2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

歴史的建造物とまちづくり 第4回
地場産業に触れる場として再生された近代産業建築/瀬戸市
瀬口哲夫(名古屋市立大学芸術工学部教授)
1300年の窯業の町
 瀬戸市は、1300年という長い歴史を持つ陶都として知られている。名鉄尾張瀬戸駅*を降りると、陶磁器店の並ぷ瀬戸川沿いに出るが、川沿いには木造3階建ての丸一国府陶器店(1922年)や、レンガ造の旧銀行(現在はメンズプラザマルナガ)などがある。銀座通商店街には、木造3階建ての祥文堂(1937年)、市民会館の南には、和風の蔵所交番(1939年)、宮脇橋の近くには瀬戸永泉教会(1990年)など、趣ある建物がある。最近の瀬戸市では、窯垣の小径や瀬戸市新世紀工芸館など、歴史的建造物を再生活用したまちづくりが行なわれている。
 瀬戸市は、駅南再開発や商店街の活性化など、中心市街地の再生をもくろんだ「瀬戸川文化プロムナード計画」(1992年)を作成している。
瀬戸物の町の散策路 窯垣の小径と資料館(1995年)
 両側から丘が迫る洞町は、かつて斜面を利用した登り窯がたくさん築かれていて、瀬戸の陶磁器生産の中心地であった。仲洞町から東洞町までの延長約400mの間は、10カ所程度の窯垣があり、「窯垣の小径」(図1・2・3参照)と呼ばれている。窯垣とは、不用になった窯道具でっくった塀や壁のことである。「瀬戸川文化プロムナード計画」では、観光ルートづくりの一つとして、洞町界隈は、「えんごろみち整備計画」として取り上げられており、これが実現している。「窯垣の小径」の中ほどに、窯垣の小径資料館があるが、この窯垣の小径資料館は、明治後期に建築された、本業焼き(陶器)の窯元の家(寺田家)を改修再生したものである。母屋を展示スペースとして、離れを休憩室としている。見所は、本業タイル(表面を磁器の土で化粧した陶器タイル)を使った浴室と便所である。母屋は、改造されていた食堂を土間にして勝手土間とっなげ、納戸を展示室に改修し、離れは板の間を湯沸室などに小改修している。外観については、下屋庇をトタンから陶器瓦に変えたり、土壁であったところを、下部は板腰壁、上部は漆喰壁としたり、引戸などは古い形式のものに取り替えている。
 窯垣の小径は、瀬戸の地場産業を感じながら、ゆっくりと歩くのに適している。窯垣の小径資料館の利用者は、春と秋に多く、年間9,658人(2000年)に上っており、瀬戸市の隠れた名所になりつつある。
窯垣の小径と資料館(旧寺田家)配置図(中央が母屋、左手が離れ、右手は付属屋)
窯垣の小径と資料館北立面図(改修後) 窯垣の小径と資料館北立面図(改修前)
市民参加で近代建築を再生 瀬戸市新世紀工芸館(1999年)
 新世紀工芸館(図4・5参照)は、瀬戸川文化プロムナード計画の重点的整備計画として、1993年に構想の検討が始められ、1995年からはワークショップ方式で基本計画が策定された。既存の建物2棟を活用する市民提案にもとづいて構想がまとめられた。この構想は、愛知県の「魅力ある愛知づくり事業」に採択された後、さらに、市民参加で管理運営基本計画が検討され、1999年5月に新世紀工芸館として開館したものである。
 新世紀工芸館は、木造2階建ての交流棟、木造2階建て洋風建築の展示棟、RC造4階建ての工房棟(新築)の3棟から構成されている。展示棟は、現地に移築されていた大正時代の近代建築である瀬戸陶磁器陳列所(1914年建造)を再生したものであるが、それまでは輸出用陶磁器メーカーである池田丸よ鰍フ工場兼倉庫として使用されていた。外観は往時を再現しているが、内部はギャラリーに改修された。交流棟は、窯業技術研究家長江明治のアトリエとして建築されたが、1970年代にファミリーレストランとして使用され、その後、空き家となっていた昭和初期の木造建築の再利用である。そこで、柱梁などの主要構造部を活かし、他は大改造し、木造の良さを活かしたギャラリーとして再生された。
