建築教育への期待 第7回

行政の立場から求められる建築家
中島一
(愛知工業大学・中回湖潭大学各名誉教授)
(米国イオンド大学名誉建築学博士)
(彦根市長)
はじめに
  甚だショッキングな論文の見出し「日本消滅」が目にとまりました。周知のように、日本の人口は、2004年頃を頂点として減少し始め半減期が約100年、しかも年々推計値が下方修正されて悲観的になりつつあると説くのは、山本卓眞氏(富士通名誉会長)です。さらに続けますと、日本の出生率低下が議論され始めたのは20年以上も前で、第二次ベビーブームでは当時年間200万人の出生がありましたが、この20年間で100万人へと急降下し始めています。この間の議論はまず変化の分析と解説のみで、人口減少は社会の成熟に伴う必然の現象で必ずしも悪いことばかりでないという物分かりのいい分析は、かえってこの対策立案を遅らせるようなものでした。
 人口、とくに若い人の減少は需要を減らし、高齢者の増加は年金、保険など社会の負担増加となって経済的に深刻であるという定量的な研究も複数なされています。しかし、これまでにこれらの問題を長期経済対策と結びつけた真剣な議論にはならず、経済団体でも効果的な人口政策を提案し得ませんでした。政府は少子化対策として児童手当、育児休暇、保育所の充実などの策を講じ、最近では「地域社会による支援の強化」「子育て世帯の社会保険料軽減」を提言していますが、これが実現しても少子傾向に歯止めがかかるようにも見えず、世間の注目度も低い、と述べています。
 この対応として、地方自治体では安心して出産し、子育てができるよう種々の施策を行なっているところです。たとえば、保育園の環境整備に努めるとともに、復職後の対応にも十分な配慮をはかっています。また、高齢化間題については、健康な高齢者の増加に伴い健康維持が持続するように生涯スポーツを奨励し、スポーツ施設の整備はもちろんのこと、一方で介護保険制度に基づく要介護者に対する施設介護として、デイサービスセンターやグループホームの設置が必要となっています。さらには、医療施設の完備もしなければなりません。
 また、近年東南海地震・南海地震が必至と警告され、その対応策として、防災避難場所に指定されている学校校舎の耐震診断・耐震補強事業が緊急項目とされています。
 地方自治体は、このような揺り籠から墓場まで民生の安定と生命・財産の保護がはかられるよう万般の行政を引き受け、市民の負託に応えることは行政として当然のことであります。
デイサービスセンターと保育園との合築による彦根市立福祉施設 470床、RC造、地下1階地上8階、免震工法による彦根市民病院(設計者はプロポーザルにより選定)
まちづくりは市民とのパートナーシップ
 バブル経済崩壊後、ハコモノ行政の時代は終わったと言われ、世界都市博覧会をはじめとする多くのハコモノプロジェ
クトが中止に追い込まれました。
 建築界でも、環境問題への関心が高まっています。廃材のリサイクルや省エネ住宅など技術水準が向上する中で、なかなか改善が進まないシックハウス問題、アトピー性皮口炎をはじめ、住宅建材や換気の悪さに起因する健康障害を訴える人は、全国でもかなりの数に上っており、とくに子どもや高齢者への影響は深刻になっています。
 日本でもこれからの経済社会にNPO(non profit organiza- tion)の果たす役割が認識され、NPOがメディアに取り上げられる頻度も急増しています。1998年には、小規模な草の根市民団体でも法人格を取得できるように、特定非営利活動促進法(NPO法)が施行され、保健、医療、福祉関係、これに次ぎ杜会教育、まちづくり、子どもの育成など、単独で活動が完結するのではなく、企業や個人からの寄付を受け、行政から補助金を受けることができます。このことにより行政から事業を受託されたNPOは、生活者を対象にしたサービスを供給するようになりました。この協力や協調関係のことをパートナーシップ(partnership)と言っています。
 地方分権の時代にまともに突入した現在、地域の特色と個性を活かし、生き生きとしたまちづくりを行なうには、どうしても市民とのパートナーシップが必要であり、それによりその成果がもたらされると思います。地域におけるNPO活動を促進するために、都道府県や市町村の各地方白治体では各々のNPO条例を施行していると聞いています。私ども彦根市でもすでに施行しています。
 このように行政をとりまく環境は、大きなうねりを伴って動いているのです。
都市デザインは市民の要求から
 都市においては、建築物が都市景観を決定するといっても過言ではないと思います。ところが建築デザインの決定は、建築家個人のコンセプトや能力に負託されている結果、都市全体のデザインコードがなくなり、雑多な都市景観を生み出しています。
  建築デザインは、都市全体のデザインコードに基づいて、相互に協調性のあるものでなければならず、個々の建築家の自己主張の乱立であってはなりません。また都市のデザインは地域コミュニティーの中で自然発生的に生みだされるもので、現状では、産業としての建築分野と地域コミュニティーとの連携が脆弱で、建築産業先行のまちづくりとなっているように感じます。本来まちづくりとは、地域住民と二人三脚でなければならないのではないでしょうか。都市は生活の場であることから、市民の心安らぐ空問であり、一方活力を感じるような市民の要求から生まれた都市デザインが求められています。
ミクロの積がマクロを創造
 若い建築技術者諸君はまず、大学、建築専門課程における基礎知識は完全にマスターしておくこと。建築技術のプロとして、建築知識を吸収するには、現場体験を積極的に行なうこと。さらにクライアントや施工者を説得できる技術−理解・納得・行動−を身につけること。
 建築・営繕行政職員は、おそらく大規模な公共施設の設計や現場監理ができるだろうと期待を胸に入庁してくるでしょう。しかし現実は、前記のとおり、各種各様の施設であるがため、すべてに精通することもなかなかできず、設計から監理まで一貫した組織体制で対応することは不可能に近く、中・小規模建築物の設計や現場監理を通じて経験を積み、一人前の建築・営繕行政職員として育っていくのです。
 大規模な公共施設は、まずコンセプトを明確にして、その多くはプロポーザルにより提案を求め、実施設計を建築事務所へ委託する方式が一般的です。建築はミクロ単位の仕事の積が、マクロの施設を創造すると定義づけたのは、フランク・ロイド・ライトですが、建築・営繕行政職員として公共施設やまちづくりに携わるものは、市民の二一ズを的確に把握し、新しく開発された工法や新建材はタイムリーに情報を入手し、設計者ヘコンセプトを忠実に伝達しながら、設計者や施工業者の技術を最大限に引き出し、創造する能力を養うことが求められています。

微分の世界をべ一スに積分の世界へ
 美しい花を美しいと感ずる心は、建築物を見て感動することに通じます。大学の専門課程での技術の取得は、その花をもぎり花の仕組みや構造を学習することであり、学問の世界は「微分の世界」です。これに対し、学問として体得したことをべ一スとして自分で考え、創造することは「積分の世界」です。
 美しい花を美しいと感じるのは「微分の世界」では味わえないことです。すばらしい建築物に感動する心は、前記のライトの言葉にもあるように、「積分の世界」でしか味わえません。このような感性を大切にし、まちづくりの核にもなる公共施設との関わり合いを持つことができれば、すばらしい建築・営繕行政職員となれることは疑う余地がありません。
 最後に、すべての大学が、教育、研究、社会サービスといった使命を3つとも等しく果たすことは容易ではなく、効率的でもありません。大学はそれぞれの使命を白覚的に選択し、個性的にその性格と伝統を培っていってほしいものです。