保存情報第30回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 郡道 古井村道界隈 後藤晃範/圓空間設計工房
■発掘者コメント

 昭和区の西部、南北軸に郡道が縦断し、北は飯田街道古井坂から南は東海道の呼続まで通じている。また北山の郡道から西1本入った古井村道も訪ねてみました。
 郡道は滝子近くに開校した第八高等学校より一年遅れて1909年(明治42)に完成、名古屋市と愛知郡の境から、今日でも「郡道」と親しまれている。荒畑から南へ下ると昭和初期の擬洋風スタイルの木造2階建、日本瓦葺、外壁下見板張の住宅が点在し、さらに南下すると銅板で葺かれた屋根を発見、その東側には戦後多く造られた木造2階建ての洋館風の家屋がある。日本瓦を葺き外壁は左官仕上げ、「コテ」の技に意匠のこだわりを感じる。さらに滝子の八高跡(現・名古屋市立大学)より南へ下ると、昔は店舗や事務所として使っていたのか、ファサードのみ洗い出し、テラコッタ風タイルを使った木造2階建の洋風長屋が、戦後の発展とともに到来したことも垣間見る。
 さて北山にある古井村道は、3m前後の道幅なのでほとんど車は通らず、平行する郡道に比べて人通りが多い。これは、都心でありながら緑が深く、長屋門が残る古い住宅と新しい建物がうまく共存した街並みに起因しているのだろう。周りは、古墳、遺跡が多く、御所屋敷跡、御器所城跡、御器所八幡宮等史跡、神社仏閣も多く散在する。歴史的価値の評価は低いかもしれないが、街をつくりあげてきたキーワードが、この界隈に隠されている。
@長屋門 C木造2階建ての洋風長屋
A下見板張りの木造住宅
B左官のコテ仕上げが光る家屋
登録有形文化財 三重大学三翠会館 林廣伸/蒲ム廣伸建築事務所
■紹介者コメント

 三重大学は、三重高等農林学校をその前身の一つとしている。「三重大学三翠会館」は農林学校の開校十周年記念事業として同窓生の募金により建築され、1936年(昭和11)9月に竣工した。「三重高農同窓会館」とも呼ばれ、三重高等農林学校関連の現存建物として唯一のものである。設計は設計図の記載により三重高等農林学校工手であった的場久壽雄であったことがわかる。設計図と現状ではやや相違がみられるが、概ね当初の姿を伝えている。
 同館は木造二階建で、屋根は寄棟造とし小屋組はトラスである。屋根仕上げは当初スレート葺であったが、近年化粧鉄板に葺き替えられ、飾りで付けられていたドーマー窓も撤去されている。外壁は化粧柱型や窓枠で壁面を分割し、下見板張ペンキ仕上とし、腰壁を竪板張としている。外部建具は当初木製の上げ下げ、または、引き違い窓であったが、ほとんどがアルミサッシュに取り替えられている。
 平面は西面に車寄ポーチを突出させて玄関を設ける。一階は玄関ホール・事務室・応接室・小会議室・調理室などからなり、南側に平屋部分を張り出して、五間角の大会議室としている。二階は二八畳敷の大広問に宿泊用の八畳間が四室連なり、三方に縁を巡らしている。
 2002年(平成14)には修理を施し、階段ホールや便所廻りを改修しているが、概ね当初の形態を保持し、往時の雰囲気を伝えている。現在も同窓会のサロンとして、また、校史関係資料の展示室として活用されている。
同館内には管理人が常駐し、希望すれぱ見学は可能である。また、同構内にはレーモンド設計の三重大学レーモンドホール(旧三重県立犬学付属図書館を移築)があり、これも登録有形文化財となっている。
正面外観(西面) 玄関ホール(右半分は改修部分)


所在地三重県津市上浜町
建設年代 1936年(昭和11年)