保存情報第32回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 桃介橋と柿其水路橋 場々大刀雄
■発掘者コメント

 木曽川上流は、水量といい土地の高低差といい水力発電所の建設には理想的な地域であった。妻籠宿近くに読書発電所が建設された。この工事のために資材を運ぶトロッコ用レールが敷設され、木曽川をまたぐために吊り橋が架けられた。それが電力王といわれた福沢桃介によるものであったことから、「桃介橋」と呼
ばれている。1922年(大正11)9月完成であった。全長247m、4連の吊り橋で最大の径間は104m、幅員2,728m、木曽川の中洲にコンクリートの支柱を立て、ここからワイヤーロープを張って橋を吊るした。橋の本体は支柱とロープ以外はすべて木で造られている。洋風でアメリカの金門橋に似ている。当時はわが国最大級の吊り橋であったが、1977年(昭和52)、傷みが激しくなって、使用禁止となっていたが、1993年(平成5)9月末に復元された。70年ぶりに創建当時の美しい姿を取り戻した。少しキャシャな感じはする。そして、その年に.土木学会賞
を受けている。この橋については、桃介と貞奴の恋物語がちらついている。
 また読書発電所までの導水路に柿其川をまたぐ水路橋がある。「柿其水路橋」と呼んでいる。大正12年に完成、道路と柿其川をまたぐ部分は最大スパン247mの大アーチを2連並べており、当時としては大胆であったようである。コンクリート橋をラーメン構造として築いている。これも美観を考えての決断とされている。一部剥落している部分もあるが、この水路は現役で今も水を満々とたたえて、水路橋の機能を果た
している。
木曽川にかけられた桃介橋は国指定重要文化財となっている
桃介橋の路面中央にある2本のフインは
レールを意味している
大スパンが美しい柿其水路橋
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 伊勢久株式会社 三浦忠誠
■紹介者コメント

何時か拝見したいとスケッチもしていた建築である。この度機会を得て、九代目の高木明会長、十代目当主高木裕明社長のお二人にご案内していただき隅々まで拝見することができた。
 同家は、創業が1758年という長い歴史を持つ薬種問屋で、長崎の和蘭商館との取引きもあったなど代々進取の気性に富んだお家柄である。関東大震災の後1930年(昭和5)現在地に移された店は、「これからはRC造でなければならない」と、暖房設備、リフトや水洗便所などを備えたRC造商店建築の先駆的な建築である。この辺り全体が戦火で焼野原になり、隣接する農林会館も内部まで類焼したが、当建築は窓の一部を類焼したに止まり、また、戦後の都市計画による道路拡張時も地下室ごとコロで引き家をするなどの経緯があったが、内外装とも、手入れが行き届き・ほとんど創建当時のままといってよい優れた保存使用状態にある。
 この動乱の3/4世紀の間、オーナーが変わらず手入れが行き届き、設計図など資料も保存されている建築は稀有な存在である。正面は螺旋状の溝のある4本の飾柱と大型のテラコッタのまぐさが、南欧の様式を表現し特徴付けている。(現在、危険防止のためスペイン風の廂瓦が取外されているのが残念であるが)。内部は、エントランス部分の漆喰の格天井や店主室のボールト天井、梁ハンチの刳型など、創建当時の華やかさが偲ばれ、階段の納まりや廊下など室内の設えなどは、施主や設計者の几帳面な品格を伝えているように感じられる。
 当時の優れた建築技術の証人としても、使用しながら保存されるべき建築物としても公的にリストアップされるべき建築である。

所在地1名古屋市中区丸の内3-4-15
設計者:鳥武頼三
施工:志水建築業務店
構造・規模:RC造地下1階地上3階塔屋1階
延床面積1430u
竣工年:1930年(昭和5)
商店建築の先駆的存在 4本の飾柱と大梁のテラコッタ
漆喰の格天井