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建築教育への期待  第2回

社会性、文化性のあくなき追求
アトリエ事務所の求める人材
原 宏
(藤川原設計主宰)
はじめに
 国際建築家資格に関する議論の過程で、「建築家とは何か」「建築教育はどうあるべきか」などの議論が活発になってきましたが、このことが国際標準化を前提とした議論であれば、いささか問題です。
 グローバル化という社会状況に対応することは必要ですが、グローバル化とは標準化のことではもちろんなく、地球規模で世界や環境を把握でき、情報を交換できる状況−全体の中で部分を位置づけることができるようになった時代として捉えるべきです。グローバル化によって、さまざまな地域と歴史がそれぞれの社会システムを培ってきた事情が見えるようになりました。グローバル化とはむしろリージョナル化と捉え方がいいかもしれません。
 まず今の日本の実状をふまえた建築家像や教育像を検討し、その上で国際標準にアダプター方式で適応させていく方向でないと、どうも本末転倒の議論になりそうです。
 さらにもう一つ。こうした問題はたいてい先端的な中心部分を念頭に置いて議論される傾向にあります。事務所数ではもちろん、延べ人数でも過半を占める1人から数人の小規模設計事務所、周縁地域で住宅設計を中心に活動している建築家を想定した議論にならないと宙に浮いたものとなってしまいます。
アトリエ事務所と組織事務所
 アトリエ事務所と組織事務所−この違いを押さえておかないとこのテーマでの立場が明確になりません。
 一般にアトリエ事務所とは意匠設計が中心で、会社組織ではなく独立自営、一人の個性を中心としたマイスター的小集団などと言われてきましたが、はっきりした定義はありません。もともとアトリエ事務所も組織事務所も、官庁営繕部やゼネコン設計部などに対するフリーアーキテクトとして派生したもので、60年代頃までは前川事務所も日建設計も同じようなものでした。
 ゼネコンに対峙する技術力の蓄積と設計の効率化をねらって、専門分野ごと、設計業務の場面ごとに分業化し、これを同じ組織に取り込みながら規模を大きくしていったのが組織事務所、一方建築の社会性や文化性の追求と設計プロセスの不可分性を理念とし、専門テクノロジーを分離しながら意匠設計を中心に小集団の職人的な作り方に固執してきたのがアトリエ事務所と言うことができるでしょうか。この中間形態の事務所もさまざまあり、連続的なものの傾向的把握ですが、傾向が違えばおのずと設計方法も異なり求める人材も異なってきます。
 70年代以降の20年問はこの2つの事務所形態が拮抗しながら日本の建築設計業務を担ってきましたが、近年になってコンサルタントなど新しい形態の事務所が現れ、業務分担の枠組みが再編されそうな気配が漂ってきました。
アトリエ事務所の置かれている状況
 私も一員であるアトリエ事務所は今、ここ10年来の社会変革の波にもまれ続けています。60年代以降固定的に実践してきた“アトリエ的設計方法”が通用しづらくなっています。
 一つは、設計職能がタテ割、ヨコ割に分解し、設計守備範囲が狭まりつつあるということです。基本計画から現場監理に至る一連不可分の設計業務がそのフェイズごとに分節化し、基本計画はコンサルタント、基本設計はデザイン事務所、実施設計はドラフト事務所、現場監理は監理専門事務所が担当するという事態が起こっています。それぞれのフェイズにおいても、構造・設備はもとよりインテ
リアコンサルタント、キッチンコンサルタント、バリアフリーコンサルタントなど、コンサルタント化による専門細分化が進んでいます。プロジェクトマネージャー、コンストラクションマネージャーなど川上志向の新専門領域も出現しています。組織事務所は専門職能をひとまとめにして総合組織事務所化を図っていますが、アトリエ事務所はデザインアーキテクトとして専門一分野化していくしかないのでしょうか。
 設計者選定の公正化ということでから入札やコンペが増えてきたのも大きな変化です。従来のワークシェアリング的随契委託やオーナーによる特命委託などが少なくなりました。入札は論外として、公開コンペはアトリエ事務所に門戸を開くものとして歓迎されていますが、実際は指名コンペが大半を占めます。入札、随契、コンペ等の指名は対外的に説明しやすいという理由で実績や組織規模が主な基準となっているようです。この傾向は官公庁だけでなく民間にも普及し始めています。「市民化社会」の進展による必然的な流れといえますが、今後資質評価の適正化が課題とされるところです。
