竜を施した蔵飾り
泥遊び精神C   壁の祈り
山本 寿仁(且R共建設専務取締役・土蔵保存研究室主宰)
 そもそも壁土はどうやって作られるのか。材料は土と水、礫(レキ)、スサであるが、基本的に土と水があって、川砂など粘土分を含まない土を除けば、ほとんどが壁土として利用できる。
 レキとスサを加えるのはヒビ割れをおさえるためである。陶土など粘土質の高い土は収縮がきつく、これを緩和させるために必要になる。
 また、スサは固化性を高める働きもする。ワラなどを切り刻み、土・レキ・水と合わせて2〜3カ月ほど寝かせると、発酵し、糊の役目を果たすようになる。これをわれわれは「腐り汁」などとも呼ぶが、発酵がすすむとその名にふさわしい、ドブ川にも似たすさまじい臭いが漂いはじめる。スサの繊維、セルロースはつなぎになり、壁を頑丈に引き締める。
 その後、塗りに入る。土蔵の場合、われわれが住む三河では、大抵寒中に作業を行なう。空気が乾燥し、水分で木舞や縄を腐らせることがないからである。土が凍えるような寒冷地では時季をずらすことだろう。
 土、水、レキ、スサを合わせただけの天然の複合材。実際には土中に含まれる鉱物と水が何らかの化学反応を起こし、強度を増すことはあるが、人為的な化学変化を加えるようなことはしない。まさに自然界がなすワザである。公害物質を自らの手で作り出し、これをおさえるためにまた化学薬品を使用するというイタチごっこを人間は繰り返してきたが、古より伝えられたこの複合材には環境負荷が一切ないのである。
 さらに私の父によると、壁土が素晴らしいのは再生が可能であるだけでなく、強度を増すという点にある。
 何百年も経た寺院の壁土を溶いて寝かせると、またあの「腐り汁」の臭いがただようが、これは壁土が眠りから醒めたのである。人間の一生などはるかに超えた時間が、土壁に存在するのである。
土に住む
 土が地球に登場したのは約4億年前である。オゾン層の形成で紫外線が遮られるようになるとまずシダ類が、次にバクテリアが地上に上り始め、その残骸から発生した有機酸と、冷えたマグマが土を成した。
 住居としては竪穴式住居以来、世界各地で住まわれている。大方の日本人には土の中に住むということは、汚い、貧しい、という印象が一般的であろう。しかし、その効能を知れば、貧しいのはどちらか、と問いただしたくなる。
 土の家の最大の効果は何度も述べるようだが、調湿効果と防火性の高さである。
呼吸する土
 土壁は空気中の水分が多いと吸収し、不足すると放出する。壁土に囲まれた空間は湿度が安定し、高温多湿の国の住民に快適をもたらしてくれる。
 これは人だけではなく、土蔵に収納された調度品や紙類、衣類が傷まないのも調湿作用によるものである。博物館の収納庫は必死に湿度コントロールをしているが、土はそこに存在するだけで素晴らしい仕事をやってのける。
 なぜか。土には細かな穴が無数に空き、湿度調整をする。土が呼吸するのである。これは人工的に作ることは可能であるが、途方もない金がかかる。むしろ多くが塵芥の一部とぐらいにしかとらえていない土に、こんな素晴らしい効能があることを再認識すべきであろう。
 私の父が請負った仕事の中に、コンクリート住宅がある。新建材が一般に出回っていない時代でもあり、壁の仕上げに父は当然のように土を塗った。
 父の亡き後、今度は私が修復を頼まれ、恐る恐る聞いてみた。さぞや湿気に悩まされてきたことだろう、と。するとその家主はキョトンとして、
「結露? 一度も経験したことがないよ」
 土のよさを生活に取り入れるには土壁しかない、と私にさえ思い込みがあったが、何とコンクリートの表面に塗られてさえ、土の調湿作用が適えられるのである。これは大きな驚きだった。
有害物質を出さない今求められる防火材

