保存情報第2回 | ||
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 暮雨巷 | 本田伸太郎/本田建築設計事務所 |
外観 |
主室 |
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茶室 |
主室と次室 |
中門 |
所在地:名古屋市瑞穂区陽明町2-4 建設年代:江戸中期 |
■発掘者コメント
江戸中期 (1763年頃) 俳人加藤暁台が買い入れ、 ここで与謝蕪村らと、 俳論を戦わせたとされている。
当時は、 今の上前津あたりにあったが、 1921年 (大正10) に繊維問屋の中村貫之助氏が取り壊されるのを買い受け、
現在の八事の雑木林の中に移築した。 その後1947年 (昭和22) に東海銀行の所有に移った。
建物は、 俳人暁台の趣向が随所に表われていて、 数寄屋風と書院風が巧みに組み合わされている。
主室の東と南の外側を廻縁が鍵の手に取りまいていて、 その外側に欄干が取りつけてある。
俳人の住んだ建物の遺築として現存するものが少ないところから、 暮雨巷は貴重なものとなっている。
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登録有形文化財 | 旧加藤家住宅 | 谷 進/タクト建築工房 |
■紹介者コメント 加藤家は西春日井郡師勝町大字六ツ師字南屋敷住の地主で、 「大加藤」 と称される旧家であった。 江戸期には六ツ師村の庄屋であったとも伝えられる。 江戸末期から明治25年頃の間は屋敷内で酒造をも行なっている。 明治期には六ツ師村の村長を務め、 西春銀行設立に与するなど、 この地域の発展と近代化を推進する立場にあった。 地方地主層は種々の近代産業を成立させ、 中流の生活文化の維持と発展を担い、 地方における伝統文化の保持と近代化に重要な役割を果たした。 さらにその生活は一般の農家層にも強い影響力を示した。 旧加藤家はこのような住居形式をよくあらわす建物であり、 滅失著しい近年において希少な建物として評価されている。
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所在地:西春日井郡師勝町 建設年代:長屋門 明治初期 主屋・中門・土蔵 明治10年代 離れ 大正〜昭和初期 北高塀 昭和初期 登録番号:第21回701番 |