保存情報第23回
登録データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査)有形文化財 太洋ビル 坂本悠/有理社


太洋ビル


エントランス
■発掘者コメント

 私の事務所がこの10月より引っ越して来たのがこの太洋ビルです。まだ円安で陶器の輸出が盛んだった頃、繁栄した陶器商たちが、この辺りに集まってビルを建てています。隣が陶磁器センター、近くに陶磁器会館があり、いずれも往時を忍ぶことができる、立派な文化財です。
 太洋ビルの竣工は、1931年(昭和6)星野建築工務所によって名古屋市東区布池町に建設されました。その後世界大戦を経て、1958年(昭和33)の夏、桜通りの拡幅工事に伴う名古屋市からの要請により、12m北にある現在地の代官町へ曳屋された、と当時の打ち合わせ記録が細かく残っています。
 曳屋をする際は、オイルジャッキで躯体を持ち上げて、建物の下に堅木でつくった勾配1/20のクサビを入れ込み。地面に並べた枕木の.上を押しながら移動し、かかった日数は1O日、費用は1,500万円、名古屋市が費用の半額を負担したと記してあります。
 前記にある2つのビルに比べ、内・外装材の豪華さは劣りますが、石貼りのように見える入口部の外壁が、実は見事な左官仕事で、その時代の職人の、この建物に対する意気込みが感じられます。最近では、そんなレトロ感覚が楽しまれ、デザイン事務所のテナントが増え、それなりに新しい雰囲気をつくっています。それにしても断熱材らしきものが一切ないこの建物、ほんと寒いですよ。
登録データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査)有形文化財 伊世賀美隧道 國分孝雄/(株)国分設計


旧伊世賀美隧道


新伊勢神隧道


旧伊世賀美隧道内部壁
所在地:愛知県東加茂郡足助町
建設年:1896年(明治29)
登録番号:第25回856号1
■紹介者コメント

 香嵐渓ライトアップのテレビニュースを見て、その翌日急ぎ立てられるように登録有形文化財の取材に出掛けた。行き先は足助の先、伊勢神峠である。近日の朝夕の冷え込みから紅葉を楽しみにして車に乗った。連休の初日にもかかわらず、道路は意外にすいており、目的地までは国道153号線をたどるドライブであった。国道153号線は昔、“姫街道"とも呼ばれ、尾張と稲武を経て飯田とを結ぶ主要道であった。伊世賀美峠はその中の難所として知られ、往時の旅人を大いに悩ましたところである。
 1896年(明治29)になって旧伊世賀美隧道が完成したものの、新伊勢神隧道の開通を見るまではやはり厳しい道であったようである。旧伊世賀美隧道は内部壁(写真B)も含めすべて花崗岩でつくられており、一部コンクリート補強が施されているものの湧水の浸みもあまりなく、天井高の低さと幅の狭さを除けば今でも十分に使用に耐え得ると思われる。この旧隧道は下を通る新しい伊勢神隧道の交通量の多さに比べ、近在の一部の人たちによって使用されているのみで、今では訪れる人もまれで、歴史を語りながら静かな佇まいを示している。
今回の取材行の道すがら、街道沿いに点在する歴史的文物にも心引かれながら再訪を念じつつ帰路についた。