打出の小槌をデザインに
 防火構造としての土は、竈や風呂場の焚き付けの周辺で使われ、ある年代以上にはお馴染みである。土蔵は火災から収納品を守ることも大きな目的であり、火を使う職業、鍛冶屋などは作業場には土を塗り回し、その効果を最大限に利用した。
 現在の日本の建造物は、わざわざ密閉し、高温多湿の気候に合わないところをエアコンや加湿器、除湿器で補っている。カーテンや壁紙など燃えにくい材質は増えたが、しかし生活環境は有毒ガスを発生させるものに囲まれ、家事で生命を落とすのは焼けるからではなく、大抵がガスを吸引し、脳神経が麻酔して動けなくなくなることが原因になっている。
 住生活を充実させるために環境を悪化させ、それを解決するためであるのに、さらなる有害な物質を編み出してしまう現代社会の構造。この悪循環は早く断ち切らなくてはならない。
忘れられた職人たち
 土は現代建築の問題を容易にクリアしてくれる。素晴らしいのはこれらが、実験データやら研究により見出されたのでなく、経験則により培われた点にある。
 自分の一生をはるかに超えた知恵を、職人たちは身にまとい、さらに各々の経験を加えて次世代に受け渡してきた。職人の技術とは歴史であり、同時に継承の過程であるべきなのである。
 しかし現代社会で果たしてその役は果たしえているであろうか。左官の場合、Noである。前回述べたように、まず太平洋戦争、そして高度成長期の消費社会の到来が、左官を衰退においやった。
 そしてもう一つが、建築家やゼネコンの台頭である。その多くが現場を見ず、机上(またはパソコン)で図面を引くことを建築だと信じているのは如何なものか。
 彼らがとらわれているのは見た目の斬新さや流行である。またやたら新建材を使いたがるのは、私の目には知識不足を隠すためにしか見えない。職人に何ができるのか、そこに自然の理に適ったどんな知恵が隠されているのか知らないのはもったいないことである。
 これらの下で左官は、ただの「塗り屋」となった。しかも材料が土でなくセメントで、土を扱う場合も販売されるモノを扱うため、その土地ならではの素材を吟味し、創意工夫するということを知らない。ノルマを果たし、経済効率優先の歪みが左官衰退へと拍車をかけている。「渡り職人」に見られた職人の誇りはごく一部の「名人」を除き、皆無に等しい。
 素晴らしい建築をなし得たかつての職人たちの、目の確かさを奪ってしまったことの重大さに、私たちは気付くべきではないだろうか。

コテ絵 石鎚神社「天狗」

森本家「富士山」

古和田家「方位図(時計)」

藤森家「金太郎」

「鶏のつがい」
「祈りのある壁」
 すぐれた左官の条件とは何であろう。土の特性をよく知り、どんな壁もこなす技量があることはもちろんだが、それだけでは一介の技術屋で終わってしまう。
 職人はワザを磨き、建築主の求めを理解するためにも幅広い視野と知識、そして柔軟な脳を持たなければならない。茶の湯や華道で美意識を高め、社会情勢に通じ、道楽さえも仕事の糧となった。「遊び心」はモノ作りに不可欠だからである。そして何よりも大切なことは「祈り」だと、榎本新吉さんは言う。
 「うまい職人はいくらでもいるよ。でも俺の壁には祈りがあるんだ」
 現在左官の最高峰である氏は、今も祈りを唱えてから仕事にかかるという。これはどういうことか。
 左官という仕事は相手が自然である。いや左官だけでなく、かつてはどの職人も自然界から材料を得て仕事をしていた。そこには当然、悟りのようなものが発生する。私たちを生かし、糧を与えてくれる自然。それに畏怖を感じる鋭い感覚を持ち得ればこそ、手を合わせずにはいられない。
 しかも自然は職人の腕を超越し、素晴らしい表情を見せるのだ。時間の経過にしたがい色を微妙に変化させるのはナゼだ、どうしてそんなに優しい風合いを見せることはできるのだ。実は職人が自然素材を材料にするのではなく、自然という芸術家に仕えるために選ばれた者たちを職人というのだ、という気さえしてくる。
 さて現代社会で人は、自然への畏怖を失いつつある。あなたは壁の祈りが見えるだろうか。