保存情報第16回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) FOOD STADIUM 後藤清長/後藤建築事務所
■発掘者コメント

四日市市北部に大正初期に建設され、旧東洋紡績工場再編等にて1997年(平成9)閉鎖された広大な敷地にショッピングセンターが昨年オープンしました。その敷地の一隅にあるレンガ造の原綿倉庫は、地元からの保存を求める声が上がり、工場跡ショッピングセンター施設の目玉として、外壁レンガ造の原形を保存し、内部を全面リニューアルして“FOOD STADIUM"として和食、中華、イタリアンの各店(約300席)が競い合うレストランゾーンとして人気を集めています。
 当倉庫は1917年(大正6)の創設にて、一見して桁行約20m、梁間約11mの5棟が連なるレンガ造(約!,072u)と見ましたが、実は木造軸組の外壁レンガ張り、屋根瓦葺きの建物が原形です(資料による)。築80年の5棟からなる倉庫をレストランという新しい空間要望に対応するため、各5棟の間仕切り取り扱いの処理が必要とされ、構造体は鉄骨造にて柱、梁を補強し、一番の外壁レンガは当初の姿に最少補強、補修を行なった結果、若者の憩いの場として人気です。(エスプレッソコーヒーが150円?)
 なお、本棟改造にあたっての建築基準法、消防法の現法適合には大変なご苦労も感じました。(注)資料等はイオン四日市北ショッピングセンター様のご尽力によるものであり、心より御礼申し上げます。

所在地:四日市市富州原町2-40
建設年=1917年(大正6)
愛知県指定有形文化財 龍興寺本堂 本田伸太郎/本田建築設計事務所

龍興寺本堂南立面図
■紹介者コメント

 龍興寺本堂は、1932年(昭和7)に当時の日本製糖会社社長、藤山雷太が、東京芝白金に自邸として建てた2棟の内の、和風別館です。1976年(昭和51)、藤山愛一郎が、自民党総裁選出馬に当たって、軍資金を得るために手放し・一時、近鉄の手に渡り、ホテル建設のために取り壊されるところを、龍興寺の住職、渡辺英信師が聞きつけ購入しました。設計は、当時京都大学建築学科の創設者武田吾一が担当し、彼の最晩年(1938年没)の作品です。工事は魚津弘吉が棟梁として腕を振るい、移築に際しても後の魚津工務店が請け負いました。建物は南西部に観月台を張り出し、周囲に縁側を廻しているところなど、京都の醍醐寺三宝院書院を模しています。西には、三層の楼閣があり、宝庫として設計されたため、一、二層は鉄筋コンクリート造で耐火構造となっています。いずれにしても細部に至るまで、意匠が凝らしてあり、日本建築の技術の最高水準を示しています。
 設計者の武田吾一は1872年(明治5)に生まれ、1897年(明治30)東京帝国大学卒業、1899年(明治32)には早くも同大学の助教授になりましたが、当時東大の中心的存在であった辰野金吾との折り合いが悪く、関西に飛ばされました。その後に京都大学建築学科を創設し、関西の建築人脈の中心となった人物です。また本建物は、1978年(昭和53)6月に愛知県指定有形文化財に指定されています。

醍醐寺三宝院書院

所在地:名古屋市昭和区御器所3-1-29