2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

歴史的建造物とまちづくり 第3回
奥行きある歴史的古都づくりに向かって/旧近衛邸や尚古荘の再生活用
瀬口哲夫(名古屋市立大学芸術工学部教授)
780年の歴史を持つ城下町
 西尾市は、大給松平6万石の城下町であるが、城下町としての歴史は、1221年に足利義氏が西条城を築いて以来、780年の歴史がある。こうした町であるから、市民の町を愛する気持ちは強いものがある。筆者がかかわった城下町を再生する構想としては、南北の文化軸と東西の商業軸の構想(1986年)(注1)と、奥行きのある歴史的古都づくり構想(1991年)(注2)などがある。とくに、後者では、@天守閣および城内整備、A鶴城公園・岩瀬文庫周辺整備、B西尾城下町再生、Cおしろプロムナード整備などが提言されている。
天守閣および城内整備 丑寅櫓や旧近衛邸の復元
 天守閣の再現については、西尾城再建友の会を中心に、長い期間、募金活動が行なわれたが、1994年度愛知県のふるさとづくり事業の採択を受けて、西尾歴史公園の整備がなされることになり、まず、 丑寅櫓(うしとらやぐら)とちゅう石門(ちゅうじゃくもん)が木造で復元された。これにより、これまで城祉としては寂しい感じがあった西尾城に核ができた。
 丑寅櫓と鈴石門の復元と同時に、旧近衛邸の移築復元がなされた。もともと、この建物は、京都の近衛忠房邸にあったもので、その後、宮家の所有となり、1898年(明治31)まで、山階宮晃親王の屋敷として使用された。1985年に、この建物が解体されることになったので、西尾城再建友の会は、部材を西尾市に移送することにした。
 西尾文化協会は会員の作品の売上金で、移送の費用(500万円)をつくり、部材を西尾市に寄付し、市が西の町で保管していた。西尾歴史公園の整備の中で、これを復元することにして、必要な部材を補給して再建された。復元費用は約1億円。
 旧近衛邸は、木造平屋建てで、延べ面積は220u。書院棟と茶室棟があるが、書院棟は、1間半の床の間と1間の棚の構えのある“一の間”(10畳)と“二の間”(8畳)とがあり、2方に畳敷きの入側(いりがわ)と板敷きの広縁がある。書院棟には玄関がなかったので、新しく玄関と前室が新設された。茶室棟は、6畳の茶室と3畳の次の間があり、やはり2方向1目に畳敷きの入側と板敷きの広縁が回っている。
 旧近衛邸は、研修室として使用されるとともに、抹茶を楽しめる休憩所としても機能している。年間の利用客数は約2万5,000人にのぼる。
 西尾歴史公園の整備は今後も必要で、商工会議所や体育館などの移転、その跡地の整備などが検討される必要がある。
旧近衛邸 東立面図 旧近衛邸 平面図
鶴城公園周辺整備 尚古荘と伝想茶屋
 西尾の城下町は、周囲を堀で囲まれた総構えの城下町であった。しかし明治以降、払い下げられた後、堀が埋め立てられ、その面影が失われた。岩崎明三郎は、1931年(昭和6)より、城趾の堀を活用した作庭に着手し、尚古荘と名付けた別荘(1,000坪)を、1937年(昭和12)に完成させた。作庭の構想に岩崎明三郎が関わったとされるが、実施は名古屋の庭師である足立代三郎があたった。正門、30畳の大広間のある建物(瓦葺平屋建て)、茶室「不言庵」、待合、東屋などがある。東屋のあるところは、高くなっていて、西尾城丑寅櫓の跡とされ、眺望が良い。不言庵は辻家の茶室を移築したもので、天井の垂木も枝を使うなど山家(やまが)風意匠となっている。
 明三郎の子供である岩崎孝雄が1992年に亡くなり、尚古荘の処遇が問題(注3)になったが、関係者の協力と西尾市の努力により、1994年に、西尾市が、西尾歴史公園の一部として、買収することを決定した。これにより、1995年度に、庭園の整備と建物の修復工事が行なわれた。板敷きの大広間は畳敷きとされ、準備室と厨房は、6畳の和室と現代風流しのある台所に改装された。費用は約7,000万円。茶室については、約1,400万円で補修された。
 尚古荘の庭園は質が高く、無料で公開されている。大広間は、食事や飲酒もできる研修室として貸し出されており、人気が高い。年間利用者は1万5,000人。
 1999年にお休み処伝想茶屋が完成した。尚古荘の隣地にあるため、尚古荘からは、外に回らなくても、直接、伝想茶屋に入ることができる。
 伝想茶屋は、西尾にある商家をモデルに、格子戸付きの木造2階建ての建物とされた。1階はお土産コーナーと食事のできる場所があり、2階では、明治・大正・昭和の生活民具を展示している。

伝想茶屋 北側立面図
尚古荘 大広間 伝想茶屋 西側立面図
岩瀬文庫の整備 登録有形文化財の児童館と書庫
 岩瀬彌助の設立した岩瀬文庫(現在は市図書館の一部)は、城下町の北側にあり、南端にある城跡と合わせ城下町の核となっている。ここには、木立の中に、登録文化財になっている児童館や書庫があり、現在整備が行なわれている。
西尾城下町再生 無料休憩所“ゆっくら軒”の開設
 西尾の城下町の町家の再生も行なわれている。趣のある塀が並んでいる順海町で、1999年4月に、順海町の三軒長屋で、空き家になっていた洗張屋を改装して、無料休憩所“ゆっくら軒”が開設された。これは空き店舗活用事業によるもので、総事業費500万円(注4)で、ボランティアの協力を得て、西尾市商業協同組合が改装し、市の観光協会が管理している。低料金のギャラリーもある。
おしろプロムナード整備 期待される庭園プロムナード整備と旧井桁屋の保全
 西尾城と岩瀬文庫を結ぶ旧城下町の町並みと歩行者空間を“おしろプロムナード”として整備することが西尾商工会議所より提案されている。本町の西側、旧西尾城の堀跡が庭園等になっているので、これを利用した庭園プロムナード(注5)を作り、城下町の魅力を高めることが期待されている。
 また、中央通にある旧井桁屋の建物は、大正時代の建築で、地方都市にできた百貨店として貴重な建物である。
 西尾城址を含む城下町地区では、奥行きのある歴史的古都に向かって、少しずつ歩みを進めていると言えよう。
謝辞 西尾市の資料については、早川端午さんおよび西尾市教育委員会の松井直樹さんにいろいろお世話になりました。感謝します。
注1:西尾商工会議所・中小企業庁「西尾地域商業近代化地域計画・基本計画」1986年
注2:21世紀委員会及び提言策定ワーキング委員会「西尾21世紀計画」西尾商工会議所、1991年
注3:広い庭と建物を生かした料亭、広い敷地を活用したマンションなどが話題に上ったが、関係者は、市の施設として活用することを希望していた。
注4:県10%、市60%、自己負担20%
注5:西尾市の「西尾市中心市街地活性化計画」2001年で、保存再生が提案されている。