保存情報第24回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 犬山市新町 三井宅 林美博/三橋建築設計事務所
■発掘者コメント

 2002年10月号の保存情報に掲載した奥村家住宅前を西へ、旧41号線との交差点を過ぎて本町通りまでを新町線と呼んでいる。この通りは、余坂の木戸跡の枡型をはじめ、伝統的家屋が残る犬山城下町地区の束西方向のメインストリートである。中でも本町線に突き当たる手前左手の三井宅は保存の状態もよく、町並みの重要な景観要素となっている。
 総二階・切妻造・平入の母屋と、通りに面して妻側を見せる土蔵が並び、母屋一階の格子や二階の連小窓、卜蔵の腰の海鼠壁が特徴的である。さらに、西側隣地がオープンスペースとなっているため、土蔵の側面やその奥の庭の木々を垣間見ることができ、伝統的な町屋の奥行きを感じさせ、新町線では出色の景観である。
 この町屋は、江戸時代に旧小川家が「米清」の屋号で米屋を営んだ商家で、1889年(明治22)に建てられ、1891年(明治24)の濃尾地震によって、一部崩壊したが、現在は修復されている。明治・大正期には製糸業を営んだと言われている。土蔵は1918年(大正7)に建てられた。現在の所有者が東京在住のため空家となっているのは残念である。
 この三井宅の西側の本町通交差点の東南角の町屋が改装され、「なつかしや」というお店に生まれ変わった。ほかにも数軒が犬山市の空家店舗対策の助成制度を利用して店舖に生まれ変わった。まだまだ「点」としての存在であるが、「伝統的な町並み」を生かした「町のにぎわいの創出」に向けて動きだしたところで
ある。
格子や連小窓が見られる三井宅 腰の海鼠雌が特微的な土蔵
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 松重閘門 水野威/泣~ズノ設計室
■紹介者コメント

 松重閘門、地元では山王の水門と呼ばれ古くから親しまれています。私の中学時代の頃までは、この堀川端に材木を扱う銘木店や製材所などが所狭しと建ち並び、製材所からは一日中キーンと甲高いのこぎりの音、廃材や大鋸屑を焼却する煙が絶え間なく、結構活気に満ちた界隈でした。ほとんどが平屋か2階建ての家並みの中に、この4基の塔のある閘門は高さ約20mでそびえ立ち、この地域のランドマークとして存在していました。一見石造り風でなんとなく異国情緒を感じるエキゾチックな雰囲気が私は好きです。
 1930年(昭和5)に堀川と中川運河、この2つの運河の水位差を調整しながら船や筏を航行させるために建造され、長く水運施設として活用されてきましたが、白動車が運送手段になるとともに利用も低下し、1976年(昭和51)には廃止されるに至りました。現在は、この4基の塔の中央の水位調整閘室部分を江川線、地上15mあたりを名古屋高速道路が直交し、車が絶え間なく、時には洪水のごとく流れ、時代の移り変わりを感じさせる場所でもあります。
 スローライフが唱えられている現代社会、朝方には時折港方而より数多くのかもめが飛来し、その真っ白い羽に朝日があたりまぶしいくらいです。そんな清々しい景色の中、堀川の川面から船に乗ってこの塔をゆったりと眺めたいものです。

様式規模 ストー二一式鋼製扉
有効長   90.9m×有効9.1m
通行船舶  最大60t級、標準40t級
閘室容量  10隻 
通行時間  最大30分
閘塔     鉄筋コンクリート製、高さ20m 4基