揚輝荘 郷土史 まちづくり 第6回

「揚輝荘」と「まちづくり」…再構築をめざして
佐藤 允孝
(「揚輝荘の会」事務局長)
揚輝荘の奥深さ
 『文芸春秋2003年5月号』巻頭随筆に「インド在住六十五年目の死」(ジャーナリスト小島卓)と題して、パルク・ハリハランさんの妻・聡子さんのことが書かれています。すでに触れたように、揚輝荘・聴松閣地下にあるヒンズーの女神の壁画を残したのが、P・ハリハランさんです。これまで私たちは、壁画の前に立って「ここに寄宿して陶器の絵付けを勉強していたインド人の画家が描いたもので、彼は祐民氏のインド旅行にも随行しました」という程度の説明をしておりました。ところが、この記事には、彼はインドの詩聖タゴールの薦めで日本へ来たこと、インド独立運動に深く関わったこと、日本人を妻に迎え、独立後も日印交流の架け橋になったことなどが記されており、壁画の主がその後、数奇な人生を歩んだことを初めて知り、新たな感動を覚えました。
 また、先日、名古屋市博物館で「名古屋の商人・伊藤次郎左衛門」展が開催されましたが、そのベースになった史料の一つに、名古屋市市政資料館で整理した伊藤家所蔵古文書がありますが、それだけでも4千8百余点にものぼる膨大な量です。
 これからも、こうした資料の調査・研究が進んでいけば、揚輝荘の新しい魅力が発見され、歴史的資産としての価値や奥深さがより認識されていくでしょう。それはまた、ここを文化的・教育的資源として、再構築していく新たなモチベーションにもつながっていきます。
まちづくりへのアプローチ

