2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

建築教育への期待  第1回

次世代の建築家像を探る
鈴木賢一
(名古屋市立大学芸術工学部助教授)
はじめに
 建築設計という専門職業人資格の国際化に関する動きが盛んです。多くのJIA会員にとって、日常業務において国際化という現実に関わることはほとんどないため、この問題はとりわけ深刻な意味を持たなかったかもしれません。ところが、国際資格制度に関連する議論の過程で、「そもそも建築家とは?」あるいは「日本建築家協会とは?」といった、きわめて初歩的で根本的な質問があらためてされるようになりました。
 しかし、結果として会員相互に合意の得られる答えが用意されていないことがはっきりしてきました。不思議と言えば不思議な事態ですが、このことは深刻に受け止めざるを得ません。こうなってくると、建築家としての職能基盤が怪しくなってきます。ひるがえって資格に関する国際化の意味が、日常業務とはあながち無関係でないことに気づかされることになりました。こうしてあらためて「建築家」の定義を問われることにより、日本の建築家の職能が国際的には特殊な状況にあること、時代の変化に対応していないことの共通認識や問題意識が広がったはずです。
 すでに1999年のUIA北京大会でUIAアコード(建築実務のプロフェッショナリズムに関する国際推奨基準協定)が採択されると同時に、1)教育の認定、2)実務訓練、3)資格の登録・免許、4)専門的な知識および能力、5)倫理および行動、6)継続職能開発という6つのガイドラインが提示されており、建築家の職能に関する国際的な基準が明らかになりました。もちろんJIAでも、こうした問題に早くから取り組んでいた会員の努力の成果により、継続職能研修の制度が来年から本格的に実施されることになりましたし、建築系大学に対して建築家教育のあり方に関する提言も出されるようになりました。日本建築学会では、従来の学部教育に大学院修士課程2年の専門教育を加えてUIA基準をクリアする方向性を打ち出したり、大学教育に対するアクレディテーション(教科認定)の試行を実施しようとしています。建築設計関係の5団体は、建築資格制度調査会を設置し、検討を開始しています。
新シリーズの概要
 こうした状況を踏まえて『ARCHITECT」を編集する東海支部会報委員会では、このテーマに関連する連載シリーズを企画することにしました。「建築家の職能」というキーワードは、根本的な問題ですので、さまざまな論点が派生することが予想されます。が、先に示した北京大会における6つのガイドラインを眺めてみると、建築設計専門職業人としての教育認定からはじまり、実務訓練を経て、継続的に職能開発を行なうと同時に、ある一定の倫理と行動規範に基づいて社会的な職務を遂行するという、いわば職業人としての生涯教育のあり方であるということに気づかされます。そこで教育という視点からこのシリーズを構成してみようということになりました。ただし、「建築家の教育」に限定することなく、建築に関わる教育の内容・方法・機会をさまざまな角度から検証してみたいという意味合いを込めて「建築教育への期待」というシリーズ名としました。
 それでも建築教育となると、建築系大学における大学教育の話題に集中する可能性があります。そこでここでは、大学教育だけにとらわれることなく実務の世界で活躍する方々に幅広く話題を提供してもらうリレー方式を採用します。従来継続されてきた制度や仕組みを変革しようとする議論は、内容に関する本質からそれて手続き論や形式論に陥りがちであることはよく経験することです。建築家を建築家が語る、あるいは大学教育を大学教員が語るという閉ざされた議論にも陥りたくありません。場合によっては会員以外の方にも投稿をお願いするつもりです。そのことで話題が拡散する危険性を抱えますが、むしろあまり気がつかないような重要な話題に触れることができることを期待したいものです。ただし、ある程度話題を集中させるために、おおむね3つのステージを用意したうえでスタートさせたいと思います。第1に社会の求める職能、第2に新しい建築家像、最後に大学教育の模索です。以下に各々の内容について触れます。
社会の求める職能
