保存情報第19回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) カトリック多治見教会・神言修道院 保浦文夫・森美緒ヤスウラ設計
■発掘者コメント

 1930年カトリック神言会の宣教師モール神父(独)により修道邦人普及、養成を目的に、日本管区の中央修道院とし、日本列島の中央に位置するこの地に建てられたとのこと。設計はマックス・シンデル(国籍不詳)、原形は実在する中世の石造建築と言われている。中世ヨーロッパを偲ばせるマンサード屋根、ドーマー窓の並列や半円アーチ窓の並列、三翼形式の採用などバロック建築ともいわれているが、簡素な外観や聖堂内の装飾からは、ロココ末期の影響と当時の日本の建築技術や経済背景など、日本的な教会建築の当時のスタイルともいえよう。
 赤い屋根と白い壁、中庭は日本庭園、周りはブドウ畑に囲まれた地上3階、地下1階の木造建築である。当時果樹園であった構内はブドウ園に変えられ、ミサに必要なワインの醸造が修道士たちにより現在も行なわれている。無造作ではあるが地階の廊下の色使いや仕掛けは、近世の建築をイメージさせる。聖堂の両翼には10基の副祭壇が設けられ、高い天井と横への広がりの心地よい空間を演出し、壁面にはキリストの物語を描いた“10種のフレスコ画"と副祭壇の腰面のワイペルト神父デザインによる“多種な寄せ木細工”は“日本の匠の技”と相まって優雅で素晴らしい。2階背面には、バロック装飾を一部に施したパイプオルガン、聖堂を包む音響効果も素晴らしい。伊勢湾台風の被害を受けたときの修理に伴い設備が電動化されたが、「ふいご」の名残もある。
 この建物の魅力は、高級感や豪華さはないが、伝統ある建物が市民に愛され、その感性が育まれることは、偉大である。篠原神父は予測される東海地震に大変な不安を感じている。専門家の診断、補強が求められるであろう。

所在地 多治見市緑ヶ丘38

建設年 1930年(昭和5)
登録有形文化財 龍影閣 三浦忠誠/日建設計
■紹介者コメント

 愛知万博が間近になった今日、熱田の深い森のさらに奥まった樹々の巾にある龍影閣を訪れた。木造2階建のこの静かな什まいは、「博覧会」関連の建物としては、こじんまりとしているのが意外であった。
 1878年(明治11)名古屋市門前町(現・大須)総見寺の境内に創設された名古屋博物館の施設である品評所として建てられ、同年、同所6館で愛知県博覧会が開催された。産業奨励のためご巡幸中の明治天皇が、同博覧会をご視察された際に、御便殿(仮の御座所)として使用されたのが、この建物である。1階は18畳二間続きの大広間、1間幅の曲がり階段を上ると2階は明治天皇がご休息、昼食を召された室である。7畳と上段の間、ご巡幸の際はいすにお座りになられたとのことで、上段の間はあまり高くしていない。部材も納まりも構えた感じはなく簡素である。
 その後愛知県博物館として改築されたが、明治天皇御聖蹟として「龍影閣」と命名されて遺され、以来文化事業などの会場として使用された。1932年(昭和7)都市計画により西区の庄内公園に移されたが、戦後、建物の荒廃がひどく、それに心を痛めた実業家野原新太郎氏が県より譲与を受け、献身的な熱意により建物を維持された。1968年(昭和43)明治維新100年を記念して熱田神宮に献納され、2001年(平成13)5月、希少な博覧会建造物として国の文化財建造物に登録された。


所在地 名古屋市熱田区
建設年 1878年(明治11)
登録有形文化財 第28-1002号