建築教育への期待 第3回
建築職能は教育現場を基盤とすべし
川崎和男
(名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授)
教育手法の模索
 かつて、バウハウスは芸術を応用的に人間と環境を調和創造させる職能教育の場であった。そしてその芸術的な総合表現を「建築」に収束させるという方針の教育理念と実践教育を行なった。
 これは現在も、建築教育やデザイン教育に大きな影響力を残している。
 私は残存してしまった常套的かつ拘束的な教育手法に過ぎないが、ある面では基本的だと考えている。
 なぜならば、現在の社会状況と技術進化、時代的には高密度な情報時代での、建築、あるいは空間、環境に対しての設計手法やその理念は、きわめて多様でなければならない。つまり、統合的でありながら細密的であることが要請されている。それでも、基本的な実習ではバウハウス流儀があてはまることはある。
 結果、日本の建築教育やデザイン教育も、建築は工学系から離れ、デザインは美術系を拡大させ、情報系の領域まで教育を模索してる。この判断や傾向は正しいと思う。私が在職している学部は、「芸術工学部」という名称である。生活環境デザインと視覚情報デザインという両領域で、建築家を総合的デザイナーとして輩出させたいと考えている。
 しかし、芸術工学を建築・都市計画・構造力学・環境工学・製品設計・情報工学、一般教養などで構成すること、その講義と実習教育で十分な職能家を育成できるだろうか、と問い続けている。
建築教育は18世紀以来変化していない
 私自身はプロダクトデザイン、インダストリアルデザイン、デザインディレクションというプロフェッショナルとして、その経験は30年になった。いわば、モノ・製品や機器のデザインから、建築・環境・空間、それらのデザイン職能を概観することになる。デザインという共通項があっても、その差異性は、とりわけ、プロフェッショナル教育において、建築教育の問題点や疑問を感じる。
建築教育では、工学系の範疇では、意匠・構造・設備で構成されている。最近では、環境工学と環境デザインを職能教育として、専門性を選別させる方向が定着しつつある。
 実習では、住宅・美術館・病院、何らかの施設空間、地域開発などをテーマとする。このマンネリズムは、その設計をモデルや図面、パースなどで表現させるという手法で停止している。
 最近は、パソコンで図面やCGパースなども簡便に制作を支援するようになってきた。時代的ではある。しかし、そのことが大きな表現技法と個性的な創造性での剥離的な問題点があることなど、もっと明白にすべきだろう。建築設計用のアプリケーションを簡便に使いこなすことが設計やデザインでは決してない。
 プロダクトデザインから、こうした教育を傍観していると、いつまで、モデルは旧態的なモデリングに頼っているのかとあきれる。もっとラピッドプロトタイピングを駆使すべきであり、バーチャルリアリティなどのコンピューティング技術を教育に持ち込むべきだと思う。建築界はコンピュータ運用が遅れた分野であることは確かだ。
 しかし、コンピュータによる建築の設計表現技法に頼り切ることは、大きな問題があることも事実だ。いうなれば、アナログ的・これまでのような設計表現と、デジタル的・コンピュータ、これもただパソコンだけでなく、EWSやネットワークコンピュータまでの運用や支援を、「バランスある」教育にする必然がある。ところが、建築教育に、この認識は希薄であるといわざるをえない。空間と情報との連鎖性を教えるノウハウがまったく蓄積されていない悲しさがある。
 たとえば、建築空間のアイテム、美術館とか病院などを課題として設定する。そして、その空間設計というのは、教える側に、その実務経験がある教育者は限られている。実際には、未体験の教育サイドが、そうした空間設計を指導することには、限界がある。生徒たちはそのことを見抜いて尊厳なくその教育者に実習を演じているだけだ。
 もっと、根本的な空間認識を教えるという問題点を再考すべきだろう。そのためには空間論としての建築教育ユークリッド的な幾何的な空間認識からまったく解放されていないことを知るべきだ。
 空間は、「対象としての空間」と「対象を表現する空間」に分別できる。この認識から、建築空間あるいは環境空間、それらの設計やデザインのための基礎教育が、いまだに18世紀までの空間論だけである。建築教育は、ユークリッド幾何学を「撫で回して、なぞっている」だけである。
 私は、かって、国立大学工学部建築学科で非常勤講師を数年務めた経験もある。その時には、主任教授が与えていた課題と私の基本的造形課題は、18世紀以来の空間認識を超えることを目標にしていたと自負できる。
 つまり、建築空間は、「対象を表現する空間」である。