 図面作成のCAD化も大きな変革の一つです。FDやCDでの図面提出が要求される場合があり、能率、非能率に関係なくCAD化せざるを得ません。組織事務所であればオペレーターをドラフトマンとして分業化させることができますが、「描きながら考える」手描き派の多いアトリエ事務所にとっては自己増殖する設備費に加え、能率化をめざすほどの仕事量もない時代にあって、二重の負担となっています。またCAD化は設計の進め方や方法にも影響を与えています。所詮道具と割り切りたいところですが、道具や手法が目的を変えることもあり注意が必要です。
 品確法に見られるような建築評価の基準化・マニュアル化もアトリエ事務所のあり方に影響を与えています。確認申請書類をまとめるのに今までの数倍の時間がとられるようになりました。アカウンタビリティを担保するための書類も必要になってきました。建築の文化性や社会性を追求する時間より、基準をクリアするためや対外的な説明のための書類作成などの事務量がますます増大しています。
アトリエ事務所の求める人材
 このような状況の下で、アトリエ事務所はどのような展望を持ち、どのような人材を求めているのでしょうか。
 職能の専門細分化に対して、ネットワーク的小集団の離合集散によるコラボレーションで対応していくという展望があります。IT化という技術背景もあり、広く選択的に専門情報を収集したり、コラボレーションすることがより容易になってきました。「テクノロジー(技術性)」は建築の必要条件の一つであり、アトリエ事務所の弱点でもありますが、コラボ方式によればこれを補完でき、組織事務所と対時することも可能です。
 テクノロジーの専門細分化がアトリエ事務所、組織事務所の区分をなくすだろうという観測もありますが、これは建築を技術の集合物と捉えた考え方です。建築には技術性の他「社会性」「文化性(芸術性)」といった必要条件があり、これが個々の建築に存在性を与えています。この社会性と文化性の追求こそがアトリエ事務所の存在理由、アイデンティティです。アトリエ事務所の求める人材の資質としてまず挙げられるのが、“理念を追求し継承する意思”であると言ってもいいでしょう。
 専門性がコラボ方式で補完できれば、アトリエ事務所の求める人材は、専門性(スペシャリスト)より総合性(ゼネラリスト)ということになります。諸々の条件を統合(インテグレート)し、形に高める(デザイン)能力はもとより、社会や文化に対する見識と洞察力、利用者やクライアントなど建築に関わる多様な人々の調整力(マネージメント)などの総合的な資質が要求されます。最近では、住民参加等への対応力やコンペ等に対する表現力、迅速な事務能力なども大切です。
 現実の設計実務では、中小のプロジェクトに対してコラボ方式で対応していたら経済的に耐えられません。住宅設計などではすべての実務を一人で担当する場合があり、こうした状況に応えられる専門基礎力も必要条件です。
 多様性の時代、アトリエ事務所も特色を持つことが要請されています。住民参加、リニューアル、環境共生、CAD表現など総合資質にプラスαとなる得意分野も求める人材資質となってきます。
 もともとフリーアーキテクトはそのフリー性と創造性の対価として営利性を否定してきました。経済性はさておき、建築が好きデザインが好きということがアトリエ事務所の求める人材の基礎資質かもしれません。
建築教育への期待
 学校教育に対して社会教育ということがよく言われますが、教育は学校教育が基本です。社会は自主的な学習の場であり、学校教育でインプットされたものを想起しながら習得する場と捉えて教育のあり方を考えていきたいものです。
 例えば最近話題になっている職能倫理、技術倫理の問題。倫理観(広義には理念・建築観、狭義には行動規範)の欠如は、職能や学問の専門分化や分節化によって引き起こされたものであり、少なくとも全体性に関わっていれば、理念や規範の相違はあるにせよ倫理観の欠如は少ないはずです。倫理観そのものは実践の場で現実に遭遇しながら習得・形成されるものですが、場面場面で選択し行動する時に想起する全体像は教育の場でインプットしてほしいものです。スペシャリスト教育であれ、ゼネラリスト教育であれ、全体性の中に位置づけた教育一その意味で建築史や設計製図などでの全体像教育がますます重要になっていると思います。
 厳しい経済環境の中の過当競争の時代。昔のように一年間は事務所の雰囲気に慣れてもらってという余裕がなくなり、即戦力の新人が求められるようになっています。大学もこれに対応して、CADをはじめとする実践的教育が重視される傾向にあります。プラスαとしての即戦力ならいいのですが、“即製"栽培された即戦力には自主的な展開性がありません。設計教育の大学6年制が期待されます。