保存情報第22回
登録データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査)有形文化財 櫻 誓願寺 鈴木達也/辰巳設計

法喜山誓願手

誓願寺内陣絵天井(名古屋城本丸遺構)
所在地 名古屋市昭和区滝川町47
建設年 寛政年間(1789〜1800年〕
参考文献 「尾張名所図絵広小路物語り」
■発掘者コメント
 八事興正寺の隣、八勝館の手前北側に、法喜山誓願寺という寺がある。
 浄土宗西山派京都禅林寺・光明寺の両末で1572年(元亀3)空範上人が清洲に建立、1604年(慶長9)名古屋城築城の折、中区白川町(現・市美術館)に清洲越えをし、1942年(昭和17)強制疎開で現在地に移築した寺院である。
 上人が比叡山より杖として携えてきた桜が継承され、桜誓願寺と呼ばれている。境内にも由来の菊桜があり、ソメイヨシノに少し遅れ、新緑の間に大きな八重花を咲かせる。
 八事の傾斜地に配される境内の雰囲気は格調高く、名古屋城本丸の遺構である本堂内陣の絵天井・仏像・宝物などがあるが、なかでも特筆すべきは、寛政年間(1789〜1800年)に岡谷家5代6代により招鶯館として広小路鉄砲町に建てられ、約140年後の1933年(昭和8)に10代惣助真愛により湯の山に月見の別邸として移築された杉立庵である。大徳寺狐蓬庵忘筌を意識し、全体を田舎家風8畳2間と4畳半、それに7畳の控えの間という配置で従来の狭い茶席の観念を打破している。これが1961年(昭和36)岡谷家の菩提寺である現在地に再移築された。
 臨む庭は松尾流家元宗吾師により、竜安寺を思わせる構築に北山杉を取り寄せて植え込み、北側には茶席報田庵(赤松猿面の床柱)など、石庭と席の調和がすばらしく、その他妙技庵などがあり、境内は市内とは思えない風雅な佇まいを楽しむことができる。
登録データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査)有形文化財 四観音道に連なる黒塀 藤田淑子/名古屋女子文化短期大学

「秋葉常夜燈」に続く黒塀は野面石積に御影の角石。紋入唐草瓦の切妻屋根。竪籤玉垣をめぐらす

「いち倫」の黒塀は一文字瓦の切妻屋根。竪籤玉垣をめぐらす
■紹介者コメント
 東山給水塔の東の旧道は「四観音道」と呼ばれ、日泰寺の西の道路へと続く。名古屋城から見て恵方の方角にあたる、南東の「笠寺観音」、南西の「荒子観音」、北西の「甚目寺観音」、北東の「龍泉寺」が尾張四観音で、持ち回りで行なう豆まきは有名である。このうち笠寺と龍泉寺を結ぶ道の一部が「四観音道」の名で残っており、1914年(大正3)開設の覚王山東山配水場のおかげで戦火を免れた。
 日泰寺西南を曲がってすぐ、この道に面した黒塀は1997年(平成9)に再建された(住居は1937年(昭和12)7月7日に上棟式)。電柱が目障りだが、角にある「秋葉常夜燈」と彫られた石燈籠は昔からあったそうで、尾張四観音を名古屋城鎮護として巡拝する習わしがあったと聞くと興味深い。(写真左)
その2軒北側に、今年の5月、庭園ギャラリー「いち倫」がオープンした。長く閉ざされていた黒塀の門が開かれ、ゆるい丘陵に見事な庭園が続く。「いち倫」のお宅の塀は古く、門扉の控柱は釿削りの栗の木で、庭に面した側は、防音のためか桧皮が腰に貼られている。(写真右)
 低層のマンションが次々と建っていくこの地域、世代が替わりつつある中で、かけがえのない大切なものを残すための努力を惜しまない若い方々がいらっしゃることを知り、心温まる一服であった。