 この視点は、現実に今動いている設計実務の社会が、どのような人材を欲しているかという需要側の議論です。建築家が従来受け継いできた仕事の内容や方法が急速に変化しています。急速な変化に対応するための幅広い総合性(ジェネラリスト)が求められる一方で、特殊で高度な専門性(スペシャリスト)も必要です。何よりも設計プロセスにおいて施主サイド、ユーザーサイドのさまざまな人々とコミュニケーションを十分にはかれる能力が必要でしょう。
 ネットワークの発達により情報のやり取りにも明らかに変化が見られます。長年かかって習得する伝統的な身体的デザイン能力よりも、刻々とハードとソフトがバージョンアップするコンピュータを使いこなす新しいデザイン能力が問われるかもしれません。
 新しい建築法規が次々と導入されます。些細な運用よりもその法規のコンセプトを理解する能力が要ります。設計プロセスにおける川上の仕事の重要性についてはずいぶん前から指摘されていました。リニューアルや再生の仕事も着実に増加しています。
 ものをつくることの倫理観や責任感は、いつどこで学び、培うのでしょうか。このことは働く組織によっても事情が異なるはずです。組織事務所とアトリエ事務所で求める人材はどうちがうのでしょうか。建築系事務所と都市系事務所で求める人材はどうちがうのでしょうか。いずれにしても大変興味のある話題です。
新しい建築家像
 第2の視点は、第1の視点と密接に関連しますが、今後どんな建築家像を描いていくことができるかというテーマです。国家が世界の先進国の仲間入りをするためのプロセスで政治家や行政官がリーダーシップを握っていた時代から、徐々に成熟した市民社会の到来を迎えようとしている現在、地方分権や市民参加といったキーワードが浮かび上がってきています。偉大な芸術作品として建築を世に問うという建築家像よりも、地方で活躍する建築家や、市民と同じ土俵で仕事のできる建築家が求められ始めています。若い人たちのなかには、プロジェクトごとにふさわしいパートナーを見つけて離散集合するような新しいスタイルの設計方法を試行するグループもあります。
 同時に一般市民自身が、建築や地域に対して愛着を持ち、それを身近な生活環境の一部として評価することができ、さらには社会の構成員の一人として責任ある行動がとれる素養を身につけていくことも、建築文化のレベルアップのためには必要なことです。建築家にいっさいおまかせするということではなく、自らの住まいを自らで手がけたり、グループで快適な住まいを求める動きもあります。その場合に求められる建築家の役割とはいったい何でしょうか?建築家に対する一般市民の認識もそうした過程で育まれていくのかもしれません。
 男女同権の流れにおいては、女性の建築界における活躍の場が広がっていくはずです。女性特有のきめ細やかさや、独特の生活感覚が建築や都市デザインの領域に新しい風を吹かせるかもしれません。先駆的な女性建築家の活躍はすでに周知のとおりです。
 地球温暖化にともなう問題に端を発し、持続可能な社会の実現に向けてさまざまな取り組みがなされはじめました。次から次へと最新の建物を求めてスクラップアンドビルドを繰り返すのではなく、良いものを提供し、長く使い込んでいく方法が求められています。建築家は、新築の技術だけでなく、再生活用の技術を身につけなければなりません。それには従来の建築に対する美学や哲学を根本から問い直すべきかもしれません。新しい時代にはその時代にふさわしい建築家像が求められます。
大学教育の模索
 最後の視点は、大学教育に関する話題です。少子高齢化や大学改革の波を受けて、大学では組織や教育内容が大幅に変化し始めています。公立・私立を問わず、建築に関わる高等教育機関が質・量とも幅を広げ、多様な教育サービスを提供し始めています。内部の人間でさえ十分把握できないほどです。長い間続いてきた「工学部建築学科」という名称そのものが少なくなってきました。この分野では環境、情報、国際、デザイン、生活、都市、福祉など、差別化された個性的で特徴あるカリキュラムと人材を求めて右往左往といったところかもしれません。社会をリードしようとするのか、大学が社会に追いつくための現象かは定かでありませんが、工学部だけではなく、家政系の女子大学や短大が建築・都市デザインの領域をめざしたり、理系と文系が環境をキーワードに融合したり、芸術と工学の接点を求める試みなど、ここらで建築学科の限界と将来性を見極めることも重要です。
 伝統技術はいかに伝承していけばよいのか、職能教育をどのように行なうのか、構造や設備にかかわるデザイン教育をどうするのか、これを機会に学校の現状や将来展望を踏まえながら建築教育に関するさまざまな論点を提示してもらおうと思います。