実験音楽のなかでも、音楽の空間創出という観点から特に注目したいのが「グループ音楽」の即興活動、および、実質的にジョン・ケージとその破壊力を日本に伝えた一柳慧の作品展である。(表1)参照。
 「即興演奏と音響オブジェのコンサート」と題された1961年9月の「グループ音楽」コンサートは、アートセンターで現代音楽を標榜する『草月コンテンポラリー』のシリーズには入っていなかったものの、「グループ音楽」という言葉が越境音楽の代名詞になるほどにセンセーショナルであった。入野義朗をはじめとする戦後日本音楽の第一世代や、マスコミによってスターダムに上りつめた黛や芥川らもこのコンサートに強い影響を受けたという。
 水野修孝、戸島美喜男、小杉武久、塩見充枝子、柘植元一らによる即興演奏を主体とする「グループ音楽」は、メンバーの多くが作曲科ではなく楽理科の出身であったこと、東京芸術大学学園祭での即興バトルから活動が始まっていること、などに大きな特徴があり、作曲手法としては極めて自由な発想を持っていた。最初期の試みでは、小杉と水野が「こういうことなら楽譜を書かなくてもできるかもしれない」と、オリジナル曲を演奏しながらテープレコーダーで連綿と録音していったという。シュールリアリズムの自動記述に近い発想から、大学内の、どちらかと言えば密室のようなプライべートな部屋で「即興−録音」を継続し、独創的なパフォーミング形態を生んでいった。「グループ音楽」は駒場東大前の邦千谷舞踏研究所でも連続的に活動し、上記の草月でのコンサート以降も強い波紋をなげかけていった。その流れで60年代後半には、「チームランダム」と称して乱数表を用いた創作を展開し、当時東大建築科の学生だった月男嘉男氏もそこに参加した。
 ケージの強い影響を受けて帰国した一柳慧も草月の「グループ音楽」コンサートに衝撃を受け、自分のリサイタルに小杉と水野を出演させたので、その後、刀根と小杉は熱烈にケージに心酔し、小杉はマース・カニングハム舞踏団でのダンス・コンサートにおいて、刀根は独自路線のノイズ音楽において、ケージの日本的後継者として世界的活動を展開する。現在までの歴史展開に鑑みると、「グループ音楽」、『草月コンテンポラリー』、日本におけるケージ・ショックといった前衛の状況は、主義の相違や多少の時間的前後関係はあるにせよ、ひとつのまとまった芸術気風として60年代をもりたてたと言ってよいだろう。
 このような即興活動での空間意識を、小杉は、たまたま身近にあった備前焼の徳利とインドの法螺貝を使うというような、寄せ集めのモノによる「アノニマスな音」の創作として語った(*4)。すなわち、寄せ集め、偶然、出会い、それらの見えない関係性がひも解かれてくるようなトポスとしての空間を開くことが作品の課題であり、そこでは、ひとつの固定された音というより、もっと展開できるものとしての「アノニマスな音」が、「聞こえないけれど存在している」。聞こえないがゆえに、そこに可能態として存在する音は、時間軸をリニアには進まず、多岐的に分岐する可能性を秘めている。そこに存在するかもしれない「アノニマスな音」はサウンドのカンヴァスまたは準備庫なのであり、鳴るかもしれないし、鳴らないかもしれない。音楽作品は、空気を振動させるかもしれないし、振動させないかもしれないモノと行為との関係可能性の集積場となっているのである。そしてこの集積場は、確定した大きさや有限個の物体を納めているのではなく、偶然によって粗密大小様々な容態となりうるのである。
(*1)筆者との直接の対話における発言。
(*2)手法における複数の異次元空間の組み合わせである。『トランソニック』第4号(1972)所収、36-46頁。
(*3)湯浅譲二『現代音楽 ときのとき』(全音音楽出版社、1978).111-112頁。
(*4)小杉武久『音楽のピクニック』(風の薔薇、1991)、202頁。