蔵飾り。妻壁に彩色を施したコテ絵 |
泥遊び精神A 蔵探訪 岡崎の蔵の特性 |
山本 寿仁(且R共建設専務取締役・土蔵保存研究室主宰) |
「蔵のある風景」と題し、私は地元のタウン誌『リバーシブル』で岡崎周辺の蔵を紹介したことがある。15年でその数が100軒に至り、これを記念して『百蔵(DOZO)』を自費出版した。
もちろんすべてをおさえたわけではないが、巡った蔵の数は400や500ではきかないはずである。旅先でも事あるごとに蔵をめぐり、訪れた先で話を聞き、造り用を拝見し、どんどん深みにはまって今がある。
岡崎の蔵はおおよそ2間×3間で妻入り、丈3建で、屋根壁塗回しに直葺き。この特長は全国的なものでもある。噛み砕いていえば、広さは12畳で高さが4m弱である。
屋根の多くが直葺きであることは、岡崎が冷害に悩まされない温暖な気候であることを示している。しかし山間部の額田や加茂郡に隣接する地域では置屋根が登場する。
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妻入り、2間×3間、 瓦の直葺き(土居葺き)美しいバランス |
置屋根土蔵 |
置屋根の頻度は北部にいくほど密になる。豊田から足助に入ると中心部を除き、これまでの直葺きと置屋根の割合が逆転する。
置屋根は呼び名の通り、屋根を置く工法である。塗り回しの土屋根に母屋垂木を組み、屋根を被せるように置く。まるで傘をあてがうようである。
土壁は寒さに弱い。置屋根はひさしやケラバを大きく出すことができ、したがって壁を守り漆喰を傷めない。雨雪をさえぎり、凍害を食い止める工夫である。東北・北陸や北海道など寒冷地ではレンガや石を積み上げた壁もある。栃木では名産である大谷石を積んだ蔵が有名である。
では寒冷地ですべて置屋根にしているかというとそうでもない。これは不思議なことである。三河北部のみならず、冬に何メートルもの雪に閉ざされるような極寒の地域でも、全国的なスタイルの蔵が見られる。
おそらく「2間3間丈3建、妻入り、直葺き」は職人と施主の美学の表れともいえる。大きすぎることも小さすぎることもなく、使うにも建てるにも効率が良いのかも知れないが、それより「これが美しいフォルム」と時間をかけて定着したのだという気がする。誰かが定めた基準にしたがい、教科書から与えられた教えを鵜呑みにするのではなく、職人たちに培われ、さらに後世の職人が受け継ぎ、発展させ、極まった姿。ここにマニュアルはない。あるのは一人ひとりの網膜に焼きつけられた「美学」である。 |
職人のテリトリーが様式の分布地図を描く |
置き屋根 直葺き屋根境界ライン |
「2間3間丈3建、妻入り、直葺き」が全国展開するのは、どんな情報のやり取りがあったのだろう。橋渡しをしたのは、全国を渡り歩く「渡り職人」か、それとも参勤交代で大名たちが「美しい蔵」として屋根に構えたのが淘汰されたのだろうか。
地図に置屋根と直葺きの境界線を引いてみる。瓦の直葺きが主たる岡崎でも、先に述べたように北部では置屋根が食い込んでいる。これはおそらく、職人の仕事のテリトリーを示すものだと考える。
近場の蔵は職人が造るというのが原則だ。一度造れば何百年ももつ、つまり需要の少ない蔵造りにおいて、職人の縄張り争いなどは必要ない。造るなら、修繕するならあそこ、と地域お抱えの職人がいたのではないだろうか。実際「同じ職人の手によるものだ」と思わせるものは多い。 |
現場が蔵を造る一つとして同じ蔵は存在しない |
肘木飾り |
岡崎の蔵は中心部の商家を除きほとんどが穀物蔵である。1階に主に穀物を貯蔵し、2階には冠婚葬祭用の什器など非日常品や衣装、季節ごとの品などを収納した。
蔵を所有するのは集落の1〜2%。おおよそ地主など金銭にゆとりのある層に限られた。私の子ども時分にも蔵がある家とは金持ちの象徴で「けなりいなぁ」(羨ましいなぁ)と見上げたものだ。
しかし池金町北山は違う。40軒ほどの集落のざっと見渡しても10軒以上が蔵をもつ。人が歩き固めなしたような曲線の道沿いに、漆喰白壁が林立する様子は清清しく圧巻である。
ここは額田に近い山間部である。交通アクセスの整っていない時代、一つ買い物に出かけるのも容易ではなかった。自然、優れた貯蔵庫として蔵が用をなしたのである。地元の人に問うと、決して裕福な土地柄ではない。しかし蔵は生活に不可欠なのである。人々は爪に火を灯すようにして蔵を建てたのだろうか。職人に「あそこの家の蔵よりもっと立派なのを建ててくれ」と施主が張り合うこともあったかも知れない。