伴華楼玄関で出迎えてくれる祐民氏のブロンズ像
 本年6月、任意団体「揚輝荘の会」が発足しました。メンバーは、建築・歴史・環境などの研究者・学生、社会活動や諸分野に関わる各年代の市民約70人です。会則には、「本会は、市民ボランティアの立場で、揚輝荘の保全・管理を行なうとともに、それを市民の生涯学習のためのコミュニティー・情報基地として構築・活用し、文化的・教育的なまちづくり(市民社会の実現)に貢献することを目的とする」とあります。
@ 揚輝荘の由緒ある近代建築物、華麗な庭園などハードウェアの豊富さ、それが住宅地の真ん中にあることの意義。
A 伊藤次郎左衛門家の4百年の歴史と伝統というソフトウェアが背景にあること。
B ここを市民の力で保全・活用していきたいという声が高まっていること。
などが会員の共通認識です。
 今、揚輝荘地内に再開発計画が持ち上がってきています。北の伴華楼・池泉庭園エリア、南の聴松閣・座敷・南庭エリアを名古屋市が寄付を受け、市民の文化資産として保存・活性化していく方向で、行政・NPOのパートナーシップのもとに、公有民営型の管理・活用システムの模索が進められています。
「揚輝荘の会」も、NPOとして、次のような活動に取り組もうとしています。
@ 維持・保全活動
 建物の雨水処理(樋・排水)が不良で、あちこちで漏水、浸水による床・壁・天井の腐食・剥離が見られます。植物の育ち過ぎ、庭の日照不足、落ち葉の堆積による池や散策路の埋没などがあります。緊急を要する建物の補修や庭の整備を、ボランティア参加型の
A イベントの開催
 今年、中秋の名月の晩に、聴松閣でマリンバを聴く「お月見コンサート」を開催し、古来からの月の名所を実感しました。紅葉・桜の季節には、屋台・野点・音楽などで演出した楽しい園遊会も企画しています。こうした催し物によって、遊び・イベント・ホスピタリティーの場であった揚輝荘の魅力の再発見ができればと思います。
B 案内・ガイド
 これまで、数多くのグループを案内して解説ガイドを行なってきました。参加者からは「こんな街中に、こんな良い所があったとは知らなかった。ぜひ残して活用してほしい」という声がいつも聞かれます。
C 調査・研究・発信
 揚輝荘や地域に関連した歴史・文化・人物などの調査・研究・解説パネルや史料を展示したり、紹介ビデオ・リーフレット・植生や庭園のマップなどを作成し、情報発信を進めていきます。
まちづくりのビジョン
@ 動的な活用
 地域のコミュニティーの構築をめざすからには、資料館のような静的施設だけではなく、市民参加型のイベントで多様な人々が行き交い、双方向で情報が授受される動的な場の演出・構築・提供・活用を中心テーマとし、学校や図書館や博物館では達成できない総合学習や生涯学習の基地をめざしたいと考えます。
A リピーターを増やす
 まちづくりの拠点としては、何度でも行きたくなる、いつ行っても楽しい場所にしていかなければなりません。そのためには、変化のある参加型のイベントの継続的な開催、各種グループへの場と情報の提供に加え、ホスピタリティーや気の利いた飲食などの付加価値も必要でしょう。
B 地元住民の参画
 他地区からの訪問者の受け皿づくりも必要ですが、地域住民のリピーターのウェイトが高くなるような方策・演出が望まれます。また、商店街や行政などの諸施設との協調・協働によって、この地域の面としての魅力がアップすることを目標にしていきます。
C 特性を生かした統一コンセプト
 揚輝荘の貴重な近代建築・庭園の保全とともに華麗な歴史の重み、伝統的な文化の香り、余裕と優雅な遊び心などの特性を失わず、受け継いでいきたいものです。伝統行事の継承やアジアの留学生が寄宿していた歴史を踏まえて、留学生に交流の場を提供するなどはどうでしょう。しかし、来訪者の数を求める余り、異質なアイテムを取り込み、全体のコンセプトが崩されてしまうことは避けなければなりません。
D NPOとしての独自性
 行政とのパートナーシップを構築し、公有民営の長所を生かしながらも、NPOとしての独立性・自立性の維持が必要です。会の運営・活動は、あくまでも、市民の目線で(市民のニーズに沿って、市民主導で)行なう必要があります。そのためには、会の財政基盤の確立が重要課題となるでしょう。
 こうした考えに基づいて、揚輝荘の再活性化の活動を始めようとしていますが、その壮大な歴史を知るにつれ、往年の輝きを取り戻す術は見つかりそうにありませんが、祐民氏がめざしたコンセプトを継承しつつ、市民が交流し、楽しみ、学ぶことのできるコミュニティーが構築され、地域に新しい活力が形成されていくことが期待されます。
 この連載では、揚輝荘にまつわるタテ糸・ヨコ糸を紡ぎ、まちづくりという布を織り上げてみたいと豪語しましたが、揚輝荘の間口の広さ、奥深さに圧倒され何本かの糸をたぐり出し、撚りをかけてみる程度で終わってしまいました。今後、市民という新素材によって、新しい布が織られ、創建者・伊藤祐民氏の思想・意図が模様となって描き込まれていけば、21世紀に向けて、彼の思いが新生揚輝荘(=地域の文化)となって再び花開いていくことになるでしょう。
揚輝荘配置図
(1939年(昭和14)頃)
名古屋市博物館企画展展示資料より

1 揚輝荘座敷
2 暮 庭 庵
3 聴 松 閣
4 端 の 寮
5 不 老 庵
6 四   阿
7 問 松 亭
8 峠 茶 屋
9 西 行 庵
10 三 賞 亭
11 白 雲 橋
12 豊 彦 稲 荷
13 伴 華 楼
14 土   蔵
15 栗 酒 屋
16 サンタール
17 厠及び物置
18 八丈島四阿
19 有 芳 軒
20 車   庫
21 四   阿
22 温   室
23 弓 道 場
24 弓 道 場
25 愛 知 舎
26 食   堂
27 衆 善 寮
28 物   置