日々の建築物の研鑚が建築家の存在を認知
岐阜地域会会長
        車 戸 慎 夫
 
 2期4年の岐阜地域会会長職の任期も、残すところ3カ月余となった。正直、4年前私は退会予定者であったが、その時の思いと現在の心境については、誌面が残れば最後に語りたい。
 組織の存在理由、役割についての考え方、組織に期待する事柄など、各々の会員の置かれた立場・社会的環境によって、ずい分と異なることを痛感した4年間でもあった。
 岐阜地域会の会員は、比較的その環境・立場の相違が少なく、統一的なコンセンサスを明文化しなくても、意見・考え方が近く、自分の実生活の実感での判断に対し、多くの協力をいただいたことを感謝している。
 残りの任期で一番重要なことは、私の能力不足による地域会活動の停滞の原因分析と、多くの反省点を申し送り、根本から地域会を建て直してくれる次期会長の推選と引き継ぎである。
 CPDは、われわれが地域社会で発言・提案し、社会と関わりをもって活動するための一助となるべく、「町づくり」を軸に、私なりのネットワークを地域会の皆さんに共有していただく思いで、展開してきたつもりである。
 「登録建築家制度」は、地域会会員の半数以上の方に協力いただくことを目標にしてお願いしているところで、なんとかクリアできるのではないかと思う。
 ところで、「建築家」の社会的な認知度は、その定義の内容がJIAとは異なるものの、近年急速に高まっていると思う。TVや『ブルータス』などの諸雑誌には、「建築家=アーティスト」として多く登場し、若者たちはよく知っている。「真」の建築家の定義はさておき、彼らが時代の嗜好をつかみ、作品をつくり続けていることによるのであろう。
 地域で「町づくり」に積極的に参加し、自分の職能の領域から発言・説得し、また施主に自分の設計の考え方を説得させるためには、何よりもまず自分が、建築の領域ばかりでなく、社会全般の諸事情を「納得」できるよう学ばなければならない。その意味で、われわれが日々建築物をつくる行為こそが一番大切であり、CPDは必ずだれもがその行為の中で実践しているはずである。それなくして、施主な地域社会からオファーはあるはずもなく、長い時間はかかろうが、やがて社会が「建築家」の存在に気付いてくれるものと思う。
 最後に、役員会は楽しい談論風発の場であったらと思う。