保存情報第31回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 毎日名古屋会館 森口雅文/伊藤建築設計事務所
■発掘者コメント

 今取壊し中の建築を本欄に掲載することに若干の戸惑いは感じたが、名古屋駅前広場に面したこの毎日ビル(正式には
毎日名古屋会館)は心象風景としてだけでなく戦後の名古屋の復興の証と、20世紀後半の名古屋駅前の状況を記録するため取材報告します。
 毎日ビルは1953年9月7日から1958年11月23日の5年余に亘り3期に分けて建設された。当時としては珍しく名古屋資
本と東西資本が手を結ぶテストケースとして毎日新聞社の建物を中心に建設された複合施設で、50年の寿命を今終えよ
うとしている。第1期に毎日新聞社中部支杜が、第2,3期でホテルニューナゴヤ、毎日ホール、映画館、店舗、事務所が建設された。記録によると、工事監理は日建設計工務(現・鞄建設計)が、設計と施工を樺|中工務店が担当した。その後3回にわたり、増改築され最終の建築規模は敷地面積1,677坪、延床面積13,823坪であった。1981年10月、ホテルキャッスルプラザ(ホテルナゴヤキャッスル経営)の竣工開業にともないホテル部分は貸事務所等に改修された。このときの監修監理は活ノ藤建築設計事務所が、設計施工は樺|中工務店が担当した。いずれも設計施工に第三者による監理が実施されたのは建築主の見識というべきであろう。現在すでに隣接した豊田ビルと同時に解体中で、東和不動産鰍ニ竃日新聞杜により2007年竣工予定で都市再開発共同ビルの建設計画が進んでいる。
毎日名古屋会館は戦後の名古屋の復興の証
登録有形文化財 又兵衛(旧坂上又兵衛) 原眞佐実/原建築設計事務所
■紹介者コメント

この建物は、越中東街辿沿いの、岐阜県吉城郡細江村字末眞に所在していた合掌造りの民家、“坂上又兵衛"氏宅本屋一棟で、1936年(昭和11)に包古屋市昭和区川名山町の、神野金之助氏の屋敷“三渓荘”内に茶室として移築され、“又兵衛''と名付けられた。
 さらに1957年(昭和32)には熱田神宮に寄贈され、現在地に移築された。入母屋造り平屋建ての、飛騨北東部に見られる合掌造りの典型的なもので、柱、梁、差物に残る蛤刃の手斧痕、また柱など構造形式から見て17世紀中頃までさかのぼり、合掌造りとしては最古に属する建築と思われる。南側の柱には貫の痕跡
など、現状に合わない痕跡もあるが、伝説によると、越巾東街道沿いを末眞よりさらに6キロ、富山寄りの数河高原から移築されたものであるという。
 昭和の二度にわたる移築は、名古屋高等工業学校の故城戸久氏の調査、指導のもとに行なわれており、1936年(昭和11)の移築にあたっての調査結果の論文には、「古材の保存状態も良く、柱、貫などは栗材を用い、木太く上質の建物である」と記述されている。
 移築後長い年月を経過し雨漏り、背面柱の傾斜、床板の不陸など各所に傷み破損が認められたので、2001年(平成13)春より学術調査等行ない、“登録文化財”としての本建物の位置づけを学術的に明らかにし、解体修理工事の実施となり、2003年(平成15)春に再建となったのである。
 今回、保存情報執筆にあたり資料を提供いただいた熱田神宮関係者ご一同に、この場を借りて感謝申し上げる次第です。
移築された合掌造りの又兵街 囲炉裏のある室内