音 楽 と 空 間 2 

世紀の万博と音楽 ブリュッセルの場合
水野みか子

(作曲家・名古屋市立大学芸術工学研究科助教授)
20世紀中葉の万博で発表されたいくつかの音楽作品は、音楽の提示・受容の形態に関して音楽史上画期的な一頁を開いた。限られた期間に仮設ホールで提示される音楽は、その一過性の性格と視聴覚に関する新しい統合感覚によって、建築と音楽の、かつて無いほどに直接的でアクティブな関わりを可能にしたのである。今回は、そうした例のなかから、ブリュッセル万博(1958年)でのル・コルビュジェ、ヴァレーズ、クセナキスのコラボレーションを振り返ってみたい。
 ル・コルビュジェ、ヴァレーズ、クセナキスという三人は、建築と音楽という二つの分野で、奇妙な交錯のうちに結びついている。ル・コルビュジェが建築家であることを誰も疑わないように、ヴァレーズやクセナキスは、一般的には作曲家として知られている。しかし、クセナキスがル・コルビュジェと出会ったのは建築技師としてであり、ヴァレーズとル・コルビュジェの出会いは画家のアトリエにおいてだった。そして、ヴァレーズとクセナキスは作曲上の先輩後輩としてではなく、建築空間の素型を生み出す者と、できあがった空間を演出する者として出会ったのだった。
『早すぎた男』のモンダージュ
 作曲家エドガー・ヴァレーズは、1883年にパリに生まれ、1915年以降の人生の重要な部分をアメリカで過ごしたが、1924年にはパリに戻ってフェルナン・レジェのアトリエに出入りし、そこでル・コルビュジェに出会う。メロディーもハーモニーも無く、打楽器とサイレンだけで構成した『イオニザシオン』(1938)や、ストラヴィンスキーの『春の祭典』以来のスキャンダルを巻き起こした、楽器アンサンブルとテープのための『砂漠』(1950-54)に見られるように、その先鋭的作風ゆえに「早すぎた男」の刻印を押されたが、第二次世界大戦後には、ピエール・ブーレーズや黛敏郎によってオーケストレーションが高く評価され、ミュジック・コンクレートの祖とも目されている。自作品を含む既成の曲を部分的に取り出して連結する<引用>の技法、スコアには演奏されるべき音の一部のみを記して演奏時の自由を拡大する<不確定記譜>など、戦後の作曲界に与えた影響は絶大で、とりわけ、電子音楽という新しいメディアでの作曲における闊達なアイデアは、オーディオ、ヴィジュアル両面のアートシーンから注目された。
 1958年、ブリュッセル万博のフィリップス・パヴィリオンのためにヴァレーズによって制作されたのが、テープ作品『ポエム・エレクトロニック』である。アイントホーフェンのフィリップス音響実験室で制作されたテープには、機械音、ベル音、ピアノ、打楽器、電子音響、声がモンタージュされている。ル・コルビュジェの手になるパヴィリオンはすぐに解体されたので、400個を越える数のスピーカーを用いて全方位的な連続空間でゆったりと変化していく音楽作品のそのものを、今では追体験するよしもないが、当時の各界芸術家・技術者とのコラボレーションは、ステレオ録音や設計の初期コンセプトから建物完成後までのさまざまな記録によって伺い知ることができる。
 万博開幕までの数年の経緯のうち、もっとも興味深いのは作曲家の選定である。1956年の万博委員会では、イギリスの人気作曲家ベンジャミン・ブリテンを起用する予定だったが、フィリップスがル・コルビュジェを指名することになり、コラボレーションの様態も大きく変更された。すべての事物と出来事は内部で生起するのだからという理由で「ファサードを作らず、ポエム・エレクトロニックを与える」というル・コルビュジェの初期コンセプトにふさわしい作曲家は、交響曲大家のブリテンではなくヴァレーズだと考えられたのである。しかも、ル・コルビュジェの信頼を得たのはヴァレーズ作品の音響そのものではなく、音へのコンセプトの方だった。
同質物としての時間と空間
 音楽に関しては凡庸な感性の持ち主だったとされるル・コルビュジェは、奇しくも万博プラン開始直前に、優秀な工学的技能と知能を持つギリシャ出身の若者、ヤニス・クセナキス(1921-2001)を設計上のアシスタントとして使っていた。クセナキスの技術力と知性に全幅の信頼を置いていたル・コルビュジェは、ラ・トゥーレット修道院の仕事に続いて、『ポエム・エレクトロニック』に相応しい空間作りにもクセナキスの協力を得る。
 クセナキスは、すでに1953-54年に、モデュロールの美しい比例に魅せられて、音楽へと応用していた。クセナキスの作曲家としてのデビュー作品と言える『61人の器楽奏者のためのメタスタシス』である。そこでは、クラスター(音塊)の密度を統計学的に算出し、61声部の奏者が各々少しずつ異なったグリッサンドを演奏するように書かれている。各奏者の微細な音程変化は互いに連続的に起こるために、結果として、非常に長い時間的スパンの中で、なだらかに上昇し、なだらかに下降するピッチ変化曲線ができあがったのである。(図1)
 さらに、後にクセナキスは、「平均律的に調整された音程は、20世紀にあっては幾何学的に連続して進行するのであり、持続時間もまた幾何学的に連続進行する」(注1)と明言しているが、モデュロールを応用するクセナキスにとって、音程という、いわば音楽の空間的な質は、持続という時間的質と同じ座標に乗せられていたである。
 音楽の本質である時間的質は、三次元的な形態とアナロジカルに考えられた。クセナキス自身の音楽作品における時空間は別の機会に論じることとして、ラ・トゥーレットでの建築へのモデュロール応用を受けて、ともかくもクセナキスは、フィリップス館の初期コンセプトに対してもモデュロールの下絵を作成した(図2)。クセナキスは、音楽の時間と空間を同レベルの論理で構築しようとしたのである。
 そして、この下絵から実際の建物完成とそこでの音楽上演に至るプロセスは、音楽優先に進んでいく。ル・コルビュジェの『ポエム・エレクトロニック』というアートコンセプトにおいて、音楽はもっとも重要な要素だったからである。完成したフィリップス館での音楽のモデュロールは、スピーカーを三次元のなだらかな建築壁面に埋め込むものだった。(図3)

