ブリッジ・ビルダー 第2回
フォース橋(鉄道橋)編
橋と風、リベットNα533
田村伴次
(中日本建設コンサルタント褐レ問)
北海の強風対策として風荷重を採用
 第一話で、「フォース橋の生い立ち」を説明しました。第二話では、少し技術的な点や橋梁と風について記述します。
 フォース橋の架設地点エジンバラは、北緯57度近くです。北緯57度と言いますと北海道よりはるか北に当たります。モスクワや、カナダのエドンモントンより少し北に当たります。緯度から言いますとかなり寒いところになるため、何よりも「北海から吹き付ける強い風」に対する対策が必要でした。
 フォース橋の原設計者であるサー・トーマス・ブッフは風に対する対策が不十分で、自身の設計した橋梁の崩壊から、フォース橋の設計から退くのみならず、失意の内に没してしまいました。
 このような出来事から、新たにこの世紀の橋梁を担当することになった、ジョン・ファウラーとベンジャミン・べ一カーは、設計に先立ち1882年フォース橋架設地点の、入江にある小島「ガービー島」の古城の上に風圧計を設置し、風圧を計測しています。
 このようにして計測した風の記録から、世界で初めて、風荷重274s/u(56pound/平方ft)を当橋梁に採用しました。
風や活荷重の微少振動カで構造疲労
 蛇足ではありますが、風と橋梁につきまして、もう少しその後の発展を記述しますと、風に関する第二の出来事は1940年7月7日、竣工当時世界第3位のスパン長(853メートル)を誇った「タコマ・ナロウズ吊橋」は供用開始後わずか4ヵ月という短い生涯を閉じました。1940年7月7日、秒速わずかに19メートルの風にあおられて崩壊落橋したわけです。
この吊橋は、完成直後より「風による振動」が大きいということで、「ギャロッピング・ガーティー(Ga11oping Gertie)馬乗りガーティー」と揮名されていました。近くのワシントン大学のファーガソン教授は、その振動の原因を調査することを依頼され、落橋当日、橋の状況を撮影しており、現在もそのフィルムは橋梁と風に関する貴重な資料となっています。
 この吊橋は、モイセイフ(L.S.Moisseiff)が「撓度(どうど)理論」を利用して設計した会心の作といわれていました。しかし「風と橋の周期同調」という新しい空気力学的なアプローチを必要とした「風と橋に関する設計の第二の出来事」でした。
 風と橋に関する第三の出来事は、「セバーン吊橋」に関する出来事であります。イギリスの誇るこの吊橋は、1966年に完成しました。重厚な補剛トラスや、重いコンクリート床版では問題とならなかった、限定振幅振動による金属疲労の問題を提供したのです。
 私たちが幼い頃、小さい小川に石の橋や、板の橋が架かっていました。石の橋は微動もしませんが、板の橋はよく揺れました。すなわち質量の大きい桁は揺れに対して抵抗が強いわけです。「セバーン吊橋」はコンピューターの発達から、計算がきちんとできるようになり補剛桁が、あまりにも軽くなりすぎたのです。テイ橋、タコマ・ナロウズ橋のような破壊はないものの、常時、風や活荷重によって生じる微少振動により、構造が疲労してしまったのです。
 セバーン吊橋は、現在吊り材や補剛桁を大々的に補修して供用されていますが、「ニュー・シビル・エンジニア誌」に次のような記事が載っておりました。「Sovern fears grow with sudden co11apse waming」このようにして「橋と質量と風に対する対策」の必要性を示した「風と橋に関する設計の第二の出米事」であります。
 埼玉大学にいらっしゃった故田島二郎教授から見せていただいた、セバーン吊橋の補修写真は、「橋が痛みで口申く」ようでした。
 フォース橋は、風荷重を計算に入れ、しかもテイ橋の失敗を参考に設計されました。したがって全体に剛度が高く、いかにも立派な橋となりました。キャンチレバー・トラス部分を図−1に示します。
 主橋脚は、それぞれ21.3メートルの円形潜函の上に据えつけられ、潜函の表面は花崗岩でできています。橋脚の基部は36.6メートル、頂部で10メートル、人が両足を広げるようにして立っています。
 この橋脚上の塔から6つの片持ち梁が両側にのび、2純径間521メートルで主橋梁が成立しています。主圧縮材は3.6メートルの直径の円筒部材でつくられています。片持ち梁と片持ち梁の間には、二つの107メートルの「吊り下げ桁」による径間がつくられています。
図−2 フォース橋のリベット。650万本の1本。リベットNα533
フォース橋のリベットを入手
 図−2を見てください。少し古くなりますが、『土木学会誌」の1987年第72巻(昭和62年4月号)に土木学会図書館の藤井肇男さんが、「100年前のリベット」と題して土木学会の図書館が、フォース橋のリベットを入手したことが書かれていました。
 このリベットは、「Trancred, Arro1 & Co」が、1883年〜90年にわたるフォース橋工事期間中に打ち込んだ650万本のリベットの1本であること、ICE(英国土木学会)とASCE(米国土木学会)がこの橋を「国際的、歴史的、ランドマーク的な建造物」として位置づけて、1985年に設立された「Forth Bridge Visitor's Center」の活動資金獲得の一助として、1980年に一部補修のため下弦材から切り取ったリベット2,000本を売り出しており、この趣旨に賛同して購入したことが記されていました。土木学会にあるリベットはNo.264です。
 この記事を目にした私は、自分用にどうしてもリベットが欲しくて、早速40米ドルを、東海銀行(現・UFJ銀行)名古屋港支店で組んで、スコットランドに送付し、大げさにいうと輸入したものでした。図−2の写真は、私のリベットのNo.533です。リベットは2本輸入し、もう1本は、恩師故荒井利一郎名古屋.工業大学名誉教授のもとにある331番のリベットです。
 このリベットと一緒に、ビジターズ・センターのチェアーマンからの手紙といいますか、送り状といいますか、が同封されていて、このリベットが確かにフォース橋の650万本の1本であること、その番号が2,000本中の533番であることが書かれていました。
 このようにして、土木技術者として憧れの橋の一部分が、自分のものになったことは、望外の喜びでありました。今リベットと言っても、若い技術者はほとんど見たことがないと思いますが、われわれの世代、橋と言えばリベットでした。まさに職人芸で、真っ赤に焼けたリベットが鳶の手で投げられ、これを打設者が小さなバケツ状の巾に受けて、素早く打設するのを口を開けて見たものでした。