保存情報第33回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 大寺山願興寺(蟹薬師) 保浦文夫・鈴木奈々/潟сXウラ設計
■発掘者コメント

「いやあ、お粗末なもんだ!よくもってんなあ。」思わず口から出た一声…古きよき時代へのタイムスリップとして訪れた岐阜県御嵩町にある願興寺。弘仁6年(815)人々の苦しみを救おうと施薬院として開創され、年月を経て180年後に伽藍としてまとまった。後二度の火災によって焼失した寺院を民衆の熱い思いにより再建したのは、そのまた600年後である。平面計画は宗教的影響を受けた「四周一間通り」他に類をみない独特なものである。当時としては極めて珍しく、発起が非力な一庶民だったため貧しい財力で完成した寺は、柄は大きいが粗造りで粗末な感は免れない。その姿から受けた第一印象が、最初に思わず出た私の一声である。しかし歴史を語り、焚き火の煙の立ち込める境内にしばらく身をおくと印象は大きく変わる。木の葉で遊ぶ子どもたち、車いすで散歩する老爺、千年の時を経て今もこの寺に集う庶民の姿を眺めていると、現在に息づく寺院の姿が感じられる。長い長い年月をかけ庶民の力で造りあげられたこの寺は今もなおここに集う庶民の心によって生き続けているのだ。外見の美しさに惑わされず堂々とそびえ建つこの姿に一言、「すばらしい!」。境内の鐘楼門も文化財に認定され今も町民に慕われている。先人の尊い所産である建物と現在の庶民生活の結びつきこそ本来の文化財の意味ではなかろうか。そんな文化財が数多く点在する御高町で歴史に心を傾けると、現在に生きる多くのヒントを得ることができるでしょう。

*本堂、24体の仏像はともに国指定重要文化財に指定されている

所在地:岐阜県可児郡御嵩町御嵩
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 伊勢久株式会社 山上薫/山上薫建築事務所
■紹介者コメント

 内々神社は、春日井市から多治見市へ抜ける国道19号の旧道沿い、内津峠近くにある。『延喜式神名帳』(927)に登載された式内杜であり、明治時代には県社という社格で、春日井市内では二社しかない、位の高い神社であった。社殿の案内板には次のように記されている。
 「内々神杜の創建は古く、平安時代の延喜式に記載され、祭神には建稲種命(たけいなだねのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・宮賛姫の命(みやずひめのみこと)を祀る。
 現在の社殿は、信州上諏訪の大工立川富棟、富之、富方の立川一門によって、文化年間(1804〜1818)に造立された。
 建築様式は、本殿と拝殿を中間の幣殿で連結した、いわゆる権現造りである.本殿は三間社流造。拝殿は正面に一間の向拝を構え、軒中央の唐破風と大屋根の千鳥破風の重なりが正面感を強調している。向拝の海老虹梁に代表されるように、拝殿・本殿ともに細部に多くの白木の彫刻が施されており、江戸時代後期の傾向を示す代表的な神杜社殿である。」
 屋根はもともと檜皮葺きであったが、1981年にその上に銅板が被せられた。
 社殿の裏にある回遊式林泉型の庭園は、南北朝時代の名僧夢窓国師(1275〜1351)の作と言われる。少しの平地と裏山の急斜面を利用し、白然の岩を巧みに取り入れて造られている。三大巨岩、とくに中央に高くそびえる天狗岩が影向石(神仏が来臨して一時姿を現す石)をなし、その下に池が掘られて、出島、中島がある。まさに立体的な美の世界であり、古くから有名であったことも頷ける。このような庭園は平坦な名古屋近辺では珍しく、貴
重なものと思う。
 社殿と庭園は共に愛知県指定文化財となっている。

参考資料『春日井の神社』

所在地:春日井市内津町24
構造 :木造
竣工年:社殿 1813年