図1 クセナキスの管弦楽作品『メタスタシス』のためのグリッサンドを描いたダイヤグラム

図2 
クセナキスが描いた、パヴィリオンの下絵
同期しない視覚と聴覚
 ヴァレーズがル・コルビュジェからの委嘱を受けたとき、実際に駆使できる音響ディフュジョン技術の詳細は不明のままであった。ル・コルビュジェとクセナキスの事前調査によってようやくわかったことは、おそらく300個以上のスピーカーが「音の出る道」として用意され、「10個所の磁気指令ポイントにおいて立体的音響効果を制御できる」(注2)ということだった。ル・コルビュジェとヴァレーズの間で取り交わされた、視覚、聴覚の合成は、「音楽は視覚的なものに呼応するのではなく、それぞれの進行法に従って時を形成し、ポイント19までは接触しない」というシナリオに基づいていた(注3)。ポイント19は沈黙の場所であり、そこまではオーディオとヴィジュアルは独立して進んでいく。視聴覚が同期進行しない空間、それは未来体験のひとつの形であった。
 管弦楽などの生楽器の音ではなく電子音響を使用することには、元来、音楽という抽象形式においてのみならず人間のリアルな空間体験において(異次元性)を与えるという意味がある。
 これは、1950年代に電子音楽の先端を行なっていた作曲家たちに共通の意識であり、音響素材の空間的特性、それを時間軸上で他媒体(視覚など)とどのように組み合わせるかの問題、そして音のディフュジョン、といった事柄が、まさに1950年代の新しい音楽提示形態、ひいては音楽上演の場所に関する重要な尺度となったのである。
 モデュロール、建築、音のディフュジョンという三つに通底するものとして抽象化された「形」の類同性は、ヴァレーズの音楽に含まれた音響素材のリアリティによって受肉され、空間受容者である人間に親近感をいだかせつつ、未知の要因をちりばめた、先端的空間を生み出したのである。

図3 
フィリップス館内部のスピーカー等設置写真
(注1)クセナキスの音楽的時間、形式に関する思索は、以下に見ることができる。
Iannis Xenakis : Musiques Formelles. In : Revue musicale.Paris,1963.
Iannis Xenakis : Musique Architecture. Casterman,Tournai,1971.
(注2)1957年6月11日付のクセナキスからヴァレーズへの書簡による。
Mark Treib : Space Calculated in Seconds.The Philips Pavilion, Le Corbusier, Edgar Varese. p.172
(注3)ibid p.173

*図版はすべて以下からの転載
 Mark Treib : Space Calculated in Seconds
 The Philips Pavilion, Le Corbusier, Edgar
 Varese