保存情報第17回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 鹿乗(かのり)橋 場々大刀雄/場々建築設計事務所
■発掘者コメント

 高蔵寺ニュータウンの近くにある鹿乗(かのり)橋は、明治初期にかけられた鉄のアーチ橋で、現在の橋は、それを骨細みにして、コンクリートを巻いたものである要するに、鉄骨鉄筋コンクリートの橋ということになる。そのとき、斜材(ラチス)を撤去しており、現在は垂直材のみとなっている。鹿乗橋は明治初期に架設された13橋の、鋼アーチ橋の一つであるが、現存する橋がほとんどないため貴重な橋と言える。
 また、銘板にコンクリートを巻いたときの様子が記されている。「架設後40年以上になり、鉄骨が腐食し、強度が半分の55%までに低下した。そのため、鉄筋コンクリートにて被覆し補強した」と。工事は愛知県直営で行なわれた由。
 橋の近くには、かつては小粋なたたずまいの別荘かと思われる家が目につくが、今は住む人がおらず、荒れている。昔は渓谷美にあふれた景勝地として、人々の注目を集めていたに違いない。それゆえ、橋面上に構造部材が突出していない、上路式のアーチタイプにしたこともうなずける、この上路式は風光明媚な景勝地に取り人れられる橋のタイプである」
 瀬戸市よりの橋の際に「白鹿館」という、茅葺きの、しょう酒な料亭があって、その欄干越しに眺める風景はまた格別なものがあったが、今はホテルに変わってしまって、風景を眺めることができない残念である。
竣工年 1910年(明治43)
1948年(昭和23)鉄筋コンクリートで被覆
所在地 春日井市〜瀬戸市
河川名 庄内川
登録有形文化財 豊田市青少年相談所 三輪邦夫/RE建築設計事務所
■紹介者コメント

 豊田市青少年相談所は、豊田市の中心市街にあり、名鉄豊田市駅から東へ約500mのところに位置している。
 この建物は、1922年(大正11)に愛知県蚕業取締所第9支所として建設された。1923年(大正12)までに県内13カ所に支所が置かれたうちの一つである。かつてこのあたりは挙母町と呼ばれ、西三河地方の繭取り引きの中心地として栄えていた。
 1955年(昭和30)に蚕業取締所が廃止された後、建物は看護婦学校や図書館として使用され、1975年(昭和50)に現在の豊田市青少年相談所になった。
 コ字形の平面をもつ鉄筋コンクリート造の平屋建て、外部の太い柱の頭部には社寺建築に見られる斗?(ときょう)を形どったふくらみをつけた複数の木製肘木(ひじき〕をのせている。屋根は妻部と玄関上部に千鳥破風をつけて、入母屋造り風の瓦葺きにしている。
 門は南北の通りに面し、相談所の正面入り口に位置する。御影石造りの門柱に、木造小屋組、瓦葺の棟門形式をとる。
 鉄筋コンクリート造でありながら建物前面にある門と同様に、伝統的な和風を意識した意匠にまとめられている。

所在地豊田市喜多町4-45
建設年1922年(大正11〕
登録有形文化財第23-0048〜0049号