 それならば、その空間を最初から、既成の空間アイテムなど設定する必要はまったくない。美術館という空間や病院という空間が、人間にとって、なぜ、そうした対象表現が必要であるのかを熟考させること。また、建築は、いつでもその要素である入り口・トイレ・階段・窓・ドアなどがパターン化していることに安住している。もっと創造的な窓やドアや階段が発明されることがまったくない分野だといえる。あらためて、人間と空間が対象化されていく必然性や機能性や象徴性を表現させる想像力と創造力を引き出すこと。さらに、構造・設備・環境工学でバックアップさせるカリキュラムの再編が重要であると考える。
 昨今の『環境デザイン』という、このあまりにも茫漠とした領域設定が問題である。私は、「日当たり・水はけ・風通し」という基本と環境工学の関係を問いつめたいと考えることがある、さらに、安全工学的空間と安心性の設計論が連関しているのかを論文などで、論理的に確認できたという経験は皆無である。住宅エネルギーとしてのソーラーバッテリーなどの運用方法も、プロダクトデザインから傍観すると、設計者サイドにその知識は軽薄な理想論だけが一人歩きしている。
 こうした批判は第三者ゆえ、いくらでも書き連ねることができる。むしろ、プロダクトデザイン・製品設計(博士前期)・環境情報設計学(博士後期)を担当する大学人として、次のような提案をしておきたい。
建築教育とは人間教育
 まず、建築・アーキテクトの技術的な進化論を明確に再考すべきである。その上で、建築と環境という空間にっいて、空間論に学際的な空間論を取り込んでいくべきである。たとえば、私は、プロダクトデザインに位相空間論とラピッドプロトタイピングを取り入れようとしているが、その空間論に対して、建築領域の教員たちは、まったく別次元のものという認識には呆れている。学際的には、どれだけの空間論があるのかを建築こそ、見つめ直すべきである。
 また、すでに建築の建設現場での職人技、その後継者は激減している。とくに、伝統的な大工技はほとんど壊滅していくだろう。そうなれば、住宅は、量産的な部品での組み立て作業にならざるをえない。それは、住宅が製品であることを意味する。製品設計としての建築設計の教育が必至となってきている。これまでのような間取り設計や構造設計よりも、部品設計や生産設計の教育に大きくシフトさせる時代になっている。
 実例的には、人間工学・生態工学・色彩照明工学・生産管理工学から、ロボティックスや情報工学が建築の背景には必然となっている。
 結局、建築・環境というのは、人間にとって、「生きる空間」・「生きるために何が表現されているべき空間」であるのか、ということに収束する。そうした空間設計を教育していくためには、常套的で、伝統的な教育方法そのものを創造していくことにつきる。
 それは、ある意味では、かってのバウハウスが、芸術の応用的な集大成を建築に統合させるカリキュラムをめざしていた。この歴史的実例はヒントである。
 現代、そして新世紀、この時代認識から、建築が成し遂げていく職能的成果を改めて問い直さなければならない。それは空間に統合される学際性のあり方である。その学際性を教育現場に持ち込むデザインが緊急の課題になっているということだ。
 一方で、コンピュータでの設計や情報処理、それも大量で高密度な設計情報を教育要因としてどうすべきなのか、ということになる。また、一方では、それこそもっとも基本的な「釘も金槌も使えない」、あるいは「木材の種類やプラスチックなどの素材」の触感すら経験しない学生時代を履歴としていいのだろうかと思う。
 自分の体で、どれだけの空間認識ができるだろうか。両手を広げて、足裏で高度感覚の身体的な経験もないままに、キーボードで打ち上げる図面を設計表現とは決して言えないはずである。
 プロダクトデザイナーの立場から、建築家を見ながら、私自身も、ますます高度になっていく技術に対して大きな不安を隠せない。製品設計も建築設計とまったく同様な教育現場での問題を抱えていることを告白しておきたい。
 さらに、もっとも重大な教育問題は、専門教育へ生徒たちを誘う以前の問題である。それは、幼児教育から高等教育、そして入学選抜まで、社会システムの教育制度という根幹が、時代に流されてすでに変質し、その影響が若い感性や精神力を後退させていることである。
 もし、専門教育に特化した教育現場こそ、その修復が可能になるならば、そのカリキュラムの再編は急務の課題として共有したい。
 建築教育とは、その細部から統合的で総合性が備わった人間教育であると思う。再度、建築職能はその教育現場を基盤とすべきである。職能とは後継者の教育に、社会的職能の責務の再確認と義務意識を、職能倫理として保全しておかなければならない。
川崎和男(かわさき・かずお)■1949年福井県生まれ。
名古屋市立大学芸術工学部教授。金沢美術工芸大学卒業
東芝を経てフリーランス。1996年名古屋立大学芸術工学部新設より現職。医学博士。毎日デザイン賞をはじめ国内外のデサイン賞は最多受賞。SlLM02000ではサングラスのデザインで目本人初のグランプリ受賞。著書に『デザイナーは喧嘩師であれ』などがある。