世の中に同じ蔵というものは一つとして存在しない。そもそも同じ建物というものはあり得なかった。建材のほとんどが規格品である現在では想像に難いことだが。
ここに蔵に絞って述べるが、もともと建造物とはその地元で採取する土や木、石を用い、現場に合わせて図面が引かれ、そこに施主と職人の思い入れが加味された。土地は低いのか高いのか、どう風が吹き、寒さがあり水が流れ、また地元にはどんないわれがあるのか。施主はどれだけお金をかけられるのか、どんな美意識を持っているのか。そしてこれらに応える職人たちの腕は。何を得意とし、どう自分の仕事に生かしたいのか。それらすべてが一つの蔵を造る条件となった。同じものなどできるはずがない。
これらを踏まえると、蔵は一層面白い。一つの蔵に職人と施主が費やした時間が見えてくる。例えば「なまこ壁」である。四半目地が主流で、蔵の象徴でもあるかのように扱われることが多い。斜めに切ってあるのは水はけをよくするためである。馬積目地といってレンガを積み上げたようなラインもある。手間がかかる分、工費は四半目地の方が高くなる。
もともとは防火用、あるいは壁を雨風、雪から守るために腰に瓦を貼ったのだが、瓦の繋ぎ目を漆喰で盛り上げ、これがナマコに似ているからそう呼ばれるようになったらしい。この盛り上げの高さは、幅はどのくらいにするのか、地割りのバランスは、さらに灰頭(はみ出し)をどれくらいつけるかまで、職人の技量とセンスが表れている。個人的な趣味だが、私の感覚だとナマコの幅は2寸5分が美しい。
もっともなまこ壁の数は多くはない。手間がかかる分、費用もかさむからである。大抵は板囲いにし、そこには「折れクギ」というカギ状の金具が取り付けられている。折れクギは壁を押さえる桟と簡易的に固定している。火災がおきた際は桟を叩き、いっきに板を剥がし、外部からの類焼を免れるのである。
蔵飾りのなかでも破風は遠くからでも目につき、意匠をこらすのにもっとも適した個所である。水紋や竜、「水」の文字を描くのは火への恐れである。彩色をほどこし、コテ絵を描くこともある。
しかし蔵を持つ誇りを一番表現するのは「戸前」ではないかと思う。
蔵の扉は二重になっている。内側は木の格子戸などで、外側に頑丈で厚い土の扉がある。傍らには泥を入れた瓶が置かれ、火災時にはこの土の扉の隙間を泥で塞ぐ。しかし通常は通風のために開け放し、土の扉の内側は最良のキャンバスとなる。訪れた客に豪華なコテ絵を披露することは、施主にとって喜びであったことだろう。
その他にも鼻隠しのバランスやひさし屋根を支える「肘木」の彫刻など、見ていて飽きない。かつての蔵造りの職人たちはルールを自分に持っていた。そしてすべて手で造った。これがもし自分に与えられた仕事なら、どうこなしただろう? |
入口の戸前 |
なまこの灰頭仕上げ |
蔵を持つ誇り、そして蔵をどう生かすか |
直葺きの土蔵。破風鼻隠し4段飾り |
蔵のある家を訪ねると、家人は多くを語り出す。家の成り立ちや、どんな苦労があったかまで。蔵を語ることはその家の歴史をひもとくことでもあるのだ。
先祖伝来の蔵は、しかし多くの家で無用の長物となっている。交通手段が発達し、食糧は簡単に買いに行ける。冠婚葬祭はホテルやホールで行なわれ、たくさんの什器を収納しておく必要はない。
「こんなもの汚い、と息子に言われるけど、壊すに忍びないんだよ」
老人たちはそう言うが、実際この人たちがはかなくなったら、蔵は取り壊され、駐車場にでもなってしまうことだろう。
「蔵のある風景は日本の財産です。ぜひ残してください」
そう言うとパッと顔を輝かせ、彼らは私を蔵を持つ誇りを語る代弁者のように見る。
蔵のある風景を残したい・・・・・・これは私の本心である。職人たちの魂の宿る、この素晴らしい日本の景観が失われることは、それこそ忍びない。そこで私は蔵保存研究室を主宰し、蔵の修復を行なっているが、そんな私にも疑問はある。
果たして蔵を保存する必要があるのか。過去の遺産をただ景観のためだけに残すのはワガママではないのか? いや、景観のためだけではない。むしろ残すべきは蔵の持つその特性である。
次回は蔵、そして土壁の優れた特性についてお話します。 |