保存情報第12回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 愛知県立医学専門学校
県立愛知病院 門扉
谷口元/名古屋大学
■発掘者コメント

 名古屋大学医学部附属病院の前身である愛知県立医学専門学校・県立愛知病院は、1910年(明治43)に開催された関西府県聯合共進会(当時の博覧会)の後、鶴舞公園の一角に移転した。施設は1914年(大正13)に完成したが、その後の大戦の空爆により原型をとどめないまでの被害を受けた。
 この門は幸い焼失を逃れたが、戦後、車の出入りの支障になることで部分撤去され、また近年塀部分の朽廃が進み、危険となったため大部分が撤去に至った。幸い石造の門柱のほとんどが、先人たちによって構内に保存されていることがわかり、1999年病棟の新築建替えを機に、名古屋大学医学部学友会(同窓会)の資金援助により、門と塀の一部を当時のまま残る遺構として再整備された。
 塀の仕上げに用いられているスクラッチタイルおよびテラコッタは、愛知医科大学時代の1930年(昭和5)に付け加えられたもので、当時の特徴的な仕上げ材料である。門扉などの鉄材は戦時下の供出によって失われていたが、当初の形態を文献等で参照し、木方十根名古屋大学助手によって再現され、新たに製作したものである。
 周辺は撤去された塀に替わって敷地境界沿いに歩行者路とグリーンベルトが整備された。沿道を行く歩行者の気持ちを和らげ、大学施設と街との垣根を取り払う一方、歴史の痕跡を残す試みであった。所轄の文部関連の省庁では予算化がかなわず、学友会各位のご努カと戸田・大成等JVのご理解なくしては、とうていなし得なかったと、感謝する次第です。
所在地:愛知県名古屋市昭和区鶴舞65

建設年:1914年(大正13)
登録有形文化財 長母寺本堂・庫裡・山門 林廣伸/蒲ム廣伸建築事務所
■紹介者コメント

霊鷲山長母寺は1179年(治承3)の創基と伝えられ、当地における有数の古刹である。また、無住国師(座像は重文)や尾張万歳発祥の地としても知られる。境内地は約一万坪で、矢田川左岸(明和年間の大洪水までは右岸守山に属す)に接し、南側は木ケ崎公園で、東側は市営テニスコートとなっている。境内の一部は名古屋市の緑地保全地区で、一帯は市街地における貴重なグリーンゾーンでもある。
 現状では本堂、開山堂をはじめ数棟の建造物が建ち、茶室に面しては池泉回遊庭園を有する。このうち、本堂(明治32)、庫裡(文政11)、山門(江戸後期)が今回登録文化財となった。なお、明治初期の境内の様子は「尾張名所図会」からもうかがうことができる。
 小生は本堂・庫裡の修理に関わったが、当初、住職の本意はRC造による建替えであった。私の所見では保存状況もよく、本堂・庫裡の登録文化財申請と既存建物の保存修理を提案し、了解を得た。
 修理完了後はほぼ従前と変わりない姿であるが、保存修理によりいささかなりとも景観保存に役立ったのではないかと思っている。また、通常の設計業務の流れの中で保存修理が成立したことは貴重な体験であった。
 なお、登録申請における行政の対応が遅れ、登録が修理竣工後となり、修理補助を受けられなかったことは心残りであった。

所在地:名古屋市東区矢田町寺畑2161

建築年代:本堂(明治32年)庫裡(文政11年)
       山門(江戸後期)

登録番号:第21回700番