保存情報第8回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 五台山 大聖竹林院 尋盛寺 鈴木達也/辰巳設計
■発掘者コメント

 本寺は、 1600年 (慶長5) 念仏堂より始まり、 清洲城の書院を利用し本堂とした。
 本尊 (阿弥陀如来座像 慈覚大師作伝) は京都五台山清涼寺より迎えたと言い伝えられる。 源敬公に仕えた陳元贇が当寺に滞在し明より携えた自愛の梅を寄贈したのが元贇梅と称され、 敬公は寺内に竹林閣という席を建立し、 「千代千代枯れせぬ梅の香り哉」 元贇 「みどり濃き松にも匂ふ梅の香哉」 敬公と歴史にも残る尾張の殿様と学僧の絆にふれることもできる寺である。
 1942年 (昭和17) 現在地に戦中の強制移転となり、 戦災を免れ現在に至ったが、 1,300坪近い敷地に旧善光寺の本堂を利用し地下に戒壇巡りもあり、 山門、 茶室、 書院も不明ながら玉石混交。
 建物と庭の織りなす景観はすばらしいものがあり、 手を加えれば、 旧日の姿が甦ると思われる。
 寺宝としては、 鎮守瘡守大明神像 (敬公彫判) ・庚申像 (行基作伝) ・十一面観世音菩薩立像 (法然作伝) ・陳元贇寄贈香炉等があり、 歴史のおもしろさがある。
 城山八幡と五百羅漢など10寺近くが軒を連ね、 道路沿いや境内の手作り玉石の石垣塀が織りなす町並みは戦前にタイムスリップした存在感があり、 半日のんびり散策するのも良い場所である。

所在地:名古屋市千種区城山新町2-69
建設年:不明 (明治時代末)
交通機関:地下鉄東山線 「覚王山」 下車1番出口より、 市バス 猪子石団地行き 「姫ヶ池」 下車、 徒歩約5分
登録有形文化財 羽根谷砂防堰堤 高橋敏郎/愛知江南短期大学
■紹介者コメント
 登録有形文化財の執筆の順番がきて、 一度は見たいと思うものがいくつかあったのだが、 おそらく誰も報告しないであろう自然と戦ってきた建造物を取り上げた。
 岐阜県海津郡南濃町の山あいにある羽根谷砂防堰堤は1888年 (明治21) に建設され、 100年以上経た今も現役として活躍している巨石で築かれた堰堤である。 濃尾平野の南西に位置し、 養老山地の急峻な渓流にある。 普段はほとんど水の無い涸れ谷だが、 一度大雨が降れば土石流となって平野部にたびたび大きな被害を与えてきた。
 1873年 (明治6) に日本政府から近代土木技術導入のため招かれたオランダ人ヨハネス・デ・レーケの指導により築堤されたものである。
 登録有形文化財に指定された第一堰堤は巨石の空石積みで、 堤高12m、 堤長52mと明治初期の同種の堰堤の中でも最大級のもので、 保存度は抜群、 日本の砂防史に特筆される貴重な土木遺産である。 スケールはロックフィルダムで有名な同県の御母衣ダムなどには及ばないが、 巨石の並ぶ様は近くに寄れるがゆえに迫力がある。 さらに下の第二堰堤も良い。 周囲は近年 「羽根谷だんだん公園」 として整備され 「さぼう遊学館」 もあり観光資源とも、 住民の憩いの場ともなっている。 
所在地:岐阜県海津郡南濃町奥条
建設年:1888年 (明治21)
登録景観:第一堰堤 オランダ人デ・レーケ指導による巨石を用いた堰堤、 第二堰堤 明治初期の空石積砂防堰堤として最大級
登録番号:第5回 181番、 第8回 261番