保存情報第9回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 弘洋ビル (旧三栄商事本社ビル) 國分孝雄/国分設計

所在地:名古屋市中区錦
建設年:1958年

■発掘者コメント

 ル・コルビジェ、 F.L.ライトの流れを受け継ぎ、 日本の現代建築家像の源流をなす前川國男の作品が名古屋の繁華街の中心である錦に存在していることは、 あまり知られていない。
 この作品は前川の熟年期である1955年に設計が開始され、 1958年に着工された旧三栄商事本社ビルである。 当時の名古屋では珍しくプレキャストコンクリートを使用し、 縦横の線を強調したシャープな佇まいやモノトーンで表現されたファサードは、 はっきりと1950年代の前川の作品として読み取ることができる。
 元来、 名古屋では近代建築家の作品を見受けることは少なく、 とりわけ商業建築における巨匠の作品はほとんど見ることができない。 その上近年、 商業建築に限らず建物の老朽化や高度な設備システムの対応不能の理由から、 保存が望まれる建築が姿を消している。 村野藤吾の作品であった名古屋都ホテルの姿も、 今はない。 商業建築の場合、 それが宿命とは言え、 時代の商業ニーズに合わないからと取り壊しの憂き目に合うのはまことに残念である。
 しかるに、 件の建築は今も十分メンテナンスが行なわれ、 現役の建物として良好に使用されている。 しかも、 この建物のエントランスホールには設計者である前川國男の功績をたたえるプロフィールとともに、 建築の由来、 説明を記した銘板が設置されており、 現在のオーナーの価値ある建築の保存に対する理解の深さを読み取ることができる。 設計図書でもあれば、 ちょうど高度成長期に突入する時代の事務所建築に対する設計思想など調べてみたいものである。
 現在この建物は、 「弘洋ビル」 と名を変えて、 洋画配給で有名なヘラルドグループの本社ビルとしてその役割を果たしている。 オーナーの建物保存に対する姿勢を評価するとともに、 これからも維持管理を継続するのは大変なことと思われるが、 ぜひとも保存し続けてもらいたい建築の一つである。
登録有形文化財 窯のある広場・資料館 原眞佐実/原建築設計事務所
所在地:愛知県常滑市
建設年:1921年 (大正10)
登録番号:第3回131番
■紹介者コメント

 先日のJIA東海大会 2001 in NAGOYAにおいて、 エクスカーションが企画され、 やき物のまち、 常滑を散策する機会があった。 身近にありながらなかなか訪れることが少なかった建築物等のなかに登録文化財があったので、 今回はそれを紹介したい。
 日本六古窯の一つに数えられている常滑焼きの歴史は古く、 平安時代には穴窯が使われ、 江戸時代末期に登り窯が築かれ、 明治時代末期には常滑に60基ほどもあったようだが、 明治時代初期に土管の規格化と量産化に成功。 この土管が常滑焼きの近代化のきっかけとなる。
 時代は移ろい、 窯の多くは取り壊され姿を消したが、 ここに残された窯と建物は往時のたたずまいを残す数少ないものの一つとして、 1997年に登録有形文化財に指定された。
 この建物の周辺は 「窯のある広場・資料館」 と名づけられ、 明治・大正・昭和の洋風建築の外観を壮麗に飾ってきたテラコッタが公開されている。
 この窯は、 常滑で土管を焼いていた窯の中でも大きなもので、 倒焔式角窯といわれる構造である。 窯の内部は炎の痕跡をレンガに刻み、 飴色に輝く美しい釉薬は、 土と火の結晶と化している。
 窯の巨大な煙突とのセットの風景が、 常滑のやき物文化を再認識させる。