保存情報第28回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 三菱自工名古屋製作所大江工場事務所棟
旧三菱重工業名古屋航空機製作所本館
尾関利勝/アルパック
樺n域計画建築研究所名古屋事務所
■発掘者コメント
 名古屋港臨海部はかつて中京工業地帯と言われたわが国有数の産業地帯・中部の中核的地域で、今も中部の産業を支える大小の基幹的な基盤技術産業が多数集積している。とりわけ東部は福沢桃介らの電力開発に関わって起業された近代工業化の歴史を物語る事業所が相互関係を持ちながら稼働し、当時を忍ぷ近代化遺産に事欠かない。その一角、大江埠頭に棟を揃えて立ち並ぶ近代建築、農水省食料倉庫の道を挟んだ南側に、シンボリックな時計塔が今も時を刻むRC造4階建て白亜の建物がある。戦前、世界に誇る「零戦」が設計されたである。工業地帯には珍しい建築だから目に留まりやすい。1920年(大正9)三菱内燃機製造轄H場として設立、航空機、白動車製造を開始、1970年(昭和45)三菱重工業鰍ゥら分離、三菱白動車工業竃シ古屋製作所となり、現在は生産の主力を岡崎工場他に移転、大江工場は今年の8月で閉鎖される予定である。ちなみに三菱重工業竃シ古屋航空機製作所は当該敷地の東にある。
 現在も事務所として使われる建物の外装はタイル、共用部壁はタイル、天井は漆喰風に仕上げ、天井の高い室内の腰は板張り、建具や金具も当時のものが使われ、そこかしこに時代を感じさせる落ち着いた事務所建築である。北側玄関に1921年(大正10)ここで制作された第一号の航空機「十式艦上戦闘機」の銘板がある。見学時に瀬口哲夫名古屋市立大学教授の紹介記事が朝日新聞に掲載されていることがわかったので(紹介者)と記述した。なお本年8月までは見学可能とのことである。
所在地  名古屋市港区大江町2
建設年代 1936年(昭和11)
構造・規模 RC造・地上4階建
登録有形文化財 建中寺徳興殿 谷村茂/アール・アンド・エス設計工房
■紹介者コメント
 建中寺は尾張二代藩主光友が藩祖義直の菩提のため、1651年に創建された。以後尾張徳川家歴代の廟所となった。
 徳興殿は建中寺の敷地の中でも一番奥東側に位置している。元々は名古屋商業会議所(現・名古屋商工会議所)の本館として1896年(明治29)に栄町7丁目に竣工した。和風の大規模建築は珍しく、併設された議事堂とともに、市内における有数の建築物として威容を誇った。
 その後本館は、1921年(大正10)に大池町に移築され、議事堂は一宮商業会議所(現・一宮商工会議所)に売却された。さらに、1934年(昭和9)、名古屋商業会議所新館の建設に伴い、旧本館は建中寺に売却された。議事堂および新館は現存していないが、旧本館は建中寺の大庫裏として残っている。
 1991年(平成3)に老朽化により修理が行なわれアルミサッシなどに取り替えられたが、建設当時の面影を残している。渡り廊下をたどっていくと左右に配置された階段に突き当たる。この階段を上
がっていくと廊下へと導かれ、さらには500人を収容できる大広問に行き着く。大広間の天井は格天井で構成され、それぞれの天井板には葵の御紋が描かれている。一階は大小10あまりの部屋で構成され、法要、講習会などに活用されているとのことで現役の建物である。しかし維持するのは大変らしく苦労されている様子がうかがえた。
出展:愛知県教育委員会の資料

所在地 名古屋市東区筒井1-703-1
所有者 宗教法人建中寺
構造・規模 木造入母屋構造2階建
建築面積  454u
建設年代  明治29年(1896)