 新世紀工芸館は、若手作家の発表の場であるとともに、陶芸やガラス工芸の創作研修生(6ヵ月から2年間)の養成や作陶、絵付けの体験事業が行なわれている。また、陶芸家、市民、観光客の交流の場ともなっている。新世紀工芸館の入館者数は、ギャラリーの企画内容展示などに左右されるが、200昨度で年間15,508人(月間平均1,292人)に上っている。
ムロ(工場)の再現 瀬戸市マルチメディア伝承工芸館(2000年) 瀬戸市新世紀工芸館・1階平面図
 マルチメディア伝承工芸館(図6・7参照)は、瀬戸の地場産業である陶磁器の持つ伝統文化を、高度情報機器を用いて紹介する施設として、2000年4月に開館した。交流館には、江戸末期から明治初期にかけて高い技術を誇った瀬戸染付けの伝統技術を保存継承していく人材養成を行なっていく瀬戸染付研修所が付設されている。
 ここは、「古陶園 竹鳳」という窯屋で、市指定有形文化財の登窯(1925年に現在地に移築)があり、この登窯の保存話から、現在では少なくなった木造の陶磁器工場(ムロ)の保存へと発展したのだという。
 伝承工芸館は、本館(新築)、交流館、古窯(こがま)館で構成されているが、古窯館は、市内で唯一完全な形で残っている3連房の登窯を保存する建物。交流館は、明治中頃の建造とされる木造2階建ての陶房・作業棟を実測解体し、同じ形式で再現されたものである。規模・外観も旧状と同じであるが、1階に必要な間仕切りを入れるとともに、開口部は木製からアルミサッシに変更している。本館は、他の建物に合わせた木造2階建て(新築)である。   
 2000年度の入館者は、春と秋の入館者が相対的に多く、年間10,917人(月間平均909人)となっている。
瀬戸市新世紀工芸館・展示棟北立面図
瀬戸市新世紀工芸館の展示棟は、現在の市民会館の位置にあった瀬戸陶磁器陳列館が移築されていたものをそのまま再利用したもので、大正建築の雰囲気を醸し出している。この建物は瀬戸市内に現存する近代建築では、最も優れたものの一つである。
瀬戸市マルチメディア伝承工芸館・交流館1階平面図 瀬戸市マルチメディア伝承工芸館・交流館南立面図
歴史的建造物とヒューマンスケールのまちづくり
 「瀬戸川文化プロムナード計画」(1992年)をきっかけとして、瀬戸市では、和風や洋風の歴史的建造物を活かしたまちづくりが進められている。まちづくりにおいて、歴史的建造物を活用することが非常に重要で、そのことにより、都市や産業の歴史性の継続が図られるし、歴史的建造物を活用することで、都市の空間スケールや、人間的なスケールを保持できる。こうした瀬戸の町並みに合った再生型まちづくりは、瀬戸の魅力を増加させるに違いない。
謝辞 瀬戸市の資料については、瀬戸市都市整備課の井村厚仁さんにお世話になりました。またRE建築設計事務所の三輪邦夫さんに取材協力を得ました。感謝致します。
*旧瀬戸駅舎は、1925年に竣工した表現主義意匠の建物で、瀬戸市内に現存するRC造近代建築としては最高のものであり、多くの市民の願いにもかかわらず、2001年春に取り壊された。
■窯垣の小径と資料館
 改修:1995年
 所在地:瀬戸市中洞町39
 構造規模:木造平屋建て3棟
 敷地面積:905.68u
 建築面積:262.25u
 延床面積:339.05u
 設計:瀬戸市建築課
 施工:鞄展
 総工箏費:1,957万円
■瀬戸市マルチメディア伝承工芸館
 改修:2000年4月
 所在地:瀬戸市西郷町98
 敷地面積:460.39u
 建築面積:246.03u
 延床面積:396.33u
 設計:鰍qE建築設計事務所
 施工:沢田建設
 総工事費:郵政省のマルチメディア街中にぎわい創出事業で、約2億9,800万円。愛知県まちなみ建築賞受賞