保存情報第16回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 井田坂の商家(岡崎市北部伊賀町〜
井田町)
北野哲明/北野建築設計工房

低い軒を連ねる町屋群

近藤金物店
■発掘者コメント

松平家菩提寺の大樹寺に通ずる井田坂を登りつめた井田野は、中世は合戦場、近世以降は近郷の墓所であった。当時の井田坂は葬列が続き、井田野は死体の捨て場だったといわれる。
 明治になると、東海道本線の開通で、岡崎と瀬戸を結ぶ日本初の省線バス(国鉄バス)がここを通り、路面電車が開通し、伊賀屋百貨店が開店し、足助方面までを商圏とする界隈がかたちづくられた。
 しかし、昨今の社会情勢には抗しがたく、軒を連ねる街道筋の商家も急速に姿を消しつつある。
 われわれにとって、こんな風景はもう不要なのであろうか。今年4月にはJRバスも廃止された。

旧山本医院

日吉興業

旧料理旅館井田又
登録有形文化財 名古屋港 跳上橋 後藤晃範/圓空間設計工房
■紹介者コメント

名古屋港跳上橋は、1927年(昭和2)に架けられた。橋長63.4m(可動部分23.8m)幅4.7mの鉄道橋で、上部カウンターウェイト式の「鋼製跳開式可動橋」である。設計は、可動橋の第一人者である、山本卯太郎によるものである。
 昭和の初め頃の世界は、戦後(第一次世界大戦)における戦後恐慌から脱して少しずつ経済も伸び、名古屋港の貿易取り扱い高もめざましく成長した。とくに戦中時代は輸出超過から輸人超過に変わり、この地域の地場産業であった紡績業が盛んになり、原料である綿花を輸入し保管するため旧1号地(築地埠頭)や旧2号地(ガーデン埠頭)に倉庫群がつくられた。その脇には、臨港線という貸物専用の鉄道が敷かれ、その延長線上に跳上橋は堀川の河口に架けられた。観光スポットになっている今日の名古屋港と違い、その当時は、鉄道、トラック、船と、積み荷の揚げ降ろしが忙しく、にぎやかに行き来する風景が想像されます(現在は、金城埠頭等で揚げ降ろしがされている)。
 跳上橋があるところは、ガーデン埠頭の東北にあり、ちょうど倉庫群などで見えないが、少し歩けば桁を跳ね上げた状態で保存されているのが見える。またJETTYの西側に行くと臨港線の線路が今でも残っている。ぜひ、水族館の帰りには、足をのばしてみてください。

所在地:名古屋市港区入船1−6
千鳥2−4地先
建設年:1927年(昭和2)
登録